3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

34 ポスト・モーテム

家に帰ると、曽我部は情報屋から受け取ったデータの全てに目を通した。心の琴線に触れてくるものがあった。だがそれが何なのかわからなかった。

物事の表面に囚われてはいけない。そう自分を戒めてもう一度読み返し、考え、ワイルド・ターキーの残りを飲み、考え、飲み、さらに飲み、そして寝た。

翌朝、雨は降り続いていた。もう二度とやまないのではないかと思わせるような、分厚く重苦しい雲の下で切れ目なく降る雨。

「またお酒飲んだの」

朝食時にリーリエが顔をしかめた。

物事の表面に囚われている。彼女はまだ修行が足りないのだ。

「頭脳労働ってのは、はかりがたいものなんだよ」

「コップ、ちゃんと洗ってね」

「はい」

雨合羽を着込んだリーリエが登校するのを見送った後でデビッドに電話をかけた。『ALGOS』でのやりとりをかいつまんで伝え、ソフィア隊ウーラニアから情報を受け取ることになったと説明した。

「あれを仲間にしたんか? あの爆撃女を?」

電話の向こうでデビッドが呆れたような声を上げた。

「何がどうなってそういう話になってん。というか、よう説得したもんやな」

「ゲームの中は、ひとまず彼女に任せておきましょう。ハーメルンの笛吹きよりも頼りになりますよ」

と、曽我部は言った。

「デビッドさんの方はどうです。何かわかりましたか」

「こっちは、去年の電子監獄事件の担当者と話をする段取りをつけたわ。今日の昼過ぎからやけど、曽我部はんはどないする?」

曽我部は少し考えてから言った。

「そちらはデビッドさんにお任せしますよ。実は、情報屋のデータがまだしっかり読めていないんです。そちらの整理をしておきます」

「さよか。まあNABの細かい内情に突っ込んだ話になるかも知らへんし、その方がスムーズに行くかもな」

デビッドは言った。

「――ああ、そうや。トラヴィス・ボンドが残したログの解析結果が届いたで。曽我部はんにも転送しとくわ」

[何かわかりましたか?」

「ざっと読んだ感じ、大したやりとりは特にしとらんかった。そやね、目についたんは@HOMEの機能を調べるようセトが指示しとるところくらいか」

「@HOMEの機能?」

「そ。武器錬成とか、施設拡張とか、@HOMEのグレードアップの方法とかな。たぶんチートで何か細工するつもりやったんやろ」

「ペットショップ・チムズは鼠の実験場だった」

と、曽我部は言った。

「瀬戸悠里が自分の能力を研究し掌握するための施設。一般PCを客として誘いこむなり拉致するなりして、『光』の威力を確かめていた」

「ふん。ネット版サイコハウスってとこやな」

「しかし、@HOMEのチートというのがよくわからないですねぇ。鼠ではなく、@HOMEそのものをいじろうとしていた……。何のために?」

「そんなん決まっとる。鼠の『養殖』のためやろ」

デビッドは言下に答えた。

確かにそれで辻褄が合っているように思える。鼠を増やし、かつ隠匿する場所として@HOMEは最適の施設ではある。部屋をチート増設するだけで、鼠の数を思いのままに増やしていくことができるだろう。

だが、KKはなんと言っていたか? 『ALGOS』の監視システムに絶対の信頼を置くあの仮面の男は、監視システムの説明で「オブジェクトの陰に潜んでいたとしても、それを透かして撮影する」と豪語していた。

@HOMEに隠れた鼠を、そして瀬戸悠里の操作するPC本体を、『ALGOS』は見落とすだろうか? 

まだ何かが足りない、と曽我部は思った。瀬戸悠里の企みに肉薄するためのカードがまだ手元に揃っていない感じがする。

「――トラヴィスの会話ログに手がかりがあるかも知れへんな」

曽我部の逡巡を見て取ったらしいデビッドが言った。

「彼の容態は?」

「何も変わっとらん。意識不明のまま、向こうの病院に収容されとる。奴に直接聞くことはでけへん」

デビッドはうなるようにつぶやいた。

「もっぺんログを読み直しとくわ」

「私も目を通しておきますよ」

と、曽我部は言った。

 

リビングのソファに座り、携帯端末とパームパソコンを展開させると、曽我部は昨夜の作業を再開した。三時間ほどかけて手持ちのデータを集中して読み込んだ。

ヴェロニカ・ベインから渡された資料。

デビッドからの資料。

情報屋から受け取った資料。

その他諸々の、今まで得た全てのデータをチェックし直した。自分でも何を求めているのかわからない。だが、重大な手がかりが目の前にぶら下がっているのにその存在にさえ気づけていない、そんな気がしていた。

昼前に電話が鳴った。

「曽我部様のお電話でよろしかったでしょうか」

若い女の声だ。

「はい、そうです」

「株式会社サイバーコネクトのデバッグチームに所属しております、田沢美紀と申します」

デバッグチーム。『碧衣の騎士団』だ。

「曽我部さんは四日前の事故について調査されていると聞きました」

と、彼女は息をつめたような喋り方で言った。

「弊社の上層部から指示がありました。あなたの知りたいことをすべて話すようにと」

「助かります。さっそくお話を伺いたいのですが、何時頃がご都合よろしいでしょうか」

今日の午後から時間が取れるとのことだった。NABの話を断っておいて良かった。十二時半にお台場にあるコーヒーショップのチェーン店で会う約束を取り付けた。

埒が明かないデータチェックを中断すると、小降りになった雨の中、車を走らせた。正午だというのに空は暗かった。

約束の店はすぐにわかった。中は混んでいてほぼ満席状態だったが約束の相手がすでに隅のテーブルを確保してくれていた。曽我部が近寄ると彼女はすぐに気づいて立ち上がった。

「田沢さんですね」

そう声をかけると、彼女は首をぎこちなく動かして「はい」と答えた。ボブヘアー。スーツ姿。大層若く見えた。大学生と言っても通用しそうだ。だが少なくとも彼女は今年の春までには学校を卒業したはずだ。そして新卒としてCC社に入社し、デバッグチーム『碧衣の騎士団』に配属され、直後に瀬戸悠里という超弩級の災厄に遭遇した――いや、彼女だけは遭遇しなかった。間一髪のところで。だから無事にここにいるのだ。他のメンバーとは違って。

曽我部は名刺を渡して挨拶を済ませると向かいに座った。

「あの、何を話せばいいのでしょうか」

彼女は言った。近くで見ると眼の下に濃い隈があった。

「当日あったことを全てお願いします」

「全て……ですか?」

彼女は困惑したように瞬きした。

「あー。実は、何を調べればいいのかよくわかっていない状態でしてねぇ。どんな情報が必要でどう役に立つのか見当も付かない。手当たり次第ってところでして」

曽我部は頭を掻いた。

「田沢さんは『碧衣の騎士団』を全滅させた男とニアミスした貴重な証人です。あの日経験したことをすべて教えてほしいんです。そこに何か重要な手がかりがあるかもしれない」

『碧衣の騎士団』はサイバーコネクト・ジャパン社が擁する優秀なデバッグチームだ。瀬戸悠里のような人間が彼らに手を出すメリットは一つもない。瀬戸はなぜ彼らを襲ったのか。手痛い反撃を受ける可能性があったというのに。

彼女は当時の状況を振り返りながらぽつぽつと語った。

その日、いつものようにチームでデバッグ作業に従事していた事。

すでに定時を過ぎて夜になっていた事。

不手際があり、上司の騎士長に叱責され、ログアウトさせられた事。

だが、その不手際を埋め合わせるための資料の場所を失念してしまい、再び怒られることを覚悟しながら再度ログインし直した事。

彼女が『The World』から離れていた時間はおそらく三十分にも満たない。そのわずかな時間のうちに状況は一変していた。日常から非日常へと。

騎士たちは見知らぬ男と口論をしていた。彼女が遠くから見ているうちに、その男がいきなり副長を真っ二つに引き裂いた。そしてどす黒い何かが騎士たちを次々に飲み込んでいった。遠目からはタールの塊のように見えたそれは、よく見ると鼠の群れだった。

最後に騎士長が見知らぬ男に対してアーツを放とうとして、一瞬だけ膠着し、次の瞬間には鼠の群れに押し倒されてしまった。

やがてその男がカオスゲートへ向かおうとする気配を感じ、彼女はあわててログアウトした。

そしてリアル側で彼女を除く全メンバーが意識不明に陥っているのを発見した――

話は終わった。

当事者だけに彼女の語る内容は詳細であり生々しかった。しかし曽我部がヴェロニカ・ベインから受けた説明を裏付けたに過ぎない。

「それ以外に、何か気付いたことはありませんか」

と、曽我部は尋ねた。

「例えば、その男の様子について、何かを目を引くような箇所はありませんでしたか」

「いいえ。特に何も」

「こんな表情をしていたとか、仕草とか。そういうレベルでも構いません」

彼女は目を伏せ、軽く唇を噛んでいたが、しばらくして顔を上げた。

「すみません。何もありません」

さらにいくつかの質問をしてみたが彼女の反応は変わらなかった。

曽我部は開いていたパームパソコンを閉じた。

これ以上の話は聞きだせそうにない。残念ながら無駄足のようだった。

曽我部は立ち上がろうとして腰を浮かせた。

その時、田沢がつぶやくように言った。

「あの男は、女をじっと見ていて……」

曽我部は動きを止めた。女?

「女というのは、『碧衣の騎士団』のメンバーのことですか?」

「え? いえ、そうじゃないです」

「ちょっと待って。田沢さん、ええと」

曽我部はまた腰を下ろした。

「確認させてください。あー……他に誰かがいた?」

パームパソコンを再び開き直した。

「システム管理者を装った男と、騎士団の他に、第三者が現場にいたのですか?」

「あの、すみません。記憶が混乱してて。違います。人ではありません。放浪AIがいたんです」

言ってから彼女は慌てて口に手を当てた。

曽我部は首を振ってみせた。

「機密のことならご心配なく。私も元々はサイバーコネクトの人間ですから。そのあたりの事情は掌握しています」

『The World』における放浪AIの存在はトップシークレット扱いとなっている。だが今それはさして重要なことではない。曽我部は説明を促した。

「――私たちデバッグチームは、放浪AIのデリート作業を行っていたんです」

彼女はこめかみに両手の付け根を当てて頭を覆うようにした。

「思い出しました。あの時……私がタウンに戻った時、システム管理者の姿をした男がすでにいて、騎士長とごく普通に話をしていました。仕事上のやりとりをしているように見えました。……それで、一度は立ち去ったんです」

「立ち去った? 男が?」

「はい。何のトラブルもありませんでした。その後、作業が再開されました。私は騎士長に質問に行くタイミングを失ってしまって、様子を見るつもりでその場に立っていました」

曽我部はパームパソコンのキーボードを叩いてメモを取った。

「そうしているうちに、騎士団は、放浪AIたちの一団を捕まえて、デリートし始めました。最後に残ったのが、さっき言った二体の放浪AIだったんです」

「どんな放浪AIですか?」

「親子連れを模した母と子供です。母親は二十代後半くらい、子供の方は五歳くらいの外見をしていました。騎士長が彼女たちをまとめて槍で貫き、引き倒して、とどめを刺そうとした時に……あの男が再び現れたんです。そして、言葉を交わしたと思ったら、副長を……」

ごくり、とつばを飲み込んだ。

「……それから先は、お話した通りです」

曽我部は話の内容を入力し終えると、少しの間、手を止めて考えた。

一度は騎士たちをスルーした瀬戸悠里はなぜか突如として気が変わり、わざわざ広場に戻ってきておもむろに大量虐殺を開始した。何のために?

おぼろげながら当時の状況がつかめてきたように思えた。だが、もう一押し、確証めいたものが欲しかった。

曽我部は美紀を見た。

「実際に目撃した、あなたの印象を聞かせてください。男はなぜ戻ってきたと思いますか?」

「今、考えると……」

彼女は青白い顔を上げて曽我部を見つめ返した。

「二体の放浪AIのために、あの男が割り込んできたように思います。まるで……騎士団から親子を守ろうとしたみたいに……」

 

いつの間にか霧のような小雨に変わっていた。

曽我部は駐車場に停めた車に戻ると、飴を取り出して包装紙を剥がし口にくわえた。ココア味だった。濃厚な甘味を味わいながら曽我部はたった今得たばかりの情報を頭の中で吟味した。

放浪AIを救おうとして『碧衣の騎士団』を全滅させた。他の誰でもない、あの魔人が。ネットワークを消去するために鼠をばら撒くあのテロリストが。なかなか面白いジョークだ。この先役に立つかどうかわからないカードだが、ひとまず手持ちの札に加えておくことにしよう。

曽我部は膝の上でパームパソコンを開くと、たった今、店の中で入力した文章を読み直した。あてもなくいくつかのファイルを開き、画面をスクロールさせると、キーボードを閉じ、助手席側に置いた。ふと気になってもう一度パームパソコンを手に取った。

正式に依頼を引き受けた際にヴェロニカ・ベインから渡された資料が開かれたままになっている。ユーリ・カジンスキー・セトすなわち瀬戸悠里すなわち自称ドレインに関するプロフィール。

不意に、前触れもなく、頭の中で何かが弦を弾いた。

すでに何度となく目を通しているその資料を曽我部はもう一度ゆっくりと読み直した。

 

瀬戸悠里、沖縄県出身。米軍人の父と日本人の母の間に生まれる。

出生直後、父の転勤に伴い家族でアメリカに移住。

六歳の時、訓練中の事故により父が死亡。

母親に連れられて再び日本に戻るが、その二年後に母親も病死。

母方の親族のもとで高校生になるまで過ごす。

ハッキングに手を染め始めたのは中学一年生頃。

その後、上京して竹馬大学に進学し、医学部に所属。専攻は脳神経外科学。大学院に進むが卒業寸前で中退。理由は不明。

そして二七歳で『デッドリー・フラッシュ』事件を起こす。

 

曽我部はパームパソコンをそのままに、座席にもたれて目を閉じた。

こんなところに重要なキーワードが紛れ込んでいたのだ。

 

(続く)

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