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第45話

「おっ。来たね」

ブラックローズはマク・アヌのカオスゲートで僕が来るのを待っていた。

「腐っててもしょうがないし。レベル上げにでも行こうよ。適当なダンジョン、見繕っといたから」

そう言って歯を見せて笑った。その様子は普段とまるでかわりがなかった。

「――今日は、ダンジョンに行く気分じゃなくって」

僕はうつむいた。

「タウンで装備を整えるだけにしようと思ってた」

「カイト? どしたの?」

僕の語調で何かを察したのか、ブラックローズは僕の顔をのぞき込むようにした。

「何かあった? ん? ほら、おねーさんに言ってみなさい」

その態度と言葉に僕は一瞬いらだった。

何かあった、だって? 今現在ここ以上に何かある場所を僕は他に知らないよ。そう言いたかったが、そのように言うには僕はあまりにも疲れていた。それで、別のことを言った。

「僕らのしてることって間違ってないよね? 自信ないんだ」

「ちょっと、ちょっと――なに言ってんのよ、今さら」

「僕らが何かするたびに良くないことが起こってる。バルムンクやリョースが言うように、それは事実なんだ」

「いいか悪いかなんてわかんないでしょ」

「でも……」

「もー、あんたがそんなんでどうするのよ。あんたが……」

「なんで僕だったんだろう……」

僕はつぶやいた。

「僕じゃなくて、オルカが腕輪を受け取ればよかった。本来、そうなるはずだったんだ……」

それは今までずっと心の中で考えていたことだった。

あいつだったら……ヤスヒコだったら、きっと僕なんかよりもずっとうまく物事に対応できていたはずだ。

本当はこういう時、ヤスヒコのようなやつが中心にいるべきなのだ。快活に、常識的に、裏表なく、他人と交わることができる人間。周りの者が自然と集まってきて支えたくなるような、まっすぐな人間。

そもそも腕輪を受け取るはずだったのはオルカだ。僕はたまたまその場に居合わせただけだ。偶然、弾みのようなもので腕輪を与えられたに過ぎない。

ゲームに例えるならば僕本来の役回りはせいぜい最初の方に出てくる村人といったところだろう。「Aボタンを押すと話すことができるよ!」みたいにどうでもいいわかりきったことを喋って嫌がらせのようにゲームのテンポを邪魔するキャラ。それが僕だ。

この腕輪はふさわしくない。僕には重すぎる……。

思いつくままにそんなようなことを話した。

ふと気付くと、ブラックローズは無言で僕をじっと見ていた。

「ちょっと来て」

彼女はカオスゲートに向き直ると、ワードを入力し始めた。

連れて行かれたのは聖堂だった。

「覚えてる? この場所」

と、ブラックローズは言った。

忘れるわけがない。出会ったばかりの彼女と一緒に来た場所、そして初めて腕輪が顕現(けんげん)した場所でもある。陰鬱(いんうつ)で静謐(せいひつ)なエリア。

「あたしの弟はね」

束縛された女神像を見上げながらブラックローズは言った。淡々とした口調だった。

「ここで意識不明になったの……」

僕は自分の体が内側に向かって縮んでいくのを感じた。

「黙っててごめん。なんだか言いそびれちゃって」

ブラックローズは小さく笑った。

「あんたに初めて会ったとき、無理矢理ここに連れてきたよね? ここで何が起こったのか自分の目で確かめたかったから。でも、一人じゃ怖くてこれなかった。今もそれは一緒。怖くて仕方がない……」

周囲は依然として静けさに満ちていた。あまりにも静かなので耳鳴りがうるさいくらいだった。

「でもね、あんたがいたから今までやってこれたんだよ。もし、あの時、あんたとここで出会えなかったら。あたしはたぶん……とっくの昔に駄目になっちゃってたと思う」

ブラックローズの声はかすかに震えていた。

「それなのに、あんたまであんなこと言い出したらさ……」

その先を言うことができなくなって彼女は口を閉じた。

僕は何かを言おうとして中途半端に口を開けたがそれだけだった。何も言えなかった。

いまだかつてこれほどまでに打ちのめされたことはない。

利口なつもりで周りをすべて観察した気になって、その実、何も見えていなかった。

どうして彼女もそうだったと気づけなかったのか。思い至れなかったのか。

なぜ彼女が今まで僕とともに行動してくれたのか。よくよく考えれば推測できて当たり前なのに。

彼女も僕と同じ――身近な者が意識不明に陥り、それを救いたいと願っている人間だったのだ。

僕は自分が底抜けの馬鹿だと思い知らされた。

まったく僕は茹で上がったカニも同然だ。言葉の意味はよくわからないがだいたいそんな感じだ。

「――ごめん。謝るよ」

僕は言った。

「オルカのことも、異変のことも、一人で背負った気になってた……」

そして、続けて次のようなことを言おうとした。

ねえ、僕はヤスヒコみたいになりたかったんだ。あいつみたいになれたらいいなとずっと思ってた。あこがれてたんだ。でも、半分あきらめてもいた。僕みたいな性格の奴は、ああいう真っ直ぐな心根の人間にはどうしたってなれないだろう。電子レンジで加熱しすぎたパスタの容器と一緒さ。ぐにゃぐにゃに捻じくれてもう元には戻らないんだ。

でもゲームを始めるとき、ヤスヒコは言った――

『The World』ではなりたい人間になれる、って――

僕は、この世界で、僕のなりたい人間になれるだろうか――

いや、ならなきゃいけない。僕は自分を信じて変わらなくてはならない。みんなを救うために――

しかし僕はそのようには話さなかった。

感情表現が過剰でちょっと気持ち悪いなと自分でも思ったのだ。だいたい僕は「――(ダッシュ)」を多用して話すようなナルシスト気味の人間を信用しない。自分がそういう手合いになるのは真っ平ごめんだ。そして今のような場面でそう思ってしまうのが僕という人間の器の限界というやつなのだろう。

そもそも「自分を信じる」、そんなことがこの僕にできるだろうか。信じるからにはその根拠がほしい。でも根拠がない。卑下でもなく謙遜でもなく、自分がいかに信用できない存在であるかを僕は知っている。とにかく弱い。状況に流される。強い相手に逆らえない。外面はよくて身内にだけ強気。理論武装して中身は空っぽ。

ブラックローズは初対面のときに奇しくも僕という人間を端的な言葉で表現してみせた。てん、てん、てん、じゃないっちゅーの。

だがそれでも、僕はヤスヒコのようにならなければならない。

世界は騙されたがっている。オーケイ、では騙したままにしておこうじゃないか。

僕は言った。

「……今できることは何か? とにかく良いと思えることをやっていこう。そうすることでしか前に進めないから……」

ブラックローズは口元に小さな笑みを浮かべた。

「うん、また一緒にがんばろ! きっとうまくいく。あたしの勘は当たるんだから!」

 

(続く)