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第19話

僕はブラックローズを高山都市ドゥナ・ロリヤックに呼び出してこれまでの経緯を彼女に話した。

情報屋のリンダから聞いた事柄。

アウラらしき差出人からのメールと、ヘルバからのメールの内容。

そして後者のメールに記載されたエリアには、おそらくアウラとあの「死神」がいるであろうことを。

「つまり、あたしについてきてくれってんでしょ。わかってるって」

と、ブラックローズは胸を張って言った。

「おねーさんに任せなさい!」

「……ありがとう」

僕は言った。

正直なところ、彼女がどんな思惑で僕の冒険に付き合ってくれているのかよくわからない。というよりも、あまりにも簡単に引き受けてくれるので、ひょっとすると何も考えていないのではないかとさえ思ってしまう。

しかし、とにかく彼女の助力はありがたかった。事情を知っている人間が近くにいてくれるのは心強い。

「……でも、あんたとあたしと、二人だけで行くつもりじゃないでしょ? パーティーの三人目はどうするの?」

『The World』で冒険をするうちに、人見知りで内気な僕にも、ブラックローズ以外にやりとりする仲間たちができた。

重斧使いヘビーアックスのぴろし。呪紋使いウェイブマスターのミストラル。双剣士ツインユーザーのなつめ。重剣士へビーブレイドの砂嵐三十郎。重槍使いロングアームのガルデニア。

皆、心強い味方となってくれるPCたちだ。

だが、その時、僕の頭にあったのは、彼らの名前ではなかった。

「そのことなんだけど」

と、僕は言った。

「バルムンクに頼もうかと思ってる」

「えー? あの羽根男に?」

ブラックローズは目をむいた。

「それ本気で言ってんの? あいつ、聖堂であんたにひどいこと言ったじゃない。あんな奴に助けを頼むなんて。……第一、手助けなんかしてくれるわけないよ。難癖つけられて断られるだけだって」

「ううん。頼めば、きっと協力してくれると思う」

彼はオルカの相棒なのだから。

「でもさ、他に頼りになってくれそうな人たちがいるじゃん。ミストラルとか、なつめとか。ぴろし、砂嵐三十郎……」

ブラックローズはなおも言い募った。どうやら彼女はバルムンクに対して良い印象を持っていないようだった。

「でも、彼は一番強い。僕の知り合いの中ではね」

「あたし、あいつ嫌いだなー。ちょっとPCがかっこいいからって調子に乗っててさ」

その時、声がした。

「ふん。くだらん言いがかりだな」

見ると、銀翼の剣士バルムンクが僕たちのすぐそばに立っていた。

ドゥナ・ロリヤックを吹き抜ける高山の風のせいで、彼が近づいてくるのに気付かなかったのだ。

「今言ったことがそうか? お前の話というのは」

バルムンクが僕を見て言った。

「僕が呼んだんだ。リンダって人に連絡を取ってもらったんだよ」

僕はブラックローズに小声で説明した。

そしてバルムンクに向き直った。

「そうだよ。……聞いていたんなら、話は早い。僕たちはこれから、オルカを意識不明にした元凶に会いに行く。きっと戦いになる。手を貸してほしいんだ」

「この俺がハッカーと組むと本気で思っているのか?」

「ちょっと。カイトはハッカーなんかじゃないって」

ブラックローズが文句を言った。

「ヤスヒコの……オルカのためだよ」

と、僕は言った。

「僕はヤスヒコを助けたい。バルムンクは相棒のオルカを助けたい。目的は同じなんだ。なら一緒に戦えるんじゃない?」

バルムンクは鋭い目つきで僕を睨んでいた。しばらく何かを考えているようだった。

「ふん」

やがて口の端をゆがめてあざ笑った。

「なるほどな。お前の考えが読めたぞ。おおかたハッカー同士の縄張り争いといったところか」

「なんですって?」

ブラックローズが言った。

「ライバルのハッカーを蹴落とすために、この俺を利用しようと言うつもりか。仮に俺がやられて意識不明になったとしても、お前にとっては一石二鳥というわけだ」

「なに馬鹿なこと言ってんのよ!」

ブラックローズが噛み付くように言い、僕の方を向いた。

「ほら、カイト。こんなのと話したって嫌な気分になるだけだよ。時間の無駄だって」

「いいだろう。協力してやる」

バルムンクが言った。

「え――」

「だが、お前の描いた絵図通りに行くと思うなよ。お前の提案は、俺にとっては、ハッカーを一網打尽にするチャンスに過ぎんということだ。せいぜい戦闘中は俺に背を向けないようにするんだな」

彼は僕たちの前を通り過ぎ、カオスゲートに向かって足を進めた。

「さあ、早く案内しろ。元凶とやらがいるエリアにな」

 

ヘルバに教えてもらったエリアに行くと、そこは虚空だった。

耳をつんざくような風の音。聖堂のエリアと同じような、薄明るい逢魔が時の空。

このエリアの漂わせる空気に覚えがあった。僕は一瞬で理解していた。ここはオルカが意識不明にさせられたエリアと同じ種類の場所だと。

ブラックローズは絶句していた。

バルムンクは周囲を見渡してうめいた。

「これは……こんなエリアが、『The World』に存在するはずは……」 

僕はとある方向を見てはっとした。

そこには白い服を着た女の子が浮いていた。顔は青ざめ、目を硬く閉じ、僕たちにまるで気付いていないようだった。

彼女だ。オルカに本を渡し、ヘルバのメールではアウラと記されていた少女だ。

「君は――アウラ!?」

僕は叫んだ。

少女はうっすらと目を開け、僕たちの姿を認めるとかすかに微笑んだ。

「届いてたんだ……私のメール。でも――」

生命力を急速にうしないつつあるような、小さくはかない声だった。

「間に合わなかった……」

アウラの背後に突如として十字架が現れた。

そしてそのさらに後ろに、あの「死神」が姿を現した。

少女は十字架に貼り付けにされたまま上空に舞い上がり、彼女を掲げるようにして「死神」も宙に浮かんだ。

その左手にはすでに禍々しいエネルギーが充填されつつあった。これから何が行われようとしているのか気付いて僕は戦慄せんりつした。

アウラは全てを覚悟したように目を閉じた。

「やめろ!」

僕は叫んだが、何の意味もなかった。「死神」の放ったデータドレインはアウラを背後から貫いた。

一瞬間を置いてから、アウラの体が飛散して消えてしまった。彼女は悲鳴を上げなかった。後には深紅の球がよりどころを失い戸惑うようにふわふわと浮いていた。次の瞬間、その球は三つに――確かに三つだったと思う――引き裂かれ、空へ飛んでいき、見えなくなった。

僕は「死神」を睨んだ。アウラがやられてしまった。オルカを救うためにどうすればいいのか、手がかりになる情報を聞きだす前に。

いや、まだ間に合う。「死神」が元凶なのだ。コイツを倒せば、きっとオルカが戻ってくる。

「死神」は十字架の杖を手に取ると、威嚇するように僕たちの方へ突きつけた。

僕は瞬間的に逆上していた。

せっかく見つけた手がかりを直前で台無しにされた怒りもある。

だが何よりも僕が感じたのは、オルカを意識不明にし、僕の右腕が同様の力を宿す、「死神」のデータドレインに対する怒りだった。

お前はデータ的に無防備な相手にトンカチを振り回して得意がっているだけに過ぎないのに――僕は思った。お前のスキルはプログラムの狭間で生まれたちっぽけで姑息なバグに過ぎないのに――何を得意がっているんだ?

激しい怒りに駆られて、僕は突っ込もうと身構えた。

だが、それよりも早く、バルムンクが叫んだ。

「バクリボルバー!」

彼の放った炎撃のスキルが「死神」に命中し、相手をわずかにひるませて後ずらせた。

「馬鹿が! 双剣士ツインユーザーが突っ走るんじゃない! サポートに徹しろ!」

彼は後ろも振り向かずに怒鳴った。

「前衛は俺たちがやる! 行くぞ、ブラックローズ!」

「気安く呼ぶなっちゅーの!」

そして泥の中を這いずり回るような、延々と続く死闘が始まったのだ。

 

バルムンクの叱責で我に返ると、僕は二人の回復役に回った。

じきにそれが戦略的に正しかったことがわかった。

「死神」の攻撃は熾烈を極めた。

もし僕がバルムンクやブラックローズとともに一緒に前に出ていたら、三人ともそろって回復不可能なほどの大ダメージを受けてしまっていただろう。

僕は相手の動きに合わせて時には双剣を振るい、時には攻撃呪文を、時には回復アイテムを使った。

無限とも思える時間が流れ、ついに、「死神」の体力が弱まったことを示すエフェクトが表示された。データドレインを放つチャンス。タイミングは何度も練習してつかんでいた。

右手を突き出して掌を開くと、データ数列の幾何学模様が展開し始めた。

腕輪の閃光を全身に浴びながら僕は思った。これで全てを終わらせる、と。この一撃で「死神」を倒し、ヤスヒコを元に戻す、と。

次の瞬間、データ数列の束が奔出して、あやまたず敵の黒い体を貫いていた。「死神」自身がヤスヒコやアウラに対して行ったように。

「死神」の体からデータの奔流が始まった。

新品のポンプのような力強さで僕の腕輪が無数の文字列を吸い取っていく。

その時、僕は奇妙なことに気付いた。文字列は僕にとって意味を成さないただの模様に過ぎなかったのだが、すさまじい速さで手元に引き寄せられてくるそれを、突然、解読できるようになった。僕の脳が、文字列の正しい読み方をなぜかいきなり理解し、認識したのだ。それはある法則の元にただ一つの名前を記述しているのだった。「スケィス」と読むことができた。

スケィス? 何のことだろうか?

やがて、文字列を僕の腕輪が残らず吸いとり終えると、「死神」は不細工な石灯籠のようになってしまった。

その状態になって初めて「死神」は苦しげな唸り声を上げた。それでもまだ僕たちを攻撃しようとするそぶりを見せたが、バルムンクの容赦ない一撃が「死神」にとどめをさした。

通常のモンスターはHPがゼロになるとその場に倒れて死亡表示のモノトーンとなり消滅する。だが「死神」はそうならなかった。

ぐずぐすと溶けて液体となり、その場にわずかばかりの水溜りをつくった。

「死神」の水溜りは地に染み込んで黒い影となり、地面に広がった。地鳴りが始まり、沸騰したような気泡を立て、はじける泡に呼応するかのように、鋭く巨大な樹が地面を突き破ってそそり立った。次から次へと、無数の樹が現れ、僕たちは反応する間もなく取り囲まれていた。

不意に、眼に写る世界の全てが反転し、二重写しとなり、ノイズが走った。

その途端、一切の音が急に途絶えた。

つい先ほどまで沸き立っていた黒い影も、地面から出現した巨大な樹も、消えていた。

何もかも元に戻っていた。

ただ「死神」と少女がいないだけ。

だが、もちろんそうではなかった。

僕は何かの気配を感じて空を仰いだ。 

僕たちの頭上、はるか上空にそれはいた。ねじれた樹木がよりあつまってできたような青白い怪物。「死神」も大型モンスターに匹敵する大きさだった。だが、空に浮かぶ怪物は「死神」などよりもはるかにとほうもなく巨大だった。

複雑に入り組んだ体の奥で、心臓のようなコアが脈動している。それより上部がどうなっているのか、全貌を見ることができないほどにその怪物は大きかった。

怪物がゆっくりと身をねじったように見えた。

突然、ゲーム内の空気がびりびりと震えた。

地面が揺れ、裂け、すさまじい突風が僕たちに襲い掛かった。

僕もブラックローズも、翼を持つバルムンクでさえも反応できなかった。

怪物が咆哮したのだ。

ただそれだけで僕たちは塵芥じんかいのようにもみくちゃにされ、吹き飛ばされた。「死神」との戦いが茶番に思えるほどの圧倒的なパワー。

どこかの岩場に全身を叩きつけられたところで、僕は意識を失った。

 

(続く)