「.hack」シリーズポータルサイト

第1話

フランス、第一一〇クレイユ空軍基地。

「誘導路Bまで進入し、そこで待機せよ」

管制官はたった今着陸したばかりのミラージュF1C戦闘機にそう指示を出した。

そこから最も近い南側の滑走路Aには、すでに別の戦闘機がOKの合図を受けて離陸寸前の状態となっていたため、少し離れた北側のルートを伝えたのだった。

返答はなかった。

「どうした? 誘導路Bに入れ」

モニターの中で、ミラージュF1C戦闘機は進路を南に変え、そのまま進み始めた。

管制官の顔はさっと青ざめた。

「止まれ。誘導路Bだ。止まれ」

必死の呼びかけも虚しく、ミラージュF1C戦闘機は闇の中を一直線に突き進んでいく。

管制官の声は、戦闘機の操縦席に届いていた。パイロットはその指示に従おうと努力していた。

だが、自動操縦装置によって制御された機体は、彼の手動入力を一切受け付けようとしなかった。

一方、滑走路Aの戦闘機は離陸のために速度を上げて滑走路を走り始めていた。

彼方からゆっくりとしかし着実なスピードでこちらに向かってくる相手に気づき、そのパイロットは仰天した。

彼は悪態をつきながら、とっさに右への方向転換を行った。

しかし彼の機体もまた手動で操作することができなくなっていた。

ネット制御された二機の戦闘機は、あらかじめ定められたプログラムを忠実に実行するかのような正確さと非情さで正面から激突した。

どちらの機体も一瞬で大破した。



アメリカ合衆国、ミズーリ州東部。

セントルイスを出発し、イーズセントルイスへ向かう電車の運転士は、コンピュータの指示通りにレバーを動かしてから首をかしげた。

いつもよりも速度が出ているような気がする。外の景色が普段よりも素早く後ろに消えていく。

運転士はスピード・インジケーターを確認した。時速四六マイル(時速七五キロ)。いつも通り。

ということは、問題なしだ。

運転士はそれ以上深く考えることなくコンピュータに従った。人間が余計な判断をするよりもコンピュータの指示に従う方が安全だと彼は思った。エラーが起きた時、間違っているのはほとんどの場合、人間側だ。コンピュータは間違えない。

その考えはある意味では正しい。だが、それは適切なヒューマン・チェックが行われるという前提の上での話だ。彼はチェックを怠った。

実はその時、すでに列車の速度は時速七四マイル(時速百二十キロ)を優に超えていたのである。

ネット制御システムは完全に暴走していた。

緩やかな降下カーブに差し掛かったところで、さらにスピードが上がった。

前半分の車両は重量を支えきることができずに脱線した。同時に、その衝撃で各車両の連結が外れた。

カーブの先はミシシッピ川だった。

ばらばらになった車両はすさまじい勢いでイーズ鉄橋から転落し、カタパルトから発射されたミサイルのように美しい河面へ突き刺さっていった。

一号車から四号車までが落ちたところでブレーキが間に合い、後続車両は橋の半ばで停止した。

死者二十一名、重傷者七十五名。



ホワイトハウスの執務室は、常ならぬ喧騒と怒号に満ちていた。

第四四代合衆国大統領ジム・ストーンコールドは、次々にもたらされる報告に耳を傾けていた。

彼は七年前にこの役職へ就任し、以来、ワールド・ネットワーク・カウンシル(WNC)設立やインターネットに関する法案を制定してきた。

ネット将軍(ジェネラル)などと揶揄されるほどに、急成長するネットを国家に適応させようとして、その舵を取り、それは成功していたはずだった。

しかし今、何が起きているのか。ネットが沈黙し、通信が途絶え、事故が多発し、そして誰も全貌を掌握できない。

皆が口々になにやら叫んでいた。トップクラスの人間の集まるこの部屋がバベルと化したかのようだ。

「ウィルスが侵入したらしい」

「馬鹿な。完全にクリーンな大統領府でウィルスなんて」

「航空機が墜落しました」

「通信が」

「証券取引所の」

「連絡がありません」

「早く事態を」

国家情報長官が傍らにやってきた。

「大統領。大変です」

「これ以上に大変なことがあるのか」

「自動報復ミサイルが作動しました」

国家情報長官の言葉で執務室が一瞬にして静まり返った。

「馬鹿な。なぜだ」

「大統領府が攻撃を受けて破壊されたとコンピュータが判断したようです。敵国に向けて発射体勢に入りました」

「とめろ」

「命令できません。通信システムそのものが死んでいるのです」

ストーンコールドは絶句した。

信じられない。よりによって、自分の任期中にこんなことになるとは。あまりに途方もないことなので頭の処理が追いつかない。誰がこんなことを起こしたのか? 誰にすがればいい?

ああ、神様。



(二〇〇六年一月五日カリフォルニア州)

――君の名前を教えてくれないか?

「ウォーレン。ウォーレン・ブロック」

――よし、ウォーレン。緊張しなくていい。いくつか必要なことを聞くだけだから。歳はいくつ?

「十歳」

――家族は?

「パパとママ。それとティミー」

――ティミー?

「猫のティミー。ブリティッシュショートヘア」

――なるほど。住んでいるところは?

「ダウンタウン」

――学校は楽しい?

「うん」

――友達はいる?

「うん」

――友達とは普段どんなことをして遊ぶ?

「野球したり、サッカーしたり」

――コンピュータ・ゲームはしない?

「うん」

――どうして?

「馬鹿にされるから。ナード(コンピュータ・オタク)だって」

――内緒にしていた?

「うん」

――コンピュータを使うようになったのはいつ?

「二年前かな。誕生日に買ってもらった。パパに」

――友達とはコンピュータのことを話しあったりしない?

「うん。ランドルフさん以外は」

――ランドルフ・ヘニングスのことだね。君の家の近くでパソコン・ショップを経営している。

「うん」

――ランドルフさんにコンピュータのことを教えてもらった?

「最初はね。でも……」

――でも?

「今は、僕の方が詳しい」

――プログラムの作り方はどうやって勉強したんだい?

「ランドルフさんに聞いて、本を読んで、ネットで調べて……後は自然に」

――作れるようになった?

「うん」

――自分で作ったプログラムを試したかった?

「うん」

――なぜ?

「だって、できると思ったから。それで、やってみただけ。それに、他の誰かが先にやっちゃうかもだし。僕が最初にやらなきゃって。でも……」

――後悔してる?

「うん」

――どういうところを?

「たくさんの人がひどいことになっちゃった。テレビで見たよ。僕の作ったプログラムのせいで……」



二〇〇五年一二月二四日、全世界のネットワークが一時間と十七分、一斉に停止した。

ネットワークに依存していた商取引はすべてストップし、世界経済は大打撃を受けた。

行政、金融、交通、企業、およそネットワークでつながっていたコンピュータのほとんどは停止し、データは損傷、流出し、電車は衝突し、飛行機は墜落して、事故が続発した。

合衆国大統領の行政府のコンピュータも停止して、ネットワークで連動する国防総省の自動報復ミサイルが、大統領府が攻撃を受けて破壊されたと判断して作動し、核ミサイルが、仮想敵国に向けて発射態勢に入った。あと数十分か、数分か、ネットワークの停止が続いていれば、リアルの世界は、第三次世界大戦と、核戦争によって破滅していた。

この事件の元凶であるコンピュータ・ウィルスを作った犯人は、当時十歳の子供だった。

ネット犯罪が起こる理由や動機をまとめてみると、結局のところ、以下の四つに集約される。

知的好奇心やいたずらを目的とする愉快犯。

政治・宗教的な理由による抗議活動。

国家間の争いを理由としたスパイ活動や攻撃。

そして、金銭目的。

後にプルートキス(冥王の口づけ)と呼ばれることになる世界規模のネット犯罪は、このうちの最初の一つ、「知的好奇心やいたずらを目的とする愉快犯」によって引き起こされた。

それはハッカーと呼ばれる人種でなければとても理解できない事柄だ。

誰もしていないことを、誰よりも早く、誰の目にも明らかな形で、実行する。そうすることで他者からの賞賛を得たい。承認してもらいたい。

ただそれだけの理由で、少年は世界を破壊した。

幸いだったのは、プルートキスのコンピュータ・ウィルスにはあらかじめ自死プログラムが設定されていたことだ。

世界中で猛威を振るった後、ウィルスは自動的に消滅し、そのおかげでコンピュータは復旧することができた。

核戦争は回避され、インフラ設備は復旧不能に至るまでのダメージを被らずに済んだ。

世界は救われた。かろうじて。



プルートキスによってもたらされた「七七分間の悪夢」が過ぎ去った後、人々は気付いた。

インターネットは光り輝く希望の道などではないのだと。

大量破壊兵器の可能性を秘めているのだと。

プルートキスはパンドラの箱を開けてしまった。

事件後、ネットワークへのアクセス制限が施行され、約二年に渡って制限が継続することになる。



(再び、カリフォルニア州)

「僕、捕まるの?」

――いや。保護されることになると思う。

「保護?」

――そう。君を守る。あらゆるものから。

「よくわからない」

――君の持っている技術は大変なものなんだ。あのプログラムの制作者が君だと知られたら、君はいろいろな人間に脅かされることになる。

「パパとママは?」

――大丈夫。君のお父さんとお母さんも、私たちが守る。もちろん、ティミーもね。

「何も変わらない? 友達とも遊べる?」

――友達とは……遊べないな。引っ越さなきゃならない。それに、名前も変える必要がある。

「学校に行けなくなるの」

――新しい別の学校に行く。そこで友達を作ればいい。

「コンピュータをさわってもいい?」

――ああ。もちろん。

「よかった。僕、一生懸命勉強するよ」

――それがいい。

「今度はもっとうまくやれるように」

――こん……何だって?

「次はちゃんとコントロールできるウィルスを作ってみせるよ」

――……君の制作物について聞いておきたい。

「いいよ」

――自死プログラムを設定したのはなぜ?

「来週、僕の誕生日だから」

――どういう意味?

「パパと約束したんだ。新しいゲームを買ってくれるって」

――つまり?

「そのときにパソコンが使えないと困っちゃうでしょ?」



(続く)