データは正常化した。

汚染は消滅し、『The World』が復旧し、全てのネットワークは回復した。

最後の闘いに参加した者たちも、未帰還者となっていた者たちも、全て元に戻った。

それが究極のＡＩへと進化したアウラの力なのだという。

ネットワークを全てコントロール化し正常を保つ能力。

「産まれるために、彼女たちは一度死ななければならなかったのかも知れない」

全てが終わった後でヘルバが言った。

「アポトーシス――生と死の様式のひとつというわけか」

あとをひきとってワイズマンが言った。

でも、僕にとって、そういった議論は、どこか遠いもののように感じられた。

激しい戦闘につぐ戦闘で虚脱していたこともある。ひどく疲労していたこともある。

とにかく、そういう難しい理屈は僕の頭の中にすっと染み込んでこなかった。

アウラはモルガナをかばった。そしてモルガナはアウラをかばおうとした。それでいいじゃないか。

 

年が明けると同時に、父親はあわただしく単身赴任の準備をして旅立った。

母親も日帰りで同行していった。

昼過ぎ、僕が餅の残りをオーブントースターで焼いていると、妹が台所に下りてきた。

「食べる？」

僕は聞いた。

「食べる」

妹はうなずいた。

「いくつ」

「四つ」

やがて餅の焦げる香ばしい匂いが台所に充満した。

僕と妹は向かい合って座り、しばらくの間、黙って餅を食べた。

「――ねえ。私、お兄ちゃんに当たってるかな」

妹が不意に言った。

「当たるって？」

「八つ当たりしてるんじゃないかってこと」

「藪から棒になんだよ」

「そういう変な言葉を使うときは、どう答えようか必死に考えてるってことだよね」

身内はやりづらい。

「私たち、小学生の頃はこんな風じゃなかったと思う」

「それでいいんじゃないかな」

僕は餅を食べ終え、手を叩いて粉を払った。

「それはそれで健全なことだと思うよ。少しずつ成長して、いろいろ変わっていく。時には衝突もする。それが普通だよ。仮に八つ当たりだとしても、八つ当たり先に僕を選ぶのは正しい。兄妹だしね……でも、兄として一つだけ言わせてもらうなら」

妹は真剣な顔で聞いていた。

「餅四つは食べ過ぎだと思う」

「あっちに行ってよ」

僕は立ち上がった。

「あんたって、そうやって物事を斜めに見ていい気になってるのよ。皮肉ばかり言って。ちっとも変わらない」

ぷりぷり怒りながら妹は言った。

「人間そんなに簡単に成長したり変わったりするものじゃない」

「さっきと言ってることが違うし」

徳岡さんとはあの後、一度だけ電話でやり取りした。

お互いの無事を確認し合い、情況を報告し合って、それで終わった。

今、徳岡さんがどこで何をしているのか僕は知らない。

あと二日で冬休みが終わるという頃に、アウラからのメールが届いた。

メールに記載されたエリアワードには見覚えがあった。

オルカに連れられて、僕が初めて冒険したダンジョン。初めてアウラと出会い、スケィスに襲われた場所だ。

あんなところに呼び出すなんて、一体どういうつもりなのだろう？

ブラックローズに一緒に行ってもらうことにした。

危険は全くなかった。

初心者向けに設定されたエリアで、今までの冒険のことを思えばなんてことのないぬるま湯のようなものだった。

僕たちはお互い近況報告などをしながらダンジョンに潜っていった。

意識不明に陥っていたブラックローズの弟は無事に回復し、今ではもうすっかり元気になっているということだった。

「そういえば、聞いた？　オフ会の話が出てるって」

ブラックローズが言った。

「へーえ」

僕は言った。

「何それ」

「へーえ、という程度の意味だよ」

「興味ないの？」

僕は頷いた。

「あんまり興味ないかな」

「あ、そう。ふーん」

ブラックローズは言った。

「まあそのうち、ちゃんとした告知メールがリョースかワイズマンあたりから届くと思うよ」

「ブラックローズはどうするの？」

「あたし？　あたしは……どうしようかなー。行くかなー。うん。たぶん行くよ」

だらだらと喋りながら歩いているうちに、いつのまにかダンジョンの最深部に到着していた。

アウラがそこで待っていた。

「――アウラ？」

僕はアウラに声をかけようとしてためらった。

彼女に聞きたいことはいろいろあった

でも向かい合うと全て吹き飛んでしまった。

アウラのまとう雰囲気ががらりと変わっていた。

今までは儚げなイメージが強かった。

少しでも触ると消えてしまう、陽炎のようなところがあった。

だが、今のアウラには、システムを統べる『女神』としての神々しさが備わっていた。

まるで、モルガナと融合し、その能力を受け継いだかのように。

この世界そのものと一体化したかのように。

「これを受け取って」

アウラが言うと同時に、僕は自分の右腕になじみのある「重さ」が戻ってきたのを感じた。

一瞬だけ、右腕が光り、腕輪の形が現れ、そして消えた。

「カイト。それ……」

ブラックローズが言った。

「うん。腕輪が戻ってきた」

僕は右手首を見つめながら答えた。

「強い力……使う人の気持ち一つで救い、滅び、どちらにでもなる」

アウラの身体が薄れはじめた。

「今のあなたならこの意味、わかるよね」

そう言って、アウラは消滅した。

でも、実は、正直、よくわからなかった。

アウラが僕にこの腕輪を再び渡したということは……ウィルスバグ的な存在、仕様外の八相やクビアのようなモンスターがこの『The World』にまだいるということなのだろうか？

今までもそうだったけど、アウラはいまいち説明の足りないところがあると思うな。

でも、まあいい。

トンカチにそんなに目くじらを立てる必要もないだろう。

ひとまず腕輪を受け取っておこう。できることならもうあまり使いたくないけど。使うような羽目にはなりたくないけど。

新しい女神との新しい契約――とでも言うべきなのだろうか。

「アウラ。確かに受け取ったよ」

僕は言った。

「もう二度と壊したりなんかしない」

「なんであたしを見ながら言うのよ」

 

「というわけで」

僕は言った。

「これからオフ会なんだけど」

「まあ楽しんでこいよ」

ヤスヒコはベッドに寝転がったまま言った。

血色が戻り、顔色が良くなっていた。

「俺はまだ精密検査があるから、参加できないけどー。たっぷりこってり楽しんできなよー」

「ごめん。そんなつもりじゃなかった」

僕はあわてて言った。

「その、オフ会ってものに参加するのが初めてだからさ。お前から何かアドバイスを聞きたいなと思って」

ヤスヒコは目を細めて僕を見た。

「いや。今のお前にアドバイスはいらないんじゃないかな」

ヤスヒコは言った。

「ゲームの中みたいにやればいいんだよ」

「そういうものかな」

「そういうものだよ」

僕は曖昧な気分でうなずいた。

そう言われると、なんとかなるような気がしてきた。

 

リョースつまり土屋さんが手配したというカフェは、こぎれいなビルの二階にあった。

カフェの扉の前で僕は深呼吸した。

今からここに、ブラックローズと、バルムンクと、ワイズマンと、なんとヘルバと、リョースがやってくる。

さらに今までの冒険で仲間になった人たちや、ネットスラムのハッカーたちや、システム管理者の豚走隊のメンバーも何人かやってくる。

想像しただけでものすごい絵面になりそうだ。

実際のところ、オフ会に興味はなかった。『The World』は確かにいいゲームだ。でも、そこで知り合った仲間たちのリアルを想像したことはないに等しい。

リアルで彼らに会いたいとは思わない。会いたくないというわけではない。興味もある。でも、そういうのは億劫だし、そもそも僕はリアルの友達にだってそんなに会いたいと思わないタイプの人間なのだ。

それでも参加しようと思ったのは、ブラックローズが行くと言ったからだ。

彼女には直接会ってお礼が言いたかった。

たぶん面と向かってはそんなこと言えないだろうから、今、心の中で思っておく。

最後まで君がいてくれてよかった。

最初に出会ったのが君でよかった。

あの時、声をかけてくれてありがとう。

 

僕はカフェのドアを開けた。

 

（続く）