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第65話

「その可能性はある。確かに」

ワイズマンが言った。

「時間があれば、もっとじっくり検証したいところだが……」

「でも残念ながら、タイムオーバーよ。議論している暇はない」

ヘルバが首を振って空を仰いだ。

「『波』がこっちに向かってくる。我々に接近してくるわ」

彼女が言い終える前に地響きがネットスラムを襲った。断続的にタウンが揺れた。そこかしこで悲鳴が上がった。

揺れがいったん引いたとき、ワイズマンが声を張り上げた。

「皆、聞いてくれ。大切なことだ。これから、『我々はまともに闘ってはならない』」

ざわめきがおさまり、静かになった。

「腕輪という決定力がない以上、我々がすべきことは『時間稼ぎ』だ。アウラを信じよう。彼女が究極のAIとしての力を発揮する下地は全てそろったはず」

そう言って、彼は僕の方に向き直った。

「その上で、カイト。君のパーティーにはもう一つ別のミッションを頼みたい」

「ミッション?」

「そうだ。君の先ほどの意見に基づき、システムのモルガナ・モード・ゴンがエマ・ウィーラントであると仮定した場合――それをシステムに思い出させることは有効な一打になり得る」

「でも、どうやって? 方法は?」

ワイズマンは首を振った。

「わからない。腕輪があれば、あるいはそれがキーアイテムになったかも知れないとは思う。君の友人ミアが第五相誘惑の恋人マハと化した時も、その意識を戻させたのはデータドレインだった」

僕は反射的に無意識のうちに左手で右手首をさわっていた。腕輪があった箇所を。

クビアとの戦闘後で疲労していた。万全の体調とはとてもいえなかった。それでも、もしこの腕に腕輪があれば僕はもっと鷹揚おうように構えることができただろう。

僕は急に不安になった。

やっぱり僕はとてつもない判断ミスをしてしまったのではないだろうか。

ラスボス戦を目の前にして最大の武器を手放すなんて。

ブラックローズが僕の脇腹をごすっとついた。

僕は彼女を見た。

「すごく痛い」

「大丈夫よ。あんたは何も間違えてない」

と、彼女は言った。

「ずっとそばで見てたあたしが保証してあげる。だからしゃんとしなって」

ワイズマンはうなずいた。

「そうだ。なくした物をくやんでも仕方がない。だから、それ以外の方法でシステムを覚醒させる。それを念頭に置いて闘ってほしい」

再び揺れがひどくなった。

「データ増大――『波』来るわ!」

ヘルバが警告の声を発した。

画面にノイズが走り、遠くから波のざわめく声が聞こえてくる。その音は徐々に大きくなり、最後の波が現れた。

巨大な繭のような、あるいは植物の種のような形をしていた。

「あれが最後の波……」

ブラックローズがつぶやいた。

最終決戦の場はいつも転送される場所とは違っていた。

そこは見渡す限り地平線の荒野だった。ネットスラムにいた全員がそこに転送されていた。

バルムンクが檄を飛ばした。

「構えろ! 全員戦闘配置につけ!」

そして、みんなで斬りかかった。 

こちらが圧倒的な多人数ということもあるかも知れないが、思いのほか、どんどんダメージを与えることができた。

どうもおかしい、ということに気付いたのは、僕とブラックローズ、バルムンク、それにワイズマンくらいだったろうか。

つまり過去に八相との戦闘を経験した者たちだ。

あまりにもダメージが通り過ぎる。防御力が低く、また攻撃力もはるかに弱い。

最後の敵はこんなものなのか? 腕輪がなくても倒せてしまいそうだった。

そう思った時、敵の姿が変形した。繭がねじれ、頭上から巨大な双葉がはえ出てきた。それが鳥の羽のように羽ばたいたかと思うと、繭と重なり合って一枚の巨大な石版のようになった。緑色の膜のような光がそのボディをくまなく覆っている。

そのまま頭上から降ってきた。

先頭に立っていたバルムンクがあわてて退いたが、ネットスラムの住人たちが数名逃げ遅れてつぶされた。

僕たちは愕然とした。

今度は攻撃が一切通用しなくなってしまったのだ。

どんなに斬りつけても、呪紋を使っても、画面に表示されるダメージは「0」だった。

それでいて向こうの攻撃はさきほどまでとは比較にならないほど強力になってきた。

「なによ、こいつ。ちょっと強すぎじゃない!」

ブラックローズがうめいた。

こうなってくると、直前でワイズマンの発案した作戦が功を奏した。

おかげで、しゃかりきになって深追いせず、回復不能なまでの致命傷を受けずにすんだ。

とはいえ、このままでは勝てない。

いずれ回復アイテムもSPも尽きてしまう。

どうすればいいだろう?

その時だった。僕たちの背後が光ったかと思うと、アウラが現れた。

「みんな、来た。みんなも、戦う!」

彼女の周囲にはいくつもの青白い光が浮いている。

そのうちの一つが僕のそばに漂ってきた。

僕は懐かしい声を聞いたように思った。

「おまえらだけに、まかせてられっかよ!」

その光は僕の元を離れると、他の光の流れに加わった。無数の光が流弾のように向かって飛んでいき、敵の全身を覆っている緑色の膜のような光を弾き飛ばした。

「意識不明者たちの意志をここに集めた。戦える者には力を与えた」

アウラの声が言った。

「あたしができるのはここまで。どうか、あとは……」

僕は彼女の姿が薄れていくのを見守った。

コルベニクは明らかにパワーダウンしていた。緑色の光がシールドの役割を果たしていたのだ。それをアウラによって砕かれ、防御力がまた元に戻っていた。チャンスだった。

僕たちは一斉に攻撃に転じた。

向こうの攻撃力はまだ高いままだったから、うっかり反撃を受けないように注意しながらも、慎重に敵を追い詰めていった。

再びコルベニクの身体に変化が生じた。

「また変身するの?」

ブラックローズが驚いて言った。

「構わん。何度でも叩き潰す!」

バルムンクが言った。

「今のうちに勝負を決めなくては。アウラの加護が続くうちに」

ワイズマンがつぶやいた。

その時、僕は周囲が薄暗くなっていることにようやく気付いた。まるで黄昏のように。

宙に浮かぶ石版のような身体が無数に分裂し、球状に組み合わさった。その玉が割れたかと思うと、薄い暗闇の中から巨大なふたつの目が出現した。

その目に睨まれて僕たちは言葉を失った。

今までの八相のように無機物をかたどったモンスターではない。これは使役されて行動する波とは違う。

強烈な意志を感じた。

強い敵意。憎悪。

僕たちを、アウラの加護を受けた僕たちを憎んでいる。

その強烈な視線に晒されたとき、その場にいたみんなが一瞬で悟ったと思う。

僕たちは今、世界そのもの、『The World』を司るシステム、モルガナ・モード・ゴンを目の前にしているのだ。

 

(続く)