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第63話

ふと気づくとブラックローズが僕の体を揺すっていた。

彼女の顔が僕の額のすぐそばにあった。

僕はあわてて起き上がろうとしたが、右腕に突っ張るような痛みが走った。

「カイト? 大丈夫?」

僕は静かに大きく深呼吸すると、身体を急に動かさないようにしてゆっくりと立ち上がった。

そこはエリア最深部のエリア――ハロルドのいた小部屋へ行く直前のダンジョンだった。

「うん。もう大丈夫」

僕はそう言って自分の身体を見おろした。

PCボディそのものに異常はなかった。

でも今まで右腕にずっとあったもの――腕輪が消えていた。

僕にはそれがわかった。空っぽだった。

妙な寂しさが僕の胸をよぎった。心細さというべきか。我ながら勝手なものだ。

腕輪は僕には重過ぎる、腕輪は僕の手に余るとぼやいたときもあったのに。

「切り札、なくしちゃったね……」

ブラックローズがつぶやいた。

全く同じ事を考えていた僕はどきっとした。ブラックローズになぜか図星を突かれたような気がした。

「でも、敵もクビアを失った。残る敵はコルベニクだけだ」

内心の動揺を押し隠すようにして僕は言った。

「そして、僕たちにはアウラがいる。最後の『波』を倒す方法はきっとあるよ」

本当にそうだろうか。

わからない。

クビアを倒す方法が他に見つからなかった。腕輪を壊したのは最善だった。今となってはそう思うほかない。トンカチなんかなくっても神は倒せる、と。

そして願うしかない、アウラの加護を。

部屋の隅でなにやら読んでいたらしいバルムンクがこちらに向き直った。

「カイト、ブラックローズ。ヘルバからチャットメッセージが来た。緊急の用事だそうだ」

僕たちがネットスラムに行くと、メンバーは全員すでにそろっていた。

ヘルバとワイズマンが広場の片隅で何かやりとりしていた。

近づいていくと、まずヘルバが気付き、僕たちに向かってうなずきかけた。

「最後の『波』と思われるデータ反応が見つかった。あなたたちがクビアを倒した直後からよ」

ワイズマンがそのあとを引き取った。

「君たちがクビアを倒したために、おそらく敵は相当に『動揺』している。相談した結果、今が千載一遇のチャンスだと判断した」

「チャンス……」

僕はつぶやいた。右腕が心細かった。

「そう、これから一気に畳み掛ける。モルガナ・モード・ゴンに対し、最後の総力戦を挑む」

ワイズマンが力強く言った。

「しかし待ってください」

リョースと同じ姿かたちをした商人のNPCがワイズマンの言葉に割り込んできた。

豚走隊の唯一の生き残りノグチだ。リョースの代理として作戦に参加しているのだ。

「我々はカイトとクビアの闘いをモニターしていました。あなたがたも見ましたよね? 腕輪が粉々に砕け散ったのを」

彼は叫んだ。

「腕輪は仕様外の存在に対する唯一の対抗手段です。腕輪がないまま総力戦だなんて、正気の沙汰じゃない! あなたたちもみんな、係長たちと同じで……」

意識不明になる、という言葉を彼は飲み込んだらしかった。

「安心なさい。二つほど策を用意している。保険とでも言うべきか」

ヘルバは言った。

「一つ。カイトは腕輪を失った代わりに、アウラを完全に解放した。アウラは私たちの味方よ。彼女の力があれば、我々はシステムに対抗できる――かも知れない」

「かも知れない? かも知れないですって?」

「もう一つは……」

ヘルバはそう言ってから意味ありげに笑った。

「やめておきましょう。システム管理者に話すようなことじゃないわね……」

彼らのやり取りを聞いているうち、僕はふと自分の胸の中である種の了解が去来したのを感じた。理由はわからない。突然思い至ったのだ。今までずっと考えていた疑問に答えのようなものが出たのだ。

「すみません。ちょっといいですか? ヘルバ……」

僕は手を挙げていた。

「何かしら?」

「モルガナ・モード・ゴンって何でしょうか」

しん、と場が静まり返った。 ブラックローズが正気を疑うような目でまじまじと僕を見た。

「あんた、今さら何言ってるの?」

「僕が言ってるのは、元ネタがってこと。つまり、黄昏の碑文の中の扱いだよ」

僕は続けた。

「だって、おかしいと思うんだ。八相はいた。スケィスやイニスといった連中は、黄昏の碑文の中にちゃんと名前が出てる。クビアは、直接名前は出てないけれど、それを思わせるような存在は竜骨山脈のくだりで出てくる。それなのに、モルガナ・モード・ゴンだけはいない。どこにもいない」

ヘルバが僕を見た。

「興味深いわね。続けて」

「『The World』の創造者ハロルドがゲームの中に理想を求めたのだとしたら。そこには娘のアウラだけじゃない。妻のエマだっているはずだ。自分の夢みた家族像を再現する、それがハロルドの願いだったんだから」

ブラックローズが顔をしかめた。

「何を言いたいのかわかんないわよ。それがどうしたってわけ?」

「なるほど。つまり、君はこう言いたいのだな?」

それまで黙っていたワイズマンが口を開いた。

「モルガナ・モード・ゴンはエマ・ウィーラントである、と――」

 

(続く)