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第66話

荒野のまっただ中に浮かびあがる巨大な目。

それはあまりにも幻想的で、同時にまがまがしく不吉な眺めだった。

僕は魅入られたように立ちすくんでいた。が、すぐに僕はワイズマンの言葉を思い出した。

「そうだ。君の先ほどの意見に基づき、システムのモルガナ・モード・ゴンがエマ・ウィーラントであると仮定した場合――それをシステムに思い出させることは有効な一打になり得る」

僕は意を決すると、モルガナの方へ近寄っていた。 

「モルガナ!」

僕は大きな声で言った。

「無駄な戦いはしたくない。僕の話を聞いてくれ!」

背後で仲間たちが固唾を飲んで見守っているのがわかる。

と、モルガナの方から何か声が聞こえてきた。

最初はささやくようにかすかだった。だがあっという間に耳をろうせんばかりの音量になった。

それは哄笑こうしょうだった。狂ったような笑い声。数百人の女が笑っているようにそこら中反響している。

僕は思わず耳をふさいで後ずさりした。 

話合いが出来るような状態ではなさそうだった。

そのとき、モルガナの巨大な瞳が瞬きした。とみる間に、目から涙があふれ出し、その滴が地面にこぼれ始めた。

笑いながら慟哭どうこくするかのようだった。

だがそうではなかった。違う。あれは涙なんかではない。モルガナが巨大で、遠間にいるから、そのように見えただけだ。

モルガナの近くにいた僕は仲間たちよりも早くその正体に気づいた。

あれはPCとほぼ同サイズの球形モンスターだ。それが無数に生み出されているのだ。

水面に落とした油が拡散するように、モンスターの群れは一気に僕たちを飲み込んでいた。

たちまちのうちに戦いが再開された。

最前のものとはまったく違う戦闘だった。

先ほどまで僕たちは一体の巨大な敵を相手に闘っていた。だが今は、自分たちとほぼ同サイズの、しかし途方もない膨大な数の群れとの多対多になっている。

敵味方が入り乱れての乱戦。

ターゲットには

「シーカー」という名前が表示されていた。

誰かの悲鳴が上がった。見ると、ネットスラムの住人が、シーカーの瞳から放たれたデータ数列の束に貫かれているところだった。

僕は全身の肌が泡立つのを感じた。

こいつらは、まさかデータドレインを使うのか?

腕輪の力を使った僕やスケィスが使用したものとはサイズが違う。だがそれはまぎれもなくデータドレインだった。

たちまちのうちにそこかしこで悲鳴が上がり始めた。眼球たちのデータドレインを受けた仲間たちがたちまちのうちに消滅していく。

仲間たちのことに気を取られ。僕は自分の背後に一匹忍び寄ってきたことがわからなかった。

気づいたとき、僕はデータドレインのエフェクトを正面からのぞき込んでいた。

あと一秒遅れていたら僕はその攻撃を受けてしまっていただろう。

だがその瞬間、僕は誰かに突き飛ばされた。

地面に倒れながら僕を見た。

僕を突き飛ばしたのはエルクだった。

彼は僕の代わりに胸を貫かれていた。

「エルク!」

僕は跳ね起きると、目の前のシーカーに切りつけた。

そいつは一撃であっさり消滅した。

地面に倒れ伏したエルクを抱き起こすと、彼は薄く目をあけて僕を見た。

「ごめん」

か細い声で彼は言った。

「僕、自分のことしか考えていなかったよ」

そして消滅した。

乱戦は時を経ずして一方的な殺戮、それから掃討戦へと移りつつあった。僕達は掃討される方だった。

モルガナは戦況に満足したかのようだった。ゆらゆらと踊るように、誘うように、その場を離れ始めた。

「見て! あいつ、逃げるよ」

大剣をふるっていたブラックローズがその様子に気づいて叫んだ。

モルガナはシーカーの大群を召喚しながら遠ざかりつつあった。

僕の仲間やネットスラムの住人たちが、モルガナを追いかけようとした。

「待て! 追うな! 追ってはいけない!」

ワイズマンが厳しい声で命令した。

「でも、それじゃモルガナを倒せないよ」

ブラックローズが反論したが、ワイズマンは首を振った。

「向こうが逃げるというのなら我々にとっても好都合だ。このまま時間を稼いで、アウラのさらなる覚醒を待つ。皆、後ろに下がってくれ」

ワイズマンの作戦は明快で説明は簡潔だった。

ブラックローズとバルムンクが皆を誘導して後ろに下げはじめた。

僕は敵の様子を探ろうとしてモルガナの方を見た。

モルガナの目から八つの光が浮かび上がるところだった。なんだあれは?

と思う間もなく、その光たちは、波のようなさざめきの音を響かせながらゆるやかな弧を描いて飛び、僕のはるか頭上を飛び越え、地面に落ちた。

全身がなぜか総毛立った。

八つの影? 波の音だって?

突如、土煙とともに、仲間たちを誘導していたブラックローズの背後にぬううっと巨大な影が起き上がった。

なんてことだ。それは一度見たら忘れない恐ろしい人型。死を刻む影。死の恐怖スケィス。

「ブラックローズ、危ない!」

僕は警告の叫びを発したが遅かった。

スローモーションを見ているようだった。

ブラックローズは防御する暇もなかった。

スケィスの呪杖が振り下ろされ、ブラックローズは糸の切れた人形のようになってしまった。 

続いて第二撃。

それで終わりだった。

ブラックローズは消滅した。

僕はそちらに駆け寄ろうとしたが、誰かが僕の腕をつかんで止めた。バルムンクだった。

「落ち着け! 冷静になれ!」

僕は混乱していた。

なぜスケィスがここに出てくるんだ? 一度倒したはずなのに。ブラックローズがやられた。PCが消滅し、おそらく彼女は意識不明になってしまった。

「まずい。この位置はまずいぞ」

さらなる混戦が続く中でワイズマンがうめくように言った。

彼には珍しいことだが、ひどく動揺しているのが見て取れた。

「我々は挟み撃ちにされた。このままでは時間を稼ぐどころではない。何もできずに全滅するぞ」

僕は彼の言ったことをすぐ理解した。

モルガナは距離をとりながらシーカーをばら撒く。そして僕たちの背後からスケィスが追撃してくる。腕輪のない僕たちはスケィスに対して身を守るすべを持たない。ましてやシーカーでさえ致命的な一撃必殺の攻撃をしかけてくるのだ。

スケィスが杖を振りまわすたびに、仲間たちはばたばたと倒れていった。

「なんと狡猾な。モルガナ・モード・ゴン。まだあんな手駒を残していたとは」

ワイズマンの声には感嘆の色さえあった。

「こうなってしまっては我々のとるべき作戦は一つしかない」

彼は僕とバルムンクを見た。

「カイト、バルムンク。君たちはなんとしてもここを抜けてモルガナを追ってくれ。もし可能ならヘルバにも行ってほしいところだが……」

だがヘルバの姿は土煙に遮られてどこにも見えなかった。ネットスラムの同胞たちを守るために彼女も闘っているのだろう。

「私は皆をまとめて、ここでスケィスを迎え撃つ。わずかでも時間を稼ぐ……」

最後まで聞き取れなかった。

その時、シーカーの群れが横手から怒濤のように迫ってきたのだ。

僕はバルムンクともワイズマンとも離ればなれになってしまった。

シーカーの群がる隙間からバルムンクの白い羽がのぞいていたが、すぐに見えなくなった。

その向こうではスケィスが呪杖を振り回し、PCたちをなぎ倒している姿が見えた。

ふと気づくと、僕たちの周りには数人の仲間たちしか残っていない。

他は皆やられてしまったらしかった。

あれほどいた仲間たちが、苛烈なシステムの攻撃にさらされてあっという間にこれだけになってしまった。

エルクも、ブラックローズもデリートされてしまった。ワイズマンもバルムンクもいない。

全滅の二文字が僕の頭をよぎった。

そんな。ここまで来て。

目の前に迫ってきたシーカーたちが、炎の呪紋に凪払われて一瞬で消え失せた。

「あきらめては駄目よ。まだチャンスはある」

ヘルバが僕の後ろに立っていた。

「ヘルバ!」

「今さっき、連絡があった。徳岡たちがそろそろやってくれるはず」

徳岡さんが? リアルで活動している徳岡さんが、今の僕たちの苦境と何か関係あるのだろうか?

ヘルバの出現を警戒して距離をとっていたシーカーたちがまた迫ってきた。

僕は昔テレビ番組で見た動物の番組を思い出していた。ライオンたちに囲まれたバッファローの群れ。今はまだヘルバの強力な呪紋がある。だからなんとか持ちこたえている。

でも、この状況では、もうモルガナを直接狙いに行くしか逆転できない。

だがモルガナはもうずっと遠くまで離れてしまっている。さらに、勝ち誇るかのようにその目からシーカーを量産し続けている。

そして僕達の後ろからは悪夢の如きスケィスが迫ってくる。

そのときだった。

僕たちの周囲の空間が歪んだかと思うと、商人PCたちが一斉に出現した。

「陰にたたずむ光あり」

と、一人が叫んだ。

「陰に生き陰に死す」

と、また別の一人が叫んだ。

「それがわれらの役目なり」

「しかるに何故かくもむごきおぞましき」

「つらき定めを課せられるか」

「嗚呼この世に残業なかりせば」

「憎むべし不当労役、死すべし暗黒企業」

「いざ神よ、ご照覧あれかしと」

全員が声をそろえて見得を切った。

「われらウルクク豚走隊、見参」

少し長めの台詞回しの後で、彼らは一斉に声をそろえて言った。

彼らの出現がシーカーの群れを押し返した。

僕はアウラの言葉を思い出していた。

「戦える者には力を与えた」

と、彼女は言った。

だから豚走隊が間一髪のところで来てくれたのだ。

そして、豚走隊が回復して前線に戻ったということは……。

「光の王リョース様。ここはわれらにお任せを」

全員が再び声を揃えて言ったとき、遠くで蒸気機関車が鳴らすような音が響きわたった。

何か巨大な塊が飛び出してきた。

それは蒸気を吹き出しながらシーカー数体を吹き飛ばして僕たちの方に一直線につっこんできた。

大きく体を反転させると、僕の手前五十センチのところで急停止した。

リョースだった。巨大なバイクにまたがった彼が僕を見下ろしていた。

ファンタジー世界の『The World』で『バイク』だって?

世界観は大丈夫なのだろうか。

「乗れ、カイト、ヘルバ!」

リョースが怒鳴った。

 

僕とヘルバが後ろに乗ったのを確認すると、リョースはいきなり猛スピードで走り始めた。

いやはや、なんとも奇妙なパーティーだ。『The World』史上こんなにおかしなパーティーはかつて存在しなかったと断言できる。

蒸気を吹き出す巨大なバイクをシステム管理者リョースが運転し、その後ろに僕が座っている。さらにその後ろにはスーパーハッカー・ヘルバが横座りだ。

「リョース、このバイクは?」

ふりおとされまいとしがみつきながら僕は言った。

「気にするな。社外秘だ」

「どうみても現行の仕様じゃないわね」

ヘルバがなぜか嬉しそうな声で言った。

「こんなものを『The World』に持ち込むなんて、ハッカーのやることだわ」

「やかましい」

その時、背後から何かが走ってくるのが見えた。

なんとそれはバルムンクだった。

プチグソに跨り、僕たちを追走している。

彼はバイクにプチグソを近づけてきた。

「カイト、無事だったか」

「ワイズマンは?」

僕の問いに、バルムンクは首を振った。

「彼の呪紋が俺を助けてくれた。だが彼はシーカーにデータドレインされてしまった」

「そんな……」

エルク、ブラックローズに続き、ワイズマンまで。

「悲しんでいる場合ではない。私の部下たちがあれを足止めしているうちに、モルガナを倒さなくては」

リョースが言った。

「しかし、何があった? あれは八相スケィスだろう? カイトが倒したはずではなかったのか?」

「スケィスそのものではないわ」

ヘルバが言った。

「あれは『始原の恐怖』、八相以前の根源的な――零の存在とでもいうべきモンスターよ。カイトは確かに八相たちをすべて打ち砕いた。でも、敵は寄り集まって最後の力を振り絞り、私たちを邪魔しようとしている」

ヘルバの説明は正直僕にはよくわからなかった。質問しようとして口を開けかけたとき、ふっと影がさしたような気がした。

「気をつけろ! リョース!」

バルムンクが叫んだ。

僕は後ろを振り向き、ぎょっとした。

すぐ間近にスケィスの顔があった。

オオスズメバチめいた輪郭の、非人間的な顔。

スケィスの振り下ろした呪杖の一撃を、リョースはバイクを傾けてかろうじてかわした。

「ぬうう」

バイクのコントロールを取り戻そうとしながらリョースがうなった。

「なんてことだ。もう倒したのか。私の部下たちを」

スケィスは蒸気バイクに劣らない速度で空を飛び追いかけてくる。

だが、僕は気づいた。

スケィスが傷だらけということに。

顔といわず胴体といわず、腕にも足にも大小無数の亀裂が入っている。

人間であれば、満身創痍と表現してよさそうな状態だ。

それもそうだ。僕たちは長い時間をかけて八相たちを倒してきた。その分のダメージが向こうにも蓄積されているのだ。これまでの積み重ねは決して無駄だったわけではないのだ。

あと一撃。強烈な一撃を加えることかできたなら、それでスケィスを倒せそうな印象だった。

だがどうすればいいのか?

腕輪がない今、僕達にはあと一撃を加えるすべがない。

その時、リョースが何かを言った。

聞き漏らしたので聞き返した。

「運転を頼む、と言った」

リョースが答えた。

「こいつは私が相手をする」

 

(続く)