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第9話

ヤスヒコを救うための手がかりは『The World』にある。

あの時、ヤスヒコは少女と向かい合ったときにこうつぶやいたのを僕は覚えていた。

「……まさか、噂は本当だったのか?」

ヤスヒコには何か心当たりがあったのだ。

そして、それは噂になる程度には『The World』に浸透しているのだ。

まずはルートタウンを歩いていろんな人から話を聞こうと思った。その噂について何か知っている人がいるかも知れない。

FMDフェイス・マウント・ディスプレイをかぶると、僕は『The World』にログインした。

場所は前回と同じマク・アヌ。

CC社からの公式メールでエリアの移動が制限されていると告知されていたが、それはかえって好都合だった。広い範囲を動かずに済む。

街は前回同様に冒険者たちでにぎわっていた。

僕は街の中心部に行こうとして、ふと足を止めた。

褐色の女戦士が僕の横に立っていた。

いや、違う。僕はキャラクター作成時に流し読みしたPCのジョブに関する説明書のテキストを思い出した。女戦士という職業はこの「世界」にはない。

巨大な剣を装備している彼女は……「重剣士へビーブレイド」だ。

僕が彼女に注目したのは、その挙動がいかにも奇妙だったから。

不自然にかくかくした動きで歩いている。いや、歩こうとしているが、まるでロボットダンスの演技をしているかのようだ。たぶん初心者のプレイヤーなのだろう。

僕の場合はヤスヒコが操作方法を教えてくれたからすぐに操作に慣れることができた。しかし彼女には先導してアドバイスしてくれる者は誰もいないようだ。

僕の視線に気付いたのか、彼女は動くのをやめてこちらを見た。

「なによ、なんかいいたいわけ?」

とげのある口調で言った。

「いや、別に」

僕はあわてて首を振った。

見ていたのが気に障ったらしい。

彼女はきつい目で僕を睨んでいたが、やがてふと合点がいったというようにうなずいた。

「あ、わかった。あんた、初心者ね」

決め付けるように言った。

「そうだわ。絶対そうよ。そうでしょ?」

「……」

「失礼しちゃうなあ。いい? 特別親切に教えてあげる。そうやってじろじろ見るのはマナー違反。ゲームの中でもリアルでも一緒だよ。わかった?」

「……」

そう言われても答えようがない。

僕が黙っていると、彼女はかくかくと動いて腰に手を当てた。

「だから、なんなのよ?」

「……」

「てんてんてん、じゃないっちゅーの! まったくもう……」

なにやらぶつぶつ言いながら、彼女は街の中心部へと走り去っていった。

やれやれ、と思った。くだらない理由でマウンティングしたがる者はどこにでもいる。

僕は気を取り直すと、当初の予定通り、街中での情報集めを始めた。

目についたPCに片端から声をかけては話を聞いた。

しかし、すぐにうんざりしてしまった。

これがネットゲームであるということを勘定に入れていなかったのだ。GIGAのようなオフライン専用のRPGとはそこが決定的に違う。優しいゲームデザイナーが攻略のヒントを「それとなく」「確実に」通行人に仕込んでおいてくれるわけではない。

一時間も過ぎる頃には、あてのない状態で聞き込みなど行うのは無意味だと気付いた。

自分の考えの甘さを痛感し、とぼとぼと肩を落として歩いていると、またカオスゲートまで出た。ルートタウンをぐるりと回って一周してきたのだ。

なんてことだ。カオスゲートの傍らには先ほどの重剣士がいた。

顔を合わさないようにして引き返そうとしたが遅かった。

「ちょい待ち!」

と、彼女が僕を制するように手を上げた。

街をうろついて操作に慣れたのだろう、先ほどまでに比べて動きはずっとスムースになっていた。

「……僕のこと?」

「そう、あんた。あのさ……あたし、面白いワード知ってるんだけど。一緒に行くなら、特別に教えてあげてもいいよ。知りたい?」

「何が面白いの?」

「え? 何がって。それは……えーと、ほら、色々よ」

彼女はなぜか口ごもった。

「色々あるでしょ。その……色々」

怪しい。

僕はあたりさわりのない返事で断った。

「怪しいからやめとく」

「あっそ。別に良いけどね」

彼女はそっぽを向いた。

「でも、ホントにいいの? こんな良い話、めったにないのに。すごく色々面白いのになあ。残念だなあ」

ちらちらとこっちを横目で見ながら、大きな声でわざとらしく独り言を喋り出した。

下手な演技だ。

彼女はそのワードの移動先に対して何か不安を感じている。だから、誰かに同行してもらおうというのだろう。

「悪いけど」

僕は言った。

「ちょっと用事があるんだ。うさんくさい冒険に付き合うことはできないよ」

「別にいいけど。一人で行っちゃおうかなー」

ちょっと声が震えている。

僕はため息をついた。

「……やっぱり、知りたいかな。ぜひ知りたい」

「そうそう。そうこなくっちゃ! 初心者は素直が一番!」

僕たちはメンバーアドレスを交換した。

「あたしはブラックローズ。よろしくね」

「僕はカイト」

パーティーを組んでから、カオスゲートのメニューを開いて、彼女の言う「面白い」エリアワードを入力した。

 

Δデルタサーバー 隠されし 禁断の 聖域

 

転送先は、短い橋の上だった。

僕たちは石造りの建物の前に立っていた。

僕は両開きの扉を見て、それから隣のブラックローズを見た。

「……で?」

僕は尋ねた。

「え?」

ブラックローズはびくっとして僕を見返した。

「この奥に行けばいいの?」

「そ、そうよ。そう! さあ、行きましょう」

ブラックローズは胸を張ると、ぎこちない動きで扉を押し開けた。

僕は彼女に続いて中に入った。

建物の内部はがらんどうの教会のようになっていた。

中ほどまで歩きながら、僕はここの雰囲気が似ていると思った。

そう、ヤスヒコが意識を失ったあの場所に似ているのだ。

静謐せいひつさと言おうか、寂寥せきりょうさと言おうか。世界の全てから見捨てられたような。

「ねえ」

と、僕は前を行くブラックローズに声をかけた。 

其の途端、彼女は飛び上がってジタバタと武器を振り回し始めたので驚いた。

「わーわーわー。わーわーわーえ? なになんなのなん?」

見ていると、すぐに落ち着きを取り戻した。

胸に手を当て、大きく深呼吸した。

「あー。心臓止まるかと思った……」

それはこちらの台詞だ。

「何よぉ。いきなり話しかけないでよ。マナー違反でしょ! マナー違反!」

僕たちは聖堂の最前列に出た。

そこには少女の石像があった。両手首、両肘、両膝、腰、首の計八ヶ所に枷と鎖がついている。

僕はその像の顔を見てはっとした。

それはオルカと一緒のときに出会った少女の顔だった。

この女の子は……

なぜこの像がここにあるんだ?

ブラックローズは息を潜めるようにして少女の像を見上げていたが、やがてぽつりと言った。

「これ、なんだろう。なんだか、せつない……」

そのときだった。

僕たちの入ってきた扉が荒々しい勢いでばたんと開き、一人のPCが中に飛び込んできた。

その音に驚いて僕たちは振り返った。

入ってきたのは、白い剣士PCだった。

白いマントのような装飾品を身につけていると思ったのだが、よくよく見るとそれは羽だった。その剣士の背中には鳥のような純白の翼が備わっていたのだ。

開口一番、厳しい声音で彼は言った。

「何をしている?」

僕とブラックローズは顔を見合わせた。

「何をって――」

僕は言いかけた。

「言い合っている暇はない! ここは危険だ!」

剣士がさえぎった。

「は?」

「逃げろと言っている!」

不意に、剣士と僕たちの間の空間が歪んだ。色調が反転し、ノイズが発生したかと思うと、歪みの中央を突き破るようにしてモンスターが出現した。右手に髑髏どくろ、左手に剣を持った人型のモンスターだ。

僕はぎょっとした。心拍が早くなったように感じた。

今のは「死神」と同じ出現の仕方だ。

「早く逃げろ! たあ!」

剣士はそう叫ぶなり、剣を抜き放ってモンスターに飛び掛った。

白刃が一閃し、モンスターは即死して地面に倒れ、黒くなった。

だが、次の瞬間、緑色の六角形エフェクトに包まれたかと思うと、何事もなかったようにむくりと起き上がった。

ブラックローズが悲鳴を上げた。

剣士が叫んだ。

「ウィルスに侵されたエネミー……ウィルスバグだ。ウィルスがデータを書き換えている。こいつのHPは……無限だ!」

モンスターが左手を持ち上げて勢いよく振り下ろした。

「ぐうっ!」

剣士はその攻撃をかわし損ねてまともに受けてしまい、吹っ飛ばされて聖堂の右壁へ叩きつけられてしまった。

その一撃で、彼のステータスが赤くなったのがわかった。致命傷を受けたのだ。
僕はオルカの事を思い出していた。

この「死神」に似たモンスターの攻撃を受けてHPがゼロになったら、彼も意識不明になってしまうのだろうか。オルカのように。ヤスヒコのように。

なんとかしなくては。彼を助けなくては。

でもどうやって……

そのときだった。

どこからともなく声が聞こえてきた。

「本――本を開いて」

僕は思わず辺りを見回した。

「本?」

「強い力……使う人の気持ちひとつで救い、滅び、どちらにでもなる」

僕の手元に、いきなり巨大な本が出現した。

何だこれは?

不意に強烈な力を感じた。釣り上げた魚が暴れたような感じだった。

持ち続けることができなくなり、僕は本を放り投げた。

本は中ほどのページを開いて地面に落ちた。と、その中からデータ数列がうずを巻いて現れ、蛇のように伸びてきて僕の体に巻きついた。

幻覚か何かを見ているみたいだった。

データ数列はやがて僕の右手首に集中して折り重なったかと思うと、線で構成された「腕輪」のようなものが出現した。

僕はその腕輪に引っ張られるようにして右腕を前に突き出した。

腕自体に意思が宿ったかのようだった。

その先にはモンスターがいて、両手を挙げて剣士を叩き潰そうとしていた。吹き飛ばされた体勢が悪かったらしく、剣士はまだ起き上がることができない。

モンスターの剣と髑髏が剣士に向かって振り下ろされる直前、僕の右手からまばゆい光の束が 奔出ほんしゅつした。その光はデータ数列を伴いながらレーザーのようにモンスターを一瞬で貫いていた。

一瞬遅れて剣士が跳ね起きると、すれ違いざまにモンスターに一太刀浴びせた。

先ほどまでの不死身が嘘のように、モンスターは黒くなって動かなくなり、消滅した。

何だ? 僕は今、何をしたんだ?

右手を見たが、腕輪は消えてしまっていた。

剣士が僕の方に歩いてきた。僕が彼を見ると、ウィンドウにPC名が表示された。彼の名前は、バルムンク。

「今のスキル……。それに、そのPCボディの変化……」

そう言われて気付いた。僕のPCボディがいつの間にか緑から赤に変化していることに。

「そうか。そういうことか。お前、ハッカーか」

バルムンクは忌々しそうに舌打ちした。

「ハッカーとウィルスバグは所詮同類。そんなやつに助けられるとはな。不愉快だ」

僕がハッカーだって?

「そんな……僕だって、なにがなんだか……」

「とぼけるな。最近、『The World』各所でコンピュータ・ウィルスによる被害が発生している。お前のようなハッカーたちの仕業だ。面白半分にこの世界をおとしめようとする連中を、俺は――許すわけにはいかない」

そう言ってバルムンクは僕に向かって剣を突きつけた。

「ちがう! 僕は――」

「何が違う? お前がさっきしたことはなんだ? チート以外の何物でもない。お前はハッカーだ。お前が元凶だ!」

言い返すことができなかった。たった今、僕が使ったものは、オルカを意識不明にさせた死神が使ったものと全く同じスキルだったからだ。

何も言い返せないでいる僕の隣にいたブラックローズがずいっと前に出た。

「ちょっとあんた! 助けてもらっといて、それはないんじゃない!」

「何」

「あんた、カイトがいなきゃやられてたんだよ? それなのに、何よ、その言い草は!」

噛み付かれて、バルムンクは戸惑ったようだった。

彼は刀を鞘に納めると、僕たちを睨んだ。名前を確認したらしかった。

「カイト。それにブラックローズか」

と、彼は言った。

「お前らの言い分を信用するわけじゃない。まだ把握できていないだけだ。やつらの仲間だと判明したら……その時は……必ず殺す!」

バルムンクは足音も高く外に出て行った。

僕とブラックローズだけが聖堂内に取り残された。

 

(続く)