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第48話

もうリョースの指示を待たない。僕たちは自分の判断で動く。
そう決意した途端、アウラからのメールが届いた。まるで僕たちの意志が固まるのを待っていたかのようなタイミングだった。

件名:@願い
送信者:%ウ&
本文:
Λラムダサーバー 容赦なき 嘆きの 竈
で待%てる。
必ず来%。
今度@そクビアに見%から@いように。
&願い。セグメント%。

ヘルバの行方を追跡するためワイズマンにはタウンに残ってもらい、僕、ブラックローズ、バルムンクの三人でエリアに行く事にした。

「セグメントってなんのこと?」

メールを読み終わったブラックローズが尋ねた。

「よくわからない」

正直に僕は答えた。

「でもアウラに会えばわかると思う」

転送先のエリアは赤黒く汚染されたフィールドだった。
ノイズがひらめく中を僕たちは走った。
アウラはダンジョンの最深部にいた。
この間と同じく陽炎のように儚い姿で宙に浮かんでいた。
僕が彼女に話しかけようとした時、胸のあたりから真紅の珠が浮かび上がってきたので驚いた。
もしかすると、これがセグメントなのだろうか。
僕はそれに見覚えがあることに気づいた。
死神スケィスを倒した時、三つの球が飛び散っていった。そのうちの一つだ。
赤い球はふわふわと上昇すると、アウラの体に吸い込まれていった。
アウラの半透明な体が揺らいだかと思うと、その輪郭がはっきりしたかのように思った。
アウラは口を動かしていた。何かを必死に訴えているようだ。

「何か言いたそう……」

ブラックローズが囁いた。
僕は彼女のすぐそばまで近づき、耳を寄せようとした。
その時だった。おぞましいつんざくような吠え声があがった。
むろんアウラの声ではない。これは……

「クビア!」

ブラックローズが叫んだ。
僕とアウラの間に、地面を割って青白い巨大な根が現れ、僕たちを遮った。根の勢いに煽られるようにしてアウラの体が揺らぎ、そのまま消えてしまった。

「待って、アウラ……」

呼びかけたがもう無駄だった。アウラはいなくなってしまった。
この前と同じだ。またしてクビアに邪魔されたのだ。
再び咆哮が響き渡った。辺りは暗闇に飲み込まれ、僕たちの目の前にクビアが現れた。

「デカい……デカすぎる! こんなヤツとまともに戦えるのか」

クビアとの戦闘を経験していないバルムンクがうめいた。

「やらなきゃ、やられちゃうわよ!」

ブラックローズが怒鳴った。

クビアとの三度目の邂逅は激しい戦闘になった。
最初に遭遇した時、僕たちはまるで相手にならず、一息で吹き飛ばされてしまった。
その後、僕たちは力をつけて、二度目の戦闘ではクビアを追い払うことができた。それからさらに成長して、バルムンクも加わり、戦力的には前回を大きく上回っているはずだった。
にも関わらず、クビアは僕たちを翻弄し、苦しめ、時には全滅寸前にまで追い詰めた。
バルムンクの獅子奮迅の働きがなければ、僕たちは敗北していたかもしれない。
まさしくバルムンクは『フィアナの末裔』という格好いい呼び名にふさわしい練達のプレイヤーだった。
長い死闘の果てに、彼はついにとどめの一撃をクビアに浴びせた。
致命傷を受けたクビアは苦痛の叫びを漏らすと、ゆっくりと地面に沈み始めた。
やった、と思った。
だがその一瞬後、クビアは急上昇すると、色調の反転した空へ吸い込まれるように消えていった。
またしても、だ。
勝つには勝ったが、追い返しただけだ。
クビアは前よりも強くなっている。
まさか僕たちプレイヤーみたいに雑魚モンスターを相手にバトルして経験値を稼いでいるわけではないだろうが、僕たちと同じくらい、いや、ひょっとすると、僕たち以上のペースでクビアも成長している。
仮にまた四回目のクビアとの戦闘があるとして、それはどれほど激しいものになるのだろうか。この分では先が思いやられる……

「でも、カイト。一つわかったね」

暗鬱とした気持ちになっていると、不意にブラックローズが確信に満ちた声で言った。

「え? 何が」

「クビアはアウラとカイトを会わせたくないってこと」

僕は今までのことを思い出した。
言われてみればその通りだった。
アウラの呼び出しに応えて僕が彼女と会おうとするたびに、クビアはことごとくその妨害をしてきたのだった。

「でもさ……僕とアウラが会えば、どうなるの? どうして、クビアはそれを邪魔するの?」

「それはわからないけどさ」

ブラックローズはあっさり答えた。

「まあ、そういうことはワイズマンに聞けばいいんじゃない?」

それはその通りだった。
この『The World』は黄昏の碑文を下敷きにして構成されているという。だったら、その専門家であるワイズマンに聞くのが一番いい。
いや、待てよ。
僕はおかしなことに気付いた。
そう言えば、黄昏の碑文にはクビアが載っていない。
なぜだろう?
今回の報告がてら、その辺りも一緒にワイズマンに尋ねてみようか……
そんなことを考えながらカルミナ・ガデリカに戻ると、思いがけない人たちが僕らを待ち構えていた。
商人のNPCたち。豚走隊だ。
そしてその中央にはリョースが仁王立ちしていた。
全員腕組みをし、無言で僕たちを睨んでいる。

「また勝手に動いたな」

やおら低い声でリョースがうなった。世界中の不機嫌を集めて煮出したような声音だ。

「データを安定させようとしているのに、君たちが動いてしまっては困る。今後は慎みたまえ。でなければ、ペナルティを与えるぞ。これは警告だ……」

じろり、と僕たちを順繰りに睨んだ。

「わかったな……」

その居丈高な態度に、僕は反射的に言っていた。

「わかりません」

「……なんだと?」

しまった。思わず口をついて出てしまった。

「ヘルバと協力してください」

僕は思い切って言うことにした。もう後戻りはできない。このまま説得するしかない。

「何――」

虚を突かれたらしくリョースは目を見開いた。

「何を言っている?」

「あんたの指示なんか聞けないって言ってるのよ!」

ブラックローズが叫んだ。

「僕たちだけでは駄目なんです。限界がある」

僕は言った。

「でも、ヘルバは僕たちの知らないことを知っている。あなたがヘルバと協力すれば、事件を解決できる見込みがある」

「待て。それは違うぞ……」

「くだらない大人の面子なんか捨てて、ともに手をとってください。お願いします。『The World』のために……」

僕は頭を下げた。

「ヘルバを信じてください」

その時だった。リョースが怒鳴った。

「だまらんかぁー!!!」

空間が震えた。
そのあまりのすさまじさに僕とブラックローズは思わず腰砕けになり、二人並んでその場に尻餅をついてしまった。視界の隅でバルムンクが後ずさりするのが見えた。彼の右手が反射的に剣の柄を握ろうとしていた。それほどの迫力だった。
豚走隊もなぜか全員背筋をぴんと伸ばして気をつけの姿勢で整列している。
リョースは僕たちを見下ろした。

「君たちがそう言うのか? 『The World』のプレイヤーである君たちがハッカーを信じろと?」

もう声を荒げてはいなかった。いつもの冷静な口調に戻っていた。
しかしリョースは明らかに完全に怒っていた。

「今の学校の授業では、インターネットの歴史を学ばないのか? 二〇〇五年に何が起きたのか……」

僕は返答に詰まった。
それは――習う。
現代社会史で、プルートキス以前、プルートキス以降の二つに分けてネットの歴史を学ぶ。

「プルートキスのウィルスを原因とするネットワーククライシスによってネット社会は一度終焉した。君たちも経験しているはずだ。ネットワークという光のインフラを奪われた経済を、人間を、あらゆるモノとモノの関係性を。初期の大混乱と、収拾のつかない活動の遅滞を。数十億の悲喜劇が奏でた協奏曲を。既存の基幹ソフトとセキュリティを崩壊させ、核戦争の危機とともに人類地球を揺るがした悪魔のウィルスを作ったのは、当時わずか十歳の少年だった。あれから四年……そう、カイト。君と同じ年齢だ。プルートキスは人類の技術革新を二十年は巻き戻したと言われている」

教壇の前に立つ教師のようにリョースは続けた。

「プルートキスだけではない。インターネットの歴史はそのままハッカーの愚行史でもある。思い上がったハッカーの自己本位な行動が引き起こしたトラブルは星の数ほどある。年表を作って一覧にしても収まらないほどだ。へルバを信じろと言ったな。ヘルバはハッカーだ。今現在、ヘルバのような人間のためにどれほどの損失が出ているか君たちにわかるか?」 

僕たちは返事もできなかった。

「ネットスラムを見ただろう。あの不正規の街が『The World』にどれだけの損害を与えていると思う。あの街は存在するだけでサーバーに不当な負荷をかけ、わが社に甚大な損害を与え続けている。その金額を稼ぐのに一般の人間がどれだけ働かなければならないか想像もつかないだろう。ハッカーは息を吸うように不当に金を盗む。それだけではない。あの街は大勢のハッカーどもを匿っている。犯罪の温床だ。マネー・ロンダリングの拠点という噂もある」

リョースの声が響いた。

「大人のメンツを捨てろと言ったな。そんなものでどうにかなるのなら好きなだけくれてやる。いいか、よく聞け。私はシステム管理という仕事に誇りを持っている。これは私だけではない。CC社に在籍する社員は、システム管理者もデバッガーも、グラフィッカーもプログラマーもゲームデザイナーも、広報も総務も人事も、誰もが皆誇りを持って働いている。世界唯一にして最高のゲーム――『The World』のために働いているという自負があるからだ。『The World』を楽しんでくれるユーザーのためなら、どんな仕事でもひきうけよう。どれほど過酷な残業でもひきうけよう」

喋り続けるリョースの声がほんの少しだけ変化した。

「だが、そのユーザーの君たちが、ハッカーを信じろと……そう言うのか?」

リョースはそこで口を閉じた。
僕たちには言葉もなかった。
リョースの言葉の底にはある種の悲しみのようなものがあった。
しかし静寂は一瞬だった。
リョースが再び口を開いた。

「……仕方がない。君たちの処分を行う。ペナルティを科す!」

ペナルティ?
僕は反射的に身構えた。だが何も起きなかった。僕自身には。
その代わり、ブラックローズの悲鳴が上がった。
バルムンクも驚きの声を上げた。
彼ら二人の体に、何か特殊な呪紋攻撃を受けたときのようなエフェクトがかかりはじめたのだ。

「カイト。我々は腕輪を持った君には直接干渉できない。だが、君の動きを封じる方法はいくらでもある」

リョースが言った。

「君の仲間たちのレベルを『1』に強制ダウンさせた。また、今後どんなに戦闘を重ねてもレベルアップしない。経験値がたまることはない」

なんだって? そんなひどいことを。

「君は一人で何か為せるほど強くはない。君の動きを封じるには、君の仲間たちのレベルをさげれば済む。それで十分なのだ」

「あんた、汚い!」

われに返ったブラックローズが叫んだが、リョースはせせら笑った。自嘲ともとれるような乾いた笑い方だった。

「そうだな。汚いだろう? これが大人のやり方だ。この世界を守るために我々はいつだって満身創痍だ。こういう手段に頼らなければ、体が保たない」

そして声の調子を変えて低い声で言った。

「ブラックローズ。バルムンク。君たちをデリートしなかったのは、せめてもの温情だと思ってもらいたい。カイト、事前に言っておこう。もし他のプレイヤーを誘ってパーティーを組んだ場合、そのプレイヤーにも同様のペナルティを科す!」

「そんな! そんなのって……」

ブラックローズが叫んだ。

「今後、君はわれわれの許可なしに他人とパーティーを組んではならない。わかったな? では、以上。解散!」

 

(続く)