小説目次
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僕たちはカルミナ・ガデリカのカオスゲートで落ち合った。
「残念ながら、情報が足りない」
最初にワイズマンはそう言った。
「私自身も含めて、ここにいる三人は手持ちのカードがまだ充分ではない」
彼は穏やかな笑みを浮かべて僕を見た。
「そこで提案だ。メールにも書いたが、私たちはまずヘルバに会うべきだと思う。それも、できるだけ早く。可能なら今すぐにでも」
「ヘルバに?」
「間違いなく、『伝説のハッカー』ヘルバは一連の事件について何かを手がかりを持っている。彼女の協力を得ること、それが君の取るべき行動だよ」
「そうは言っても……ヘルバは神出鬼没というか……いつも突然現れて、言いたいこと言って消えちゃうし」
僕は口ごもった。
「大体、僕からヘルバに連絡を取る手段なんてないよ」
「ヘルバは『ネットスラム』にいる」
ワイズマンは言った。
「ネットスラム? 何それ?」
ブラックローズが聞き返した。
だが、僕はその言葉に聞き覚えがあった。
「いや、ちょっと待って。それって確か――」
「そう。リョースにデリートされた不良データがその名を口走っていた」
ワイズマンはうなずいた。
「ネットスラムとは、ヘルバが『The World』内に作り上げた違法サーバーのことだ」
「違法サーバー……」
「つまり、不正規のルートタウンだ」
不正規? チートで作った非合法の街ということか?
「ワイズマンは、ネットスラムの場所を知っているの?」
「もちろん。だが、情報としてエリアワードを知っているだけだ」
ワイズマンは言った。
「私自身は行ったことがない。行きたいとも思わない。あの街は余所者にとって恐ろしい場所だと聞いているからね。ネットスラムは、ハッカーたちの楽園であり、一種の無法地帯なんだ」
「じゃあ、あたしたちも危ないんじゃ……」
「だが、君たちの今までの話を総合すると、ヘルバはおそらく君に対して『興味を持っている』。いかなる理由のためかはわからないが、君が一緒ならば、いきなりとって喰われるようなことはないだろう」
ワイズマンは言った。
「もちろん100パーセント確実に安全とは言い切れないがね。いかがだろうか? 判断は君に任せるよ」
ワイズマンが言った。
それについては考えるまでもないことだった。
「うん。行こう、ネットスラムに」
僕は即答した。
カオスゲートでワイズマンに転送手続きをしてもらった。
その時、ふと誰かの視線を感じたような気がした。誰かが隠れて僕たちのことを見ている。そんな気がしたのだ。
だが周囲を見ても、それらしい人影はなかった。
「どしたの?」
僕の様子に気付いたらしいブラックローズがそうたずねた。
僕は首を振った。勘違いだったようだ。
不穏な場所に赴くことでナーバスになってしまっているのかも知れない。
「いや、なんでもない。ちょっとね」
「さあ、準備はいいかね?」
ワイズマンが振り返って僕たちを見た。
「これから行く場所はタウンではなくエリアだと思ったほうがいい。決して油断しないように……」
ノイズが走り、画面が真っ暗になった。
一瞬後、僕たちは今まで見たことがない夕暮れのエリアに立っていた。
いや、ここはタウンなのか。
爆弾が数発落ちては崩壊した都のような場所だ。
スラムというよりは廃墟。廃墟というよりはゴミ溜めと言った方が実物に近い。
僕たちが転送してきたカオスゲートの傍らには、朽ちかけた鳥居が傾いたまま立っている。
「ここが……ネットスラム?」
顔文字がそのまま顔になったPCや立体感のない座敷わらしのようなPCが、そこかしこにうずくまっていた。この街の住人たちだろう。彼らは僕たちに気付くと、ゆっくりと身を起こした。
それは獲物の存在を察した肉食獣の群れが草むらの中で身じろぎする動きに似ていた。
「余所者だ」
ひそひそ声が聞こえてきた。
「余所者が来たぞ」
「余所者だって」
「余所者だよ」
「余所者! 余所者!」
ワイズマンが前に出て言った。
「私はワイズマンというものだ。今日はカイトの補佐としてこの街にやってきた。君たちの長ヘルバに会いたい」
「かわいがってやろうか……」
「データぶっこぬいてやろうか……」
「バラバラにして……素材は高く売れる……」
物騒なことをつぶやきながら、人ならざる姿の住民たちが迫ってくる。
「なんなのよ、こいつら!」
ブラックローズがいち早く大剣を抜いて身構えた。
「それ以上近づくとぶっ飛ばすわよ!」
「待て、手を出すな。ヘルバと話す前にトラブルは避けたい」
ワイズマンが言った。
「もうトラブルの真っ只中でしょ! これ!」
その時だった。
「待ちなさい」
威厳のある声が僕たちの頭上から聞こえてきた。
見上げると、夕暮れの空にヘルバが浮かんでいた。
「私の客よ。彼らに手を出すな」
ヘルバがそう言うと、ネットスラムの住民たちは後ずさりし、影のように姿を消してしまった。
ヘルバはゆっくりと僕たちの前に降り立った。
目元を覆うマスクにさえぎられてその表情はわからない。
「――よくこのタウンにたどりついたわね」
先ほどの厳しい声とは打って変わってヘルバが面白がるような口調で言った。
「その、えーと、ヘルバからいろいろ話を聞きたいと思って」
「話ならいくらでもしてあげる。必要なことを、必要なときにね」
ヘルバはそう言って空を見上げた。
「だけど、残念ね。今は駄目。お客様が多すぎる」
「え?」
その途端、耳障りな高い音があたりに鳴り響いた。
この音は……
僕たちから数メートル離れたところの空間がゆがみ、商人のNPCが現れた。
「リョース!」
僕は驚いて叫んだ。
(続く)