小説目次
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ヘルバが呪紋を唱えた。闇属性呪紋アンゾット。
だが当たらない。仕様外の存在には通常の攻撃が通用しないのだ。
スケィスは呪紋のエフェクトを透過して何の障害もないかのようにこちらに迫ってくる。
リョースがバイクから飛び降りた。
僕はあわて身を乗り出し、荷台から座席に腰を移してハンドルにしがみついた。
「無理だ、リョース!」
そうしながら僕は叫んだ。
「腕輪がないのに無茶だよ。あいつは止められない!」
二度対峙した僕にはよくわかる。なんというか、スケィスは八相の中でも別格なのだ。
リョースは例のホバークラフトのような走り方で後ろ向きに蒸気バイクと並走している。
腕組みをし、睨みつけるその視線の先に、悪夢のように振り払えないスケィスの姿があった。
「カイト、君には腕輪の加護がある」
リョースが言った。
「正確にはあったというべきだが――とにかく、システムに通用する可能性があるのは君だけだ。だから、君をモルガナのところへ行かせる」
彼が腕組みをとくと、その両拳が薄い光を放っている。
光の王リョース。『世界』最強の中間管理職。
ほんの一時、リョースとスケィスはにらみあったまま動きを止めた。高速で走りながらも彼らの回りだけ時間が停止したようだった。
僕は彼らの視線が火花を散らしたように錯覚した。
次の瞬間、リョースはスケィスに殴りかかっていた。
同時にスケィスは呪杖を振り回していた。
すさまじい乱打戦。真正面からの殴り合い。
僕はバイクのハンドルをなんとか操作しながらリョースの闘いを見守った。
驚いたことにリョースの攻撃はスケィスに通用しているようだった。リョースのパンチを受けてスケィスは一、二度ぐらついた。
僕は彼や豚走隊が直前にアウラの力を受けたことを思い出した。彼の攻撃はスケィスに通る。多少は。
土台無茶な話だった。死の恐怖スケィスと商人PCが闘うなんて。
リョースの全身がスケィスの呪杖で滅多打ちにされ、ずたぼろになるのにさほど時間はかからなかった。
僕の脳裏にオルカの姿が浮かんだ。
なんてことだ。これでは……まるでオルカの再現だ。
ダウン寸前のボクサーがロープに寄りかかるように、リョースがバイクに倒れかかってきた。
それでもリョースは倒れない。走り続けている。
「リョース。バイクに戻って。スケィスとまともに戦っちゃ駄目だ」
もう彼のPCボディは表面が欠け、ぼろぼろに剥がれ始めている。いくらアウラの加護があると言っても、こんな風になってしまっては……
「聞け、カイト。俺たちは文字通り命をけずって『The World』を移植し開発した。それはいかれたドイツ人の妄想につきあうためでも、ヒステリーを起こしたシステムのわがままをきくためでもない」
スケィスを睨んだまま、リョースが言った。
「くだらない設定だの考察だの、そんなものは豚に食わせてしまえ。元ネタの叙事詩がどうあろうと俺たちの知ったことか」
スケィスが少しずつ近づいてくる。
「良いゲームを世に出したかった。それだけだ。それが全てだ」
スケィスの右手が動き、呪杖を持ち上げていく。
「俺たちがこの世界を守るのに、それ以外の理由などあるものか……」
高々と振り上げられた呪杖が振り下ろされた瞬間、リョースの身体が飛び上がった。
「システム管理者を舐めるなぁっ!」
スケィスの一撃を受けてリョースのPCボディが袈裟懸けに深々とえぐられた。
同時に、リョースの渾身の右拳がスケィスの顔面を捉えていた。打ち抜いた。
スケィスの身体が大きく揺らいだ。今までとは違う本格的なダメージが入った証拠だった。
リョースの被害も深刻だった。スケィスを打ち続けた拳はほとんど原形をとどめておらず、その全身には無数の深い亀裂が入っている。
倒れかけたリョースを、背後から誰かが抱きとめた。
ヘルバだった。蒸気バイクから飛び降りたのだ。
「不正規データはデリートする――」
リョースの肩越しに右腕を伸ばしながらヘルバが言った。
「そうでしょう、リョース?」
闇属性最大呪紋ファアンゾットが炸裂した。
スケィスにとって本来ならなんということのない攻撃。
しかし、スケィスはそれをかわせなかった。
リョースに受けたダメージがそうさせなかった。
仕様外という仕様に守られたスケィスを、システム管理者とハッカーの連携が強引にねじふせたのだ。
そこから先のことはわからない。
減速したスケィスとリョース、そしてヘルバを、猛スピードで走る蒸気バイクが置き去りにしたからだ。
スケィスとリョースの闘いを手出しせずに見守っていたバルムンクが、蒸気バイクの方へプチグソを寄せてきた。
「見ろ、カイト――」
バルムンクの指差す方向に僕は顔を向けた。
巨大な眼球が僕たち二騎を見下ろしていた。
僕とバルムンクは、ついにモルガナ・モード・ゴンに追いついた。
ここからが勝負だ。
僕はすぐにおかしなことに気付いた。
モルガナがシーカーの群れを生み出すのをやめていたのだ。
シーカーの大群で守りを固められていたら、僕たちは手も足も出ないはずだった。
それに宙高く浮遊していたのに、今では地面すれすれの位置を這うようにして飛んでいる。
どうしたのだろうか。何か企んでいるのか。それともトラブルが発生したのだろうか。
ひょっとすると、ヘルバが言っていた、徳岡さんの働きと何か関係があるのかもしれない。だがそれを説明してくれるはずのヘルバはもういない。
僕は頭を振った。
余計なことは考えるな。
とにかく、僕たちはこれからモルガナを――
そこまで考えてはたと気づいた。
僕たちはモルガナに対してどうすればいい?
攻撃すればいいのか。話しかければいいのか。
ワイズマンは「対話しろ」と僕に指示したが……
そのことをバルムンクに言ってみた。
「それは無理だ。あきらめろ」
言下にバルムンクは答えた。
「話をする余裕などない。こうなってしまっては闘うしかない。もう俺たち二人だけだ。俺たちがやられたら終わりなんだ」
その通りだった。バルムンクの言うことが正しかった。
後方からはスケィスは脱落したが、大量のシーカーの群れがこちらに迫ってきている。
前方からも、モルガナがすでに生み出したシーカーが徒党を組んで僕たちを待ち構えている。
このまま行くと挟まれる。
モルガナのもとへ到達するまでには、もう少し奮闘しなければならないのだ。
「いいか、合図したら右に行け」
プチグソの手綱を操りながらバルムンクが言った。
「俺は左に回る。二手に分かれてシーカーどもを散らし、左右同時にモルガナを攻める。いいな?」
「わかった!」
バルムンクの作戦はうまくいった。
僕たちはシーカーたちの追跡をうまく引き離すと、モルガナの目前で交差した。
僕は右の双剣を、バルムンクは剣を、モルガナの胴体すなわち眼球に存分に叩きつけた。
モルガナが苦悶の声を上げた。
僕たちの攻撃が効いている。やはりパワーダウンしているのだ。
さらにもう一撃ずつ、モルガナに浴びせかけた。
シーカーは僕たちの動きについてこられない。
モルガナは弱っている。
このままいけば勝てる――そう思った途端、モルガナの目が光り始めた。幾筋ものデータの数列が発射されたかと思うと、僕たちに向かって飛んできた。
データドレイン乱射。
正面から飛んできたそれを、僕はバイクを捨てることでかろうじてかわした。横っ飛びに飛び下りた。リョースのようにはうまく着地できなかった。地面に激突し、転がり、なんとか跳ね起きた。
「バルムンク!」
僕は叫んだ。
シーカーの群れに囲まれていたバルムンクは身動きが取れなかった。
「くそ。ここまでか」
バルムンクのつぶやく声が僕にははっきり聞こえた。
バルムンクはプチグソごとデータドレインされ、消滅した。
モルガナのデータドレインはむちゃくちゃだった。自分の生み出したシーカーもお構い無しに貫いていくのだ。
奇妙に規則正しく編隊を組みながら、データの数列が僕のほうに向かって再び飛んできた。
僕は目の前で最後の仲間バルムンクを失い、言葉では言い表せない衝撃と喪失感に囚われていた。
みんなやられてしまった。
みんな僕の目の前でやられていった。
オルカのときと同じだ。
ネットスラムの住民たち。
システム管理者の豚走隊たち。
今までの冒険で知り合った仲間たち。
エルクも、ワイズマンも、ブラックローズも、リョースも、ヘルバも、バルムンクも。
僕は不意に自分でも良くわからない激しい感情に駆られた。
何かをモルガナ・モード・ゴンに――エマ・ウィーラントに言ってやりたいと思ったのだ。
「エマ・ウィーラント! 自分のことを忘れたのか!」
だがそこから先が続かなかった。
駄目だ。
自分で言ってて白々しい。
僕の言葉はモルガナには届かない。
そもそも僕はハロルド・ヒューイックのこともエマ・ウィーラントのこともよく知らないのだ。
僕はモルガナにとってまったくの他人なんだ。他人が何を呼びかけても伝わるわけがない。
しかし――
こちらに突っ込んできたデータドレインをかろうじて避けた。
しかし、くそ。
だからといって。
「あきらめて――たまるかぁぁっ!」
僕は走り出した。
シーカーを飛び越し、データ数列を潜り抜け、走り続けた。
モルガナにとびかかり、双剣をつきたてようとした。
そこから先、起こったことを理屈立てて説明するのは難しい。
いつからそこにいたのか。
アウラが僕の前にその身を投げ出してきた。
勢いをとめることもできず、僕の双剣はアウラの胸を貫いていた。そしてその下のモルガナをも深くえぐっていた。
アウラ? なぜ?
彼女は一言だけつぶやいた。
「かあさん……」
その言葉がきっかけとなったのか。
モルガナに明らかな反応があった。
モルガナはアウラを抱擁するかのように彼女と折り重なったまま、まばゆいばかりの光に包まれた。
僕の意識はそこで飛んでしまった。
どこかで赤子の泣く声を聞いたように思う。それが何を意味するのかはわからない。
結局のところ、モルガナ・モード・ゴンはエマ・ウィーラントの人格だったのか?
それも不明のままだ。
でも、最後の瞬間、アウラはモルガナをかばった。そして僕の見間違いでなければ――モルガナは一瞬、アウラをかばおうとした――ような気がする。
(続く)