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第35話

『世界』にひずみが生じ始めている。

バルムンクが言うように、腕輪を持つ僕がトラブルの原因なのだろうか?

アウラは「滅びにも、救いにもなる大きな力」と言っていた。

今の僕自身はどちらに向かっているんだろう?

そもそもそんなものを託されたって困る。僕は平凡な中学二年生男子に過ぎないのに。

そんなことを考えながらパソコンを立ち上げると、アウラからのメールが届いていた。

特徴的な文字化けの文章で送り主の名を見るまでもなくそれがわかった。

件名:来@くだ%い

送信者:ア#*

本文:
@なた#私の最*の希望。
私を&ージでき#のは、あ*#だけ。
Δデルタサーバー 容赦なき 嘆きの 竃
ダンジョンに来*。
私の%グメントを届けて。
クビアに気を#けて。

アウラはまだ生きている? 生きているという表現が彼女にとってふさわしいのかどうか別問題だが、とにかく彼女はこうやって僕にメールをよこしてきている。

彼女に会わなければならない。

だが「私の%グメント」ってなんのことだろう? わからない。

とにかくブラックローズに連絡し、カルミナ・ガデリカで落ち合った。

エリアに行く前に装備を整えていこうという話になり、道具屋と魔法屋を見て回った。

相変わらずタウンは無人のままだ……と思ったら、何人かちらほらログインしていた。一般ユーザーたちが『The World』に戻ってきたのだろう。

だが彼らの様子はどうもおかしかった。三人や四人程度の小グループで固まり、ぼそぼそと話し合ったりしては陰気にため息などついている。

目はうつろで、僕やブラックローズにも気付いていないようだ。

そのうちのひとつに何気なく近寄って耳をそばだててみると……

「気のきいたこと言えって言われてもねえ……そんなことするために雇われてるんじゃないのに……」

「サービス残業はんたーい……」

「眠い……帰りたい……」

「くそー。えらそうに命令しやがって……たかが係長のくせに……」

「ホントだよ……あの野郎……何が光の王リョースだよ……」

意外な名前が出てきたので僕は思わず立ち止まった。

話をしていた数人が振り返り、僕とブラックローズを見た。

一人が叫んだ。

「あっ。腕輪のカイト……!」

そう名前を呼ばれた途端にピンと来た。

「……ひょっとして、リョースの部下の方たちですか?」

リョースが僕をデリートすると脅しをかけてきたときに一緒に現れた彼の部下たちだ。外見はあの時とはまるで違うが。

「あー。何だっけ? 確か豚骨隊?」

ブラックローズが言った。

「違う。豚走隊……」

僕の名前を呼んだPCが訂正したが、その言葉には力がなかった。

「あんたたち、何してるの?」

「異常が起きてないふりをしてるんだよ」

「社員なのに、一般PCを装ってんの」

「やってらんないよねー。残業ばっかりでさあ」

なんだか最初に会ったときと比べて態度というか話し方が全然変わっている。いい意味で力が抜けているのではなく、悪い意味で単に惚けている感じだ。どうしたのだろう?

「ロールしないんですか?」 

リョースの説明を思い出して僕は言った。

「いい事を教えてあげよう。月の残業が40時間を越えると、人はロールでも何でもしがみつきたくなる。自分を奮い立たせるためにね……」

相手はぼんやりした声で言った。

「でも80時間を越えると、ロールなんかどうでもよくなってくるのさ……」

ふと気付くと、僕と話をしている人以外のPCは動かなくなっていた。彼らの口からは穏やかな寝息のようなものが聞こえてくる。

気になっていることを聞いてみた。

「あの……豚走隊ってどういう意味なんですか?」

返事はなかった。彼も他の人と同様に立ったまま動かなくなってしまった。

 

おかしな人たちに遭遇してしまい、いきなり出鼻をくじかれてしまったが、僕とブラックローズは気を取り直して、アウラに指定されたエリアへ行った。ダンジョンに潜り、最深部を歩いていたときだった。

突然、目の前にアウラがあらわれた。

正確には、アウラの影だ。ホログラムのような映像が僕たちの前に映し出された。彼女はぐったりとして生気がなかった。

彼女は僕に助けを求めてきた。でも、どうすればいいのだろう?

と、僕の右手首、腕輪のある辺りから、光の筋が放たれた。

光がアウラを包み込むと、彼女の頬に生気が宿った――ような気がした。

アウラは蘇るかもしれない。そう思った矢先に、突如として周囲にノイズが走った。

なんてことだ。この感じ。まただ。

ノイズにかき乱されるようにしてアウラの姿は消えてしまった。

次の瞬間、僕たちはデータ数列の漂う不思議な空間に転送されていた。

死神や壁画モンスターと闘ったときと同じだ。

「カイト、また何か出てくるんじゃ……」

ブラックローズが不安そうな声を上げた。

「大丈夫、勝てるよ」

僕はそう言って彼女を励ました。

「この前の壁画のモンスターはあっさり勝てたでしょ? これから何が出てくるのかはわからないけど、僕たちは強くなってる。だから……」

僕の言葉は途中で止まった。絶句してしまった。

死神を倒したときに生まれた巨大な怪物が僕たちの目の前にいたのだ。

僕たちは虚空にそびえたつ舞台のような場所にいた。

そいつは巨大な顔でのぞきこむようにして僕たちを見ていた。そのまま、ゆっくりと上昇していく。骸骨に似た頭部がゆっくりとせりあがり、ついで胴体が現れた。大木にツタが絡みついているようなデザインだが、とにかく大きすぎて全貌がよく理解できない。

こいつと戦うのか? 以前一息で僕たちを吹き飛ばしたこの怪物と。

でもやらなければならない。ヤスヒコを救うために、アウラを救うために、倒さなくてはならない。

怪物の胴体には心臓のようなものがあり、どくどくと脈動していた。おそらくあれが急所なのだろう。僕たちのいる舞台から見てぎりぎりの位置にあるが、おそらく届くはずだ。

僕はブラックローズに合図すると、怪物に向かって同時に駆け出した。

その時、僕たちの頭上から黒い塊が降ってきた。何かの球根のような小型モンスターだった。

まとわりつくような小型モンスターたちの妨害を避けながら、僕たちは攻撃を続けた。やっかいなのは、小型モンスターのHPがどんどん回復していくことだった。

僕たちのHPもがりがりと削られていった。直前にタウンで装備を整えておいて本当によかった。

ブラックローズのふるった重剣の一撃が、巨大な怪物の急所を深々とえぐると、怪物は断末魔のような叫び声をあげた。口から黒い煙を吐き、虚空に沈み込んでいく。

だが、洞窟のような眼窩に光が宿ったかと思うと、怪物は一気に急上昇してかなたへと飛び去った。すさまじい勢いだった。その余波で亀裂のようなノイズが奔り、僕は思わずしりもちをついた。巨大な怪物は影も形もなくなっていた。逃げ去ったのだ。

「クビアを撃退するとはね。恐れ入ったわ――」

僕の背後で声がした。見るまでもなく、その声の主が誰なのかわかった。こうも何度も同じことを繰り返されては嫌でも読めてしまう。振り向くとやはり彼女だった。ハッカーの女王ヘルバだ。

「クビア?」

ブラックローズが聞き返した。

「お前たちが追い払った今の怪物の名前よ。それはさておき――」

ヘルバは立ちあがった僕を見た。

「まずはお前がやるべきこと。それはアウラの解放よ」

「アウラの解放?」

ヘルバの言葉で、僕はクビアが割りこんでくる前のアウラの姿を思い出した。

「アウラは三つのセグメントに分割されてその力を封印されてしまっている。そのうちの一つを、お前はすでに先のスケィスとの戦いで取り戻した」

知らない単語がぽんぽん出てきて困る。いや待てよ。スケィスというのは、死神をデータドレインしたときの文字列にそう書かれていた。

「それがオルカを救うことになる。可能性の問題だけどね。今、私に言えるのはそれだけよ」

「あの、ヘルバ――さん。聞いていい?」

「さんはいらない。ヘルバでいい。何かしら?」

「スケィスとか、セグメントって何のこと?」

「私を引率の先生か何かと勘違いしているの?」

ヘルバは冷たく微笑んだ。

「言ったはずよ。私がお前に協力してもらっているの。その逆ではないのよ」

ヘルバは転送して消えた。

言うべきことだけを言い、答えなくてもいい質問は無視してさっさと立ち去ったのだ。

 

(続く)