小説目次
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ヘルバの、そしてネットスラムの住人たちの同意は取り付けた。
残る問題はリョースをどのようにして会談の場に呼び出すか、ということだった。
なやんだ挙句、会談のセッティングをワイズマンに頼むことにした。
ネットスラムでの顛末を説明すると、彼はにこにこと破顔した。
「見事、ヘルバを味方につけたか。すごいなあ、君は! あとはリョースさえ説得できれば、『黄昏の碑文』の一節を再現することになるんだ! 『ダックの女王ヘルバ、ついに挙兵す。リョースの王アペイロン、呼応して両者、虹のたもとにまみゆ。共に戦うは忌まわしき波』まるで、碑文の一節そのものだ。すげえ!」
ワイズマンと何度かやり取りする内に、彼が感嘆すると時折口調が幼くなることに僕は気づいていた。
ひょっとするとリアルの彼は、PCのイメージよりもずっと若いのかも知れない。
ワイズマンが用意したのは、ごく普通の一般エリアの最深部だった。
僕とワイズマンを立会人として間に挟み、ヘルバとリョースは向かい合った。
「ようこそ、ご来場ね」
ヘルバが言った。
「再会できて何よりだ」
リョースがむっつりと言った。そして僕を見た。」
「それで、この状況は何だ? カイト、説明してもらえるとありがたい。なぜ君たちが音頭をとっている? なぜこの女とつるんでいるのだ?」
「我々はあくまで中立だ、リョース」
如才なくワイズマンが厳かに告げた。」
「中立の立場で、あなたたちに手を組んでもらいたいと願っている。そのためにこの場を用意した」
だが、会談は予想以上に長引いた。
リョースは僕が思っていたよりもはるかに頑なだった。
ある意味、確実な決め球と思っていた「ネットスラムの管理者権限の譲渡」をヘルバが告げても、内心はどうあれ、彼はせせら笑った。」
「なるほど、『信用の担保』というわけか」
リョースは言った。
「ネットスラムの管理者権限か。ご大層なものだ。だがそれだけで我々がハッカーを信用できると思うのか? この女とその一味は、違法の街で大もうけした。荒稼ぎしていた。ただ単にその手段をなくすだけだ。不当に占拠していたデータ容量を明け渡す、ただそれだけのことだ……」
駄目だ、これ以上会談を続けても話が先に進まない。リョースを説得できない。
そう思って青ざめたとき、ヘルバが僕に向かってささやいた。
「いけないわ、坊や。そんな顔をしては。私はあなたに賭けたの。一度そう決めたなら……とことん
「なんだと? 何を言っている?」
ヘルバはリョースに向き直った。
「リョース。ネットスラムだけではない。ハッカーがシステムに差し出す担保は他にもある」
「ほう。言ってみろ。なんだ?」
挑むような顔でリョースが言った。
「ここにあるわ」
と、ヘルバが言った。
「この私よ。同盟を成立させる条件として、PCヘルバをあなたたちに引き渡す。むろんPCアカウントも。パスワードも」
リョースがあんぐりと口を上げた。
その隣のワイズマンも同じような顔をした。
たぶん僕も彼らと同じ顔をしていただろう。そこまでするとは聞いていなかった。
「なにい?」
リョースが驚きの声を上げた。
「このヘルバをあなたたちの好きにするといい」
すさまじい目つきでリョースはヘルバを睨んでいた。
「なぜだ? 正気かヘルバ?」
やがて搾り出すようにリョースが言った。
「なぜ一介のハッカーに過ぎぬお前が……それほどまでに……『The World』に固執する?」
「私は『The World』の行き着く先を見たい。その果てに生まれるものをこの目で確かめたい。ハロルドのプログラムが何物を生み出すのか。あるいは生み出せないのか」
それはまさしくヘルバの真情、この謎めいた、ある意味では不気味でさえあるハッカーの本音だった。
彼女は今、彼女の胸の内を偽ることなく話している。
しかしそう感じたのは一瞬で、その次の瞬間には、ヘルバの声はふたたび
「リョース、あなたは見たくないの? あなたが誇りをかけて守るものが最終的に何を生み出すのか? 究極的には、あなた自身が守っているものが何なのか。それとも、あなたのような石頭は、そういう事柄には興味が無いのかしら?」
「むぐ……」
リョースは苦い顔をして唸った。
「もうひとつ、ついでだから教えてあげる」
ヘルバはさらに畳み掛けた。
「CC社の上層部は茶番劇のシナリオを作り始めたわ。これまで比較的同情的だった関係各省庁も全責任はCC社にある、という見解を発表する手はずを整え始めた。それを知った上層部は、保身のために賭けに出ようとしている」
「賭け、とは?」
「物理的なサーバーの破壊。どうせまた、テロリストかハッカーの仕業とでもいうんでしょうね」
僕は思わず口を出していた。
「そんなことをしたってどうにもならない。ネットワークの汚染は止まらない!」
ヘルバは小さく笑った。
「そう、あなたの言うとおり、CC社はわかってそれをするの。彼らにはネットワークの汚染なんてどうでもいいのよ。でも、私たちはそういうわけにはいかない。ここにいる私たちは。……そうでしょう、リョース?」
「どこでその情報を聞いた?」
「あら、そんなことを言っちゃうなんて、本当だと認めたようなものね。あなたにも心当たりがある?」
「ぐ……」
リョースはヘルバをにらんだ。
「嫌な女だ」
吐き捨てるように言い、ついで僕を見た。
「嫌な子供だ」
僕も?
「今の我々には、手が回らないことを承知で……『ネットスラム』と『ヘルバ』をこちらにパスしてくるか。とんでもない悪知恵だ」
ぶつぶつとつぶやくように言ったかと思うと、大きな声で怒鳴った。
「ハッカーの賄賂など受け取って共闘できるものか。システム管理者の恥だ!」
場に緊張がみなぎった。
「……だが、改心したハッカーを暫定的に雇うということであれば……問題はない」
「体裁はご自由に(笑)」
「ヘルバ。今、貴様を拘束せず、ネットスラムを徴収しないのは、単に時機が悪い、ただそれだけだ。一連の事件が解決したなら、いずれネットスラムに巣食うハッカーどもとまとめてデリートしてやる。それを忘れるな」
「忘れないわ。覚えていたらね」
リョースは僕とワイズマンを見た。
「返事はすぐにはしない。一度持ち帰って検討する。その後、メールで知らせる。それでいいな?」
「もちろん」
ワイズマンがうなずいた。
リョースはそれから一言もなく転送消滅した。
彼の姿が見えなくなると、僕はその場にへたりこんでしまった。
全く今日という日は今までで一番長く感じた『The World』だった。
次の日の朝、リョースからメールが届いていた。
承知した、とだけ書かれていた。
(続く)