3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

33 ALGOS

「どいつだ? どのクソがフリューゲルだ?」

と、ウーラニアは言った。

「あー。俺だ」

フリューゲルはヴェロニカ・ベインから渡された『ゲスト・キー』を取り出して示した。

「どぉーも助かったよ。ありがと。九死に一生を得たってところ。もう少しで焼けクソになるところだった」

「あんたをあたしたちの@HOMEに連れてこいと言われてる」

ウーラニアは『ゲスト・キー』とフリューゲルの軽口を無視した。その代わりにフリューゲルの全身を鋭く一瞥した。そしてクサメと情報屋を顎でしゃくった。

「だが、こいつらは何だ? 聞いてねえな」

「私はNAB調査官クサメや」

クサメが一歩前に出た。

「フリューゲル氏の協力でネットスラムを調査しとった。あんたらのことはすでに聞いとる。この後の話し合いにも参加させてもらいたいんやけど、ええか?」

ウーラニアはクサメを睨んだ。

「てめぇ、NABか」

眼に険がある。彫刻のように整った顔とは裏腹に、その目つきは悪相と言えた。吐き捨てるように唸った。

「好きにしろよ。公務員のエリート様とご一緒できて光栄の極みだな。……お前は?」

情報屋は震え上がった。

「お、俺は無関係だ。そっちの話になんか興味ねえ。たまたま一緒にいるだけだ。本当だ……」

情報屋はくどくどと自分の立場を弁解したが、ウーラニアはすぐに興味を失ったらしかった。

「ブレグ・エポナに行け」

フリューゲルの方に向き直った。

「『ALGOS』の@HOMEがある。ギルドマスターはKK(ケー・ケー)って男だ。あんたと話がしたいってよ」

それで伝えるべきことは全て伝えたとでもいうようにウーラニアは背を向けた。他のソフィアも彼女に習って一斉に後ろを向いた。軍隊めいた規律正しい動き。

「待ってくれ。ウーちゃん」

フリューゲルは呼び止めた。

ウーラニアは肩越しに冷ややかな眼差しでこちらを見た。

「あー。ウーちゃんって呼んでいい?」

「尻を撃たれたければな」

「じゃあやめとく。お前さんたちは一緒に来てくれないのか? 案内してもらえると助かるんだけど」

「あたしは忙しいんだ。鼠どもの後始末がある。お手手つないで行ってやる暇はねえよ」

「忙しいところ悪いねぇ。あと一つ……いつからこの広場に隠れてた?」

「あんたと犬がログインした直後にあたしはここへ来た。飛行帽の@HOMEへ入っていくのを後ろで見ていたよ」

「へーえ。全然気付かなかったな」

「その後はずっと鼠どもを一掃するタイミングを測ってた」

ウーラニアはにやりとした。陽気な鮫のような笑みだ。

「あんたらが間抜け面さげて広場に来てくれたからな、仕掛けやすくなって助かったぜ」

そう言うと、ウーラニアと他のソフィアたちは音もなく宙に浮かび上がっていった。十メートルほどの高さで一度滞空し、フリューゲルたちを見下ろした。

「じゃあな。また後で会おうや。あんたらに平和を、だ」

九人の女神は金と銀の光を閃かせて市街へ飛び去っていった。

「――つまり、私らを囮にしたってわけやな」

クサメが言った。

「@HOME……」

ウーラニアたちが飛び去るのを見送っていた情報屋が、不意に我に返ったようにつぶやいた。

「そうだ。俺の@HOMEは……」

 

情報屋のジャズ喫茶店内は、グラフィック関連のバグが発生したように殺風景な灰色一色で塗りつぶされていた。鼠たちが内部のあらゆるデータを齧り、削り、砕き、飲み込み、狼藉の限りを尽くしていったのだ。彼の全財産とも言うべきクラウド倉庫も破壊されていた。保管していたデータはことごとく食い荒らされて使い物にならなくなっていた。

かつてオルゲルの機関銃によって破壊され、その後「黒い森」のトラブルで火事を起こした彼の拠点は、今度は鼠の災禍によって完膚なきまでの廃墟と化した。三度目の崩壊。単なる巻き添えで。無関係なのに。

情報屋は言葉を失って立ち尽くしていた。

「あー……」

フリューゲルは言った。

「お前さんからもらった情報、もう全部コピーとったから……返そうか? うん。返しとくね」

そう言ってかつてカウンターだったと思しい灰色のオブジェクトの上に羊皮紙や巻物を並べ始めた。

情報屋は無反応だった。フリューゲルは喋り続けた。

「あー……。ほら。ねえ。お前さんもこうなったら海苔かかった焼きそば、なんつって、乗りかかった船。俺らと一緒に世界平和のために戦っちゃう? 三人でチーム組むんだよ。かっぴょいいチーム名つけちゃったりしてさあ。例えば、あー……ゴーグル……眼鏡……トリオ・ザ・メガネ」

「眼鏡? 私はかけてへんけど」

と、クサメが言った。

「よぉーし、じゃあみんなでおそろいのを買いに行こうぜ! これから一緒に買いに行こうぜ!」

「帰ってくれ」

と、情報屋は言った。

フリューゲルはうなずいた。

「うん。そりゃまあそうだよね」

情報屋はのろのろした動作で元スツールらしい灰色の物体に腰を下ろした。

「これ以上、俺を巻き込まねえでくれ。もう二度と連絡しないでくれ……」

前かがみになって膝の上で手を組み、そのままじっと動かなくなった。十五歳ほど老けて見えた。

フリューゲルは彼の肩に手を置いて励ました。

「お前さんほどのやり手ならすぐ店を立て直せるさ。ファイトよ、ファイト。元気出せって。落ち着いたら、また遊びに来るからさ」

情報屋は顔を上げて、未だかつて見せたことのないなんとも深みのある表情でフリューゲルを見た。フリューゲルは思わずうつむいた。

「今のは悪い冗談だった。その……ごめんネ」

 

フリューゲルとクサメは@HOMEの外に出た。

驚くべきことに、ネットスラムは人の気配を取り戻し始めていた。住人たちが通りに顔を出し、用心深く周囲をうかがう姿があった。どうやってかは知らないが彼らは鼠の大襲撃から逃げ延びたのだ。雑草のようにタフでしぶとい連中。街は未曾有の混乱から早くも回復しつつあった。

『トロイはうまくいったんか?』

クサメがウィスパーモードで尋ねた。

『瀬戸に悟られないよう、本体の居場所を突き止めてから電波を出すように設定してる。もう少し時間が経ってからでないと、成功したかどうかわからない』

フリューゲルは肩をすくめた。

『ただ……クールビューティーたちの爆撃に巻き込まれたかも』

『タイミングが悪かったわな』

クサメは鼻を鳴らした。

『けど、ソフィア隊の連中が乱入してこんかったら、私ら、今頃は鼠どもに骨(ボーン)までかじられとったで。あのべらぼうな群れはなんやねん。話がちゃうやんけ』

『俺も想定外過ぎて困ってる。一体のシックザールPCがあそこまで無尽蔵に力を発揮できるわけがないんだけどねぇ』

『しかし、現実に、奴は数億匹の鼠を操っとる。ネットスラムを埋め尽くすほどの数や』

クサメは腕を組んだ。

『一人では無理っていうんやったら、その……複数のシックザールPCならどうなんや? 例えば、奴と同じ能力を持つ協力者がいるとしたら。たくさん鼠を作れるってならんか?』

フリューゲルは首を振った。

シックザールPCはプレイヤーの精神のありようを反映する。故にその性能は各々全く異なる。瀬戸にとって都合よく同一の能力を持つ者がいるとは思えない。

仮に瀬戸と同レベルの鼠使いがもう一人いたとしても、せいぜい鼠の数が千匹から二千匹になる程度だ。

しかし、そこまで考えて、フリューゲルは別の可能性に思い当たった。

一人では無理。では……他の何かの力を利用している?

『そぉーだ。待てよ。情報屋の話だ。鼠に襲われる前に言っていた』

フリューゲルの言葉の意味をクサメはすぐに理解したようだった。

『黒い森か。人間のパーツを接続した特殊なコンピュータとかいう奴な』

『そのコンピュータを瀬戸悠里が利用し、パワーを得て、鼠の超大群を作り出しているとしたら?』

フリューゲルとクサメはしばらく黙りこんだ。

『あり得そうな気がするねぇ』

『私もそんな気がするわ』

そわそわした様子でクサメはフリューゲルに向き直った。

『よっしゃ。これから赤坂支部に行って、がっつり調べてくるわ。今の時間なら、まだ何人か残っとるやろ。ひょっとしたら当時の担当者にも会えるかもしれん。――ソフィア隊との話し合いは任せてええか?』

フリューゲルは力強くうなずいた。

『もちろん。これ以上ないくらい円満に済ませるよ』

クサメは何か言いたげにフリューゲルの顔を見たが結局言わなかった。

『まあ、頼んだで』

とだけ言った。

 

双天都市ブレグ・エポナはハイテクノロジーで虚飾された巨大なタウンだ。高層ビルが建ち並ぶこの街では、住人たちの身分と経済の格差が極端に開いており、街の支配者や高位市民たちは華やかな上層部で、貧しい者たちは下層部のスラムで生活する――という設定になっている。

@HOME『ALGOS』は公共のエレベータで昇った上層部にあった。

中に入ると、システム管理者PCがフリューゲルを迎えた。

「ウーラニアより連絡を受けています。ようこそいらっしゃいました」

首から下は通常のシステム管理者と同じPCボディだったが、頭部の装備品が目を引いた。制帽ではなく、鳥の嘴の付いたマスクを装着していたのだ。

中世ヨーロッパの絵画などに登場するペスト医者の格好だ。

なかなかいいセンスをしている。

「私がこのギルドの責任者、KKです」

「どぉーも。はじめまして。フリューゲルです」

「もう一人、NABの方がいらっしゃると聞いていましたが」

「あー。急用を思い出したとかで、さっきログアウトしました」

「そうですか。それは残念」

KKは軽くうなずいた。

「ところでフリューゲルさん。お会いするのは初めてではありません」

フリューゲルは相手の顔を見た。

KKの目と鼻はマスクですっぽり庇われており、その表情をうかがい知ることはできない。口元だけが愛想よく微笑んだ。

「と言っても、リアルでのことですが。ベイクトンホテルでお会いしました。あなたをヴェロニカ会長のもとへお連れいたしました」

フリューゲルは二週間ほど前のことを思い出した。彼を最上階のペントハウスまで案内した男。そう、確か、秘書室長の小倉と名乗った。

「思い出していただけましたか。あらためまして、リアルでは小倉清と申します。以後お見知りおき願います」

KKは慇懃な口調で言うと、フリューゲルをさし招いた。

「さあ、どうぞ。中にご案内いたしましょう」

フリューゲルは彼に先導されて奥へ伸びる通路を歩いた。

「――すでにご推察されているかと思いますが、このギルド名は、ALGOS社から来ています」

歩きながらKKは説明した。

「私はALGOS日本支社の利益代表としてCC社に派遣されています。お台場で勤務していますが、本来はALGOS社の人間なのです。その経歴をヴェロニカ会長に見込まれて、ソフィア隊の管理を任されたというわけです」

「なるほど」

フリューゲルは相槌を打った。

ALGOS社はコンピュータ・ウィルス駆除ソフト「Sophia System Security」すなわちソフィアの開発会社だ。

通路はすぐに自動ドアへと突き当たり、それをくぐると、周囲がいきなり暗転した。

三歩先も見通せぬ闇の中にフリューゲルは立っている。見えるのは周囲の床だけで、空間は闇に溶けていき、果てしなく、どこまでも続いているかのようだ。

隣にいるはずのKKの姿も確認できない。

その時、フリューゲルの正面の空間が割れた。暗闇の壁の全面に光が走った。古代遺跡のような浮かし彫りと光の壁画が放射状に広がり始めた。

「ここがALGOSのモニタールームです」

KKがいつの間にか壁面のすぐ前に立っていて、右手でレリーフを示すようにした。

光の奔流とともに、無数のウィンドウが情報樹系図のように次々と開いていく。

フリューゲルはそこに映しだされた静止画を見て驚いた。どのウィンドウにも、あの紫色のエフェクトを身にまとった鼠たちの姿があったのだ。

「『The World』各所の映像です。我々は鼠どもが潜んでいる全エリアを掌握しつつあります」

得意げな口調を隠そうともせずにKKは言った。彼が傍らの操作ボードらしいものに左手を走らせると、ウインドウの画像が次々に切り替わっていった。そのどれもに鼠たちの禍々しい姿が映しだされていた。

「合点がいったよ」

と、フリューゲルは言った。

「ウーラニアたちがタイミングよくネットスラムに現れたのを不思議に思ってたんだが。これで鼠の動向を監視してたってわけか」

KKはうなずいた。

「リアルに即してわかりやすく言えば、衛星カメラと同じシステムです。『The World』の全エリアを、はるか上空、プログラム上限界ぎりぎりの位置に設置された特殊カメラが十四分ごとに一回の割合で一巡し、この世界の全てを撮影します。このカメラには地上のものを九八%以上の正解率で識別する能力があります。被写体が動いてさえいれば、十匹未満の鼠の群れさえも認識します。また、たとえオブジェクトの陰に潜んでいたとしても、それを透かして撮影することも可能です」

再びKKが操作ボードを触ると、ウィンドウは一斉に閉じた。

だが壁面の光はほのかに点ったまま、室内を照らし続けている。

KKがフリューゲルに向き直った。

「我々は協力し合えると思っています」

と、彼は言った。

「あなたは今回の事件についてアドバンテージがある。貴重な情報をたくさんお持ちのはず。そして、私たちにはご覧の通り、技術があります。鼠の群れを見つけ出し、根絶させる力です。フリューゲルさん、私たちと手を組み、瀬戸悠里に対して共に闘っていただけませんか?」

フリューゲルはしばらく黙って考えた。いくつかの疑問が浮かんできたので、それを聞いてみることにした。

「その前に、教えてほしいんだけど」

「なんでしょうか」

「鼠の数は今どうなってる?」

「百匹にも満たない小グループが十程度に分散してエリアの最深部などに潜んでいます。それらを全て合計すると、八〇三匹。今日の闘いで、ほぼ壊滅状態に陥ったと言っていいでしょう」

「瀬戸悠里のPCが今どこにいるかも、すでに突き止めてる?」

KKの眼の色が曇った。

「いいえ。本体の居場所はまだ発見できていません。残念ながら」

「さっきのカメラの説明を聞いた感じ、簡単に見つけ出せそうに思えたんだけど」

「『The World』はあまりにも広大です。『ALGOS』のカメラといえども、一度に全てのエリアを撮影することは不可能です。どうしても時間のずれ、若干のラグが発生してしまうのです。おそらくはその隙間に入り込むようにして、偶然隠れてしまっているのではないかと思います。ちょっとした手違いのようなものです。すぐに見つけだしますよ。間違いなく」

「なるほど」

 フリューゲルはうなずいた。なるほど。

「えーと、この監視システム? すっごいんだけどさ。一人や二人のプログラマーじゃ管理できないと思うんだよね。そこんとこ、どうなの?」

「その通りです。当ギルドは複数人のプログラマーから成るチームによって運営管理されています。このプロジェクトのために私が新しく雇った者たちです。彼らはログインこそしませんが、今も勤務中です。このやりとりもリアル側でモニターチェックしていますよ」

「その人たちと話をさせてもらっていい?」

KKの口元がかすかにこわばったように見えた。

「それは……できません。機密保持のためです」

「ほんのちょっと、二、三、質問したいだけなんだけど」

「禁じられています」

「じゃ、システム部分をのぞかせてもらうこともできない?」

「先ほどの私の説明が、規則に抵触しないぎりぎりの内容なのです」

フリューゲルはうなずいた。なるほど。

その時、室内にブザーが鳴り響いた。

「ウーラニアが戻ってきたようです」

KKが言った。

その言葉通り、自動ドアが開いてウーラニアが入ってきた。一人だった。他のソフィア隊メンバーの姿はなかった。

「免疫化の作業は?」

KKが彼女に向かって言ったが、その声は心なしか冷たかった。

「きれいさっぱり終わったよ。鼠どもの死骸データを広場に集めて焼き払ってやった」

ウーラニアが愉快そうにくっくっと笑った。

「これがリアルなら、奴らの死骸は天国まで臭ったろうよ」

「調子が良いようだね」

「ああ。今日でざっと六千ドル以上は稼いだぜ」

「君の収穫は、記録モニターで分析判定させてもらう。担当からの連絡を待ちたまえ」

「そうするよ。もう今日は十分に働いたからな。これで上がらせてもらう」

再びブザーが鳴った。今度の音は先程よりも甲高く、長く続いた。

「待ってくれ、ウーラニア。戻ってきたばかりの所で悪いが、残りの鼠たちが一箇所に集結し始めたようだ」

KKがリアル側で何かやり取りした後、ウーラニアに言った。

「全て集まった程度で千にも満たない数だが、放置はできない。排除してきてくれ」

返事はなかった。

「ウーラニア?」

「嫌だな」

ウーラニアはそっぽを向いた。

「何――」

「群れの規模が小さすぎる。小遣いにもならねえ」

「何を言っている」

「金儲けの黄金律さ。収穫は、もっと数を増やしてからだ」

息を大きく吸ってから、KKは言った。

「私の指示に従えと言っているんだ」

「ユーザーどもに被害が出ない限り、出撃の最終的な判断はあたし自身がする。そういう契約だろうが」

「ギルドマスターはこの私だぞ」

「そうかい。学級委員になって喜ぶ手合いか」

ウーラニアはせせら笑った。

「周りにいいように利用される馬鹿の典型だな」

二人の会話は途中から英語になっていた。会話の内容を第三者であるフリューゲルに聞かれないようにしたのか、単に白熱したためか、あるいはその両方なのか、フリューゲルにはわからなかった。だが、いずれにせよ、フリューゲルに話の中身はわかったし、仮に言葉が理解できなかったとしても、二人の様子から、それが会話というよりも口論の類であることは明らかだった。

KKが我に返ったようにフリューゲルを見た。

「申し訳ありまぜん。お見苦しいところをお見せしました」

「いーや。活気ある職場は、上司の美徳の賜物だよ」

フリューゲルは言った。

KKはウーラニアを睨みつけると咳払いをした。

「話を元に戻しましょう。CC社、そしてALGOS社は、悪意あるクラッカーに決して屈しない。我々『ALGOS』の任務は、瀬戸悠里の鼠を撲滅させてユーザーを守ること。フリューゲルさんの仕事は、瀬戸悠里を捕まえること。私たちは協力し合えば、お互いに効率よく目的を達成できると思います。『ALGOS』に加わっていただけませんか」

「ネットスラムであんたとセトのやりとりを見物させてもらったがよ」

ウーラニアは軽く笑い声を発して首を素早く振った。

「手を組んだところで、あんたがあたしの役に立つとは思えねえな。クソの蓋にもならねぇぜ」

「ウーラニア。黙りなさい」

KKが厳しい声で言った。

「あー。そうだな」

少し間を置いてからフリューゲルは言った。

「俺が今まで集めた情報はそちらに渡しとく。好きに使ってくれていいよ。ただ、俺が『ALGOS』に加わって、おたくらと一緒に活動するってのは……やめといたほうがいい気がするねぇ。彼女の言う通り、足を引っ張っちゃうかも」

「そうですか。それは残念です……」

失望の色もあらわにKKは言った。ウーラニアを横目で睨んだ。

「お気を悪くされたのでなければよいのですが」

「とぉーんでもない。素敵な設備が見れて良かった」

「気が変わったらいつでも来てください。お持ちしています」

フリューゲルは立ち去ろうとして、ふと気づいたようにウーラニアの方を振り向いた。

「『ウーラニア』というのは、ギリシア神話が元ネタ?」

ウーラニアはじろりとフリューゲルを見た。

「知らねえな」

「ソフィア隊の他のメンバーにも、それぞれ芸術の女神(ムーサ)の名前が付けられてるの?」

「おい。知らねえって言ってんだろうが」

「そう言えば、アルゴスってのも、ギリシア神話だよね」

 相手の反応には全く構わずにフリューゲルは言葉を続けた。

「あー。そうそう、ギリシアにはこんなことわざがあったっけ」

おもむろにフリューゲルは、日本語ではない言葉で、詩のような一節を諳んじてみせた。

唐突に差し込まれた詩の朗読に、KKは呆気に取られたようだった。

ウーラニアは無表情で何の反応も示さなかった。

フリューゲルは二人の顔を交互に見て微笑んだ。

「それじゃ、どうも。お邪魔しました」

そう言ってフリューゲルは『ALGOS』の@HOMEを退出した。

 

エレベータを使って下層部まで降りると、フリューゲルは高層ビルの陰にあるベンチに腰を下ろした。街並みは初夏を思わせる穏やかな陽射しに満ちていたが、時刻を確認すると夜の八時近くになっていた。なんてことだ。働き過ぎだ。夕食が遅くなるとリーリエに電話しておけばよかった。

しかし、とにかく餌は巻いた。あと三十分ほど、ここに座って様子を見よう。うまくいくかどうかは分からないが。

「盗み聞きされる心配はねえ」

と、ウーラニアが言った。

彼女はフリューゲルの隣にあぐらをかくように足を組んで座っていた。

「この区画一帯に盗聴防止の結界を張った。KKや『ALGOS』の連中は、あたしがここにいることを探知できないし、仮にその気になったとしても、このベンチでの会話を聞き取ることはできねえよ」

フリューゲルは彼女の横顔をまじまじと見つめた。

「あー。ソフィアの性能の一つなんだろうけど」

と、彼は言った。

「いきなり出てくるの、やめてくれる? びっくりしたよ」

「あんたが呼んだから来たんだろうが。いや、そんなことよりも」

ウーラニアは喉の奥で唸った。

「……なぜわかった? 隠してるつもりはねえ。だが、今まで誰も気づかなかったことをどうして?」

「KKとやりあった時、お前さんの言葉に少しだけ訛りがあった。それに聞き覚えがあってねぇ。昔大学でお世話になった教授が英語を話す時と同じ発音だった」

フリューゲルは言った。

「教授は東欧出身のユダヤ人だった。で、ぴんと来た。お前さんの決め台詞。『あなたに平和を』――これはユダヤの挨拶の言葉だ。そうだろう? だから、お前さんのことをユダヤ人または元ユダヤ人だとあたりをつけた」

「それで東欧ユダヤ語(イディッシュ)を使ったのか」

去り際にフリューゲルの言った言葉はギリシアのことわざではなく、またギリシア語でもない。次のような事柄をイディッシュで勿体ぶって喋ったに過ぎない。

へい、彼女。外に出て二人っきりでお話しない? カオスゲートで待ってるよ。

ウーラニアは底光りする目でフリューゲルを見た。

「間抜け面のチンピラのくせに、油断のならねえ男だな。ええ、おい?」

「うれしいねぇ。いつか誰かがそう言ってくれるんじゃないかって思ってた」

「用件を言いな。あたしだけをわざわざ呼び出したってことは、『ALGOS』には聞かれたくねえ話なんだろ」

「お前さんを雇いたいと思ってさ」

「何ぃ?」

「鼠の群れに関する情報をこっちに横流ししてほしいんだ。群れの位置、規模、動向、その他もろもろを。KKたちには悟られないように」

「何を言ってる? さっきKKが協力したいって言ったじゃねえか。奴から直接聞けばいいだろう」

フリューゲルは首を振った。

「KKは信用できない。態度も、能力も。話をしていてすぐに気づいたよ。彼は『The World』的な想像力に欠けている」

なぜか瀬戸悠里のPCの居場所をつき止めることができない監視システム。そのことを掌握していながら、理由を深く追求しようともしていない。

また『ALGOS』には新しく雇い入れたプログラマーが何人もいるという。彼らの身元は確かなのか? 連中に瀬戸悠里の手が及んでいないと言い切れるか?

そしてフリューゲルに協力を持ちかけながら、内部のシステムを知られることを極端に警戒している。一方的にフリューゲル側の情報を奪い取る魂胆が丸見えだ。

「ウーちゃん。お前さん自身はKKのことをどう思ってるんだ?」

「自分の靴の上にクソを垂れてることにも気付かない馬鹿さ」

ウーラニアは吐き捨てるように即答した。

あまりの言いようにフリューゲルは苦笑した。

「辛辣だねぇ」

「鼠の件を、自分の出世につながるとしか考えていない。あの男はヴェロニカの婆ぁに命令されたなら、喜んで奴のへどだって食うぜ」

「そういう人間とは取引しない。商売の黄金律じゃない?」

ウーラニアは小さく笑った。

「なあ、チンピラ。あんたと話をするのは本当に楽しいよ。だが、なぜあたしにそんな話をもちかける?」

「お前さんが現場の人間だからだよ。『ALGOS』の中で、ソフィア隊だけが最前線に出て鼠と渡り合ってる。今の状況を最も正しく把握できてる」

フリューゲルは静かに言った。

「さっき、KKの指示を拒否したよな。無駄な小競り合いをして、瀬戸にソフィア隊の能力を分析する機会を与えないように注意してる。そうだろう? お前さんはクソみたいなクラッカーかも知れないが、その判断は信頼できる。そう思ったんだ」

ウーラニアはベンチに座り直し、フリューゲルの顔を真正面から見た。

「あたしのメリットは?」

「もちろん、金を払う。こんなところでどうかな? 日本円で、だけど。ドルの換算はそっちでやってくれ」

フリューゲルはウィンドウを出して数字を入力して見せた。

ウーラニアは数字をちらと見た。

「もう一つ、もし瀬戸悠里のPC本体を見つけてくれたら、追加ボーナスを出すよ」

別のウィンドウを出して数字を入力した。

「『ALGOS』の監視システムはどうして瀬戸悠里のPCを見つけられないのか。KKの言う通り、単なる偶然なのか。それとも、瀬戸が何らかの策を施しているとして――それは何なのか。そいつがわからないってことは、瀬戸の頭脳がKKやお前さんを上回ってるってことになっちゃうかも――おっと失礼! でも、ほら。取り組む価値のある問題だと思わない?」

フリューゲルの挑発にウーラニアは易々とは乗らなかった。彼女は考え深げに言った。

「情報を漏らすと、CC社との契約違反になる。奴らから金がもらえねえ。逆に違約金を払うことになるし、サンディエゴでの前科も消えねえ」

「バレたら、だけどね」

「バレたら、あんただって面倒な立場になる」

ウーラニアはかぶりを振った。

「やっぱり理解できねえな。あんた自身のメリットは何だ? あんたもCC社に雇われてるんだろう。どうして奴らの意図に逆らうような真似をする?」

「出世のためじゃない。金のためじゃない」

「なぜだ?」

「だって、正義の血潮ってやつがうずくじゃないの」

と、フリューゲルは言った。

ウーラニアは顔を引くと、信じられないものを見る目つきで、そのままたっぷり一分ほど眉をひそめてフリューゲルを見ていた。

「呆れたな」

かすかに首を振った。

「全く呆れたな」

やがて邪悪な笑みがゆっくりとその顔に広がった。海面をかきわけて鮫が顎を突き出すような笑い方。喰らいつくことに決めたのだ。

「――いいだろう、フリューゲル。気に入ったぜ」

と、彼女は言った。

「その話に乗ってやる。鼠どもの情報を流してやるよ。あんたがユーリ・カジンスキー・セトを捕まえる手助けをしてやる……」

メールアドレスを交換した後で、ウーラニアは自嘲するような口調でつぶやいた。

「正義のクラッカー。あたしのキャリアの頂点だな」

「やったじゃないの。履歴書に書けるよ」

「ありがたいこった」

ウーラニアは立ち上がった。

「じゃあな。あたしは行くぜ」

その背中にフリューゲルは声をかけた。

「気をつけろよ。瀬戸悠里を甘く見るな。やばいと思ったらすぐ逃げろ。俺たちの中でお前さんが一番危険なパートを受け持ってるんだからな」

「わかってるさ。CC社に使い捨てにされるつもりはねえ。せいぜいたっぷり稼がせてもらうさ。奴らからも、あんたからもな」

「お前さんに平和を」

フリューゲルは言った。

「あんたにも平和を」

ウーラニアも返した。そしてにっこりと笑った。目の光が和らぎ、多少愛嬌のある笑顔になった。

「いつか見てみたいもんだな。あんたのリアルの間抜け面をよ」

そう言うと、彼女は音もなく空を飛んでいった。

静かな海を悠々と泳ぐ鮫そのもののように。

 

(続く)

next「34 ポスト・モーテム」へ

ページトップへ

一覧へ