3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

32 ソフィア隊

フリューゲルは後ずさりして鼠を避けながら情報屋に言った。

「何してる。早くログアウトしろっ」

「やってるよ! 畜生!」

情報屋が叫び返した。彼はカウンター向こうの壁に背をぴったりと貼りつけていた。

「さっきから出ようとしてんだ。マク・アヌの時は逃げられたのに……できねえ! 半年前の黒い森と同じだ。また始まりやがった。くそ。リアルに戻れねえ……」

後半は泣き声になっていた。

「何――」

フリューゲルの見ている前で、情報屋の体からログアウトのエフェクトが発せられた。だが、それは効果を発揮することなく力を失って消滅してしまった。

何らかの圧力がこの@HOMEに、いや、ひょっとするとネットスラム全体に掛けられているのだ。

店全体が鳴動していた。至るところでオブジェクトをかじる音が響いてきた。

「も、もう駄目だっ。ここは駄目だっ」

情報屋が上ずった声でわめいた。

「早く外に逃げなきゃ……!」

情報屋はカウンターを乗り越えると、出口から一目散に外へ飛び出そうとした。が、フリューゲルが腕を伸ばしてその進路を遮った。

「ちょっと待て」

彼はブリーラー・レッスルを構えたまま、傍若無人に走り回る鼠たちを観察した。店内に侵入したのは五、六十匹程度と目算していた。そのどれもが、牙をむき出しにし、やかましい鳴き声をあげている。しかしこちらに向かって攻撃を仕掛けてくる者が一匹もいないことに気づいていた。

フリューゲルはウィスパーモードでクサメに呼びかけた。

『鼠の動きがオーバーすぎる。これは陽動だ』

『なんやて?』

クサメもささやき返した。彼は魔典を開き、いつでも呪紋攻撃を仕掛けられるように身構えていた。

『大げさに走り回ってるだけだ。俺たちを攻撃するという指示(コマンド)を与えられていない。獲物を脅かして巣から追い立てるのがこいつらの役目だ』

クサメははっとした表情でフリューゲルを見た。

『待ち伏せしとるんか? 私らが@HOMEから飛び出すところを』

『たぶん、外の通りは鼠でぎっちり包囲されてるってところだろうねぇ』

『ほなどうする?』

フリューゲルはウィスパーモードを閉じて情報屋に尋ねた。

「裏口はあるか?」

「んなもんねえよ!」

「そうか。じゃあこれから作る」

カウンター内のグラインダーを撃った。

「おい、何するんだよ!」

情報屋は抗議の声を上げたが、グラインダーが小型のワープポイントに変化していくのを目の当たりにしてあんぐりと口を開けた。

 

急拵えのワープポイントをくぐってカオスゲートのある広場に移動した。

そこはデータのゴミが堆積し、ちょっとした小高い丘のようになっていた。背後には朱塗りの鳥居が微妙に傾いで立っている。

その場所から、たった今抜け出したばかりの街を見通すことができた。

情報屋がかすれ声で言った。

「おい。信じられねえ。ありゃあ何の冗談だよ……」

道路や壁や建物がうねるように動いていた。一瞬、眼の錯覚かとフリューゲルは思った。うごめいているのは互いに押し合いながら移動する鼠の大群だった。黒と紫の入り混じった、毒々しい色で街は塗りつぶされていた。

ネットスラムの住人たちが悲鳴を上げながら通りを駆けていた。死にものぐるいの全力疾走。その体には鼠が鈴なりにたかっていた。すでに視界がきかなくなっているのだろう、壁にぶつかったり、何かにつまずいたりして彼らが転倒すると、四方八方から鼠たちが殺到した。おぞましい群れが一嘗めすると、住人たちはフライパンの上のバターのように蕩けてしまった。

街は鼠で沸き立っていた。狂乱怒涛が渦巻いていた。

「やれやれだ。やってくれたな、瀬戸悠里……」

フリューゲルはつぶやいた。

彼は鼠による待ち伏せを予想してはいた。

だが、いくら何でもこんな大群で仕掛けてくるとは思ってもみなかった。これまでの経緯から、彼は瀬戸悠里が保有する鼠の数を千程度であると見積もっていたのだ。

今、ネットスラムでのたくっている鼠群は明らかにそれを上回っている。にわかには信じがたい数の暴力。数万匹……あるいは億にすら届きかねない。どす黒い妄執。歪んだ狂信が孕む圧倒的なエネルギー。どれほどの精神力であればこんな途方もない膨大な鼠を生み出すことができるのか。

いや、可能なはずがない、とフリューゲルは思った。いくら何でもこれは人間の限界を超えている。たかだか一体のシックザールPCがこのような鼠の大群を作り出せるわけがない――。

「……あかん。ログアウトできへん。タウン移動も封じられとる」

カオスゲートをいじっていたクサメが首を振った。

「私ら、この掃き溜めに閉じ込められたで……」

その時、半ば虚脱してへたり込んでいた情報屋が呻き始めた。

「いで、いでで……いででででで」

いきなり立ち上がって叫んだ。

「い、痛えぇー!」

情報屋は両手を回し、いつの間にか彼の後頭部にぶら下がっていた鼠を掴んでもぎ取った。

「こ、こ、こ、こいつ! この野郎! 俺の頭を噛みやがった!」

裏返った声で絶叫し、地面に叩きつけようとした。

鼠は身をよじって情報屋の手から逃れると、大きく飛び跳ねて数メートル離れた場所に着地した。

そこへクサメの呪紋が炸裂した。レイザスの光が広場を切り裂き、鼠を凪いでいった。鳴き声も立てずに鼠は蒸発した。

やはり鼠の防御力とHPは極端に低い。通常の攻撃で難なく倒すことができる。数匹程度なら。目下のような状況ではあまり慰めにならない事柄だが。

「ドブ野郎。奴はここで徹底的にやる気だな」

フリューゲルはそう言って周囲を見回した。

こちらに向かってくる者の気配がないことを確認すると、懐から『トロイの鼠』を取り出した。

無害な存在に改造され、代わりに追跡機能を搭載された鼠は、人懐っこそうな無邪気な目でフリューゲルを見上げていた。しゃがんで地面にそっと放すと、鼠は二、三度鼻をひくつかせてから、近くのゴミの山に向かって走り去った。

よし。まずはこれでいい。フリューゲルは立ち上がった。あとは『トロイの鼠』がかつての仲間たち――鼠の群れへ潜入するのを待つだけだ。そうすれば本体の居場所まで一直線に案内してくれる。一気に鼠の親玉を叩くことができる。

残る問題は、ここからどうやって逃げ出すか、だ。鼠の街と化したこのネットスラムから。

フリューゲルはあらためて四周に目を配った。

その動きが途中で止まった。全身に緊張が迸った。

いつの間にか鳥居の上に人影があった。フリューゲルたちから五メートルほど離れた場所に鬱蒼と佇んでいた。影そのもののように、気配もなく、ひっそりと物音ひとつ立てずに。制帽はもうかぶっていなかった。

システム管理者の姿を装いながら、システムの管理からは最もかけ離れた所、正反対の真逆に位置する男。

フリューゲルたちのことなど目に入っていないような様子だった。散歩の道すがら、ちょっと足を止めて空を眺めている、そんな雰囲気だった。だがもちろんそうではない。散歩の途中で鳥居によじ登る者はあまりいない。

「おや。おやおやおや」

フリューゲルは鳥居を見上げて大きな声で呼びかけ、仲間二人の注意を促した。

「なんだなんだ。水臭いねぇ。いたんなら声かけてくれればいいのに。そんな馬鹿みたいなところで突っ立ってないでさぁ」

陽気に話して内心の動揺を悟られないようにした。

鼠を『放流』するところを見られただろうか? もし目撃されたのなら最悪に等しい事態と言えた。おそらく瀬戸はフリューゲルたちの作戦をたやすく見破ってしまうだろう。

「あれがセトか。ハッカーのくせにふざけた格好しよって」

クサメが小声でフリューゲルに言った。

「――子供の頃を思い出すよ。もう何十年も昔のことだ。父に狐狩りに連れていってもらった」

男が独り言のように喋り出した。

「狐を追い立てる時、猟犬はハンターの前に狐が行くよう誘導する。逃げ道をわざと一箇所だけ空けるのだ。だが、時には思い通りにならない狐がいて、予想外の方向へ逃げてしまうことがある。そういう狐は力づくで追い詰めなくてはならない。だから大抵の場合、ひどい傷ができて……むごたらしい死体になる。毛皮は使い物にならなくなる……」

フリューゲルは銃を持つ右手の手首あたりを左手で叩き、柏手のようにぱん、ぱんと拍手した。

「お。なーに? 驚いたねぇ、俺はまた野外オペラでも始まるのかと思った」

と、彼は言った。

「オペラグラス取りに帰っていい?」

「――ブリーラー・レッスル。驚くべき能力だ。思いもよらないトリッキーな使い方ができる」

男は視線を落とし、そこで初めてフリューゲルを見た。

「だが、万能のように見えて、そうではない。何でも作り出せるというわけではない。そうだろう? 弾丸を当てて対象のデータを『停止』させた後――そうだな、RPGを作るゲームソフトに例えようか。『オブジェクトのパーツを取り替えてはめ込み直している』――この表現は君の能力の実態にかなり近いのではないかな? つまり、君が作り替えたもの自体は、あくまでゲームの仕様内におさまる」

そう言って男は笑みを浮かべた。

フリューゲルはその問いに答えなかった。強引に話を変えた。

「そんなことよりも、ちょいと聞きたいんだがねぇ。あの馬鹿げた鼠の群れは何なんだ? 物事には限度があると思うんだけど、お前さん、一体鼠を何匹産み出せるんだ?」

「私は試練によって選ばれ、それに打ち勝ちたいと願っている」

と、男は答えた。

「その意味では、鼠たちはすでに私の意志を離れている。『試練に定められている』。これで君の求める答えになるだろうか?」

「あー。なるほど」

フリューゲルはうなずいた。

「よくわかったよ。ありがとう」

「会話がかみ合ってへんな」

と、クサメが呆れたようにつぶやいた。

むろんフリューゲルはただ意味もなく不毛な言葉の投げ合いを続けているわけではなかった。そうしながら彼は頭の中でこの状況から逃れる方法を模索していた。

仮に今突進してブリーラー・レッスルを撃ち、鳥居の上に立っている男に弾丸を命中させたとしても、それでステージクリアとはならないだろう。あの男はおそらく瀬戸悠里のPC本人ではない。鼠によって作り出された擬態であり偽物でしかないはずだ。本人は遠く離れた安全な場所から鼠を操っているのだ。

「――ところで、フリューゲル。君は先ほど、私のことをドブ野郎と呼んだな?」

男がまた話を変えた。

フリューゲルはおやと思った。相手の声に何らかの感情が込められているのに気づいたのだ。抑えこむような低い声音。

「聞こえてたの? いろいろ考えたんだけど結局シンプルな呼び方が一番いいと思ってさ。お前さんにぴったりだろう? 気に入ってくれた? ドブ野郎」

あえて挑発するように最後の言葉をゆっくりと言ってみた。

男はフリューゲルから目をそらして再び空を見上げた。

「マク・アヌの港で、このPCの名前などはどうでもいい、と私は言った。君の好きなように呼べとも言った。だが、二つだけ、はっきり指摘しておこう……」

硬い声だ。こみ上げる激情を無理に抑制しているかのようだ。語尾がかすかに震えていた。

男は右の人差し指と中指を立てて示した。

「一つ。鼠から安易に下水(ドブ)という単語を連想したのだろうが……実に貧困な想像力だ。我々二人の試練においてそれは致命的な問題になる。粗雑な想像力はくだらぬミスを招き、思いがけない敗北を呼び込む。今のうちに改めておくべきだな」

成績の悪い生徒を指導する教師のような口調。

「二つ。だが、しかし、それにも関わらず……」

男は顔をフリューゲルたちの方へ向けた。その表情は歓喜の色に輝いていた。

「最高の呼び名だ。素晴らしい。実に素晴らしい」

フリューゲルとクサメは顔を見合わせた。

男は滔々と喋り始めた。

「人類が最初に手に入れたネットワーク設備は下水道だった。そういう説がある。初期ローマ時代のキリスト教徒たちは下水道を利用して迫害から逃れ、その教義を伝え広めていった。すなわち、下水道こそ、ローマ帝国に文化を伝播させた当時最新のネットワーク設備だったのだ」

「なんだって?」

と、フリューゲルは言ったが当然のように無視された。

「そして、現代――下水道の如きネットが汚物を垂れ流して世界を汚染しつつあるこの現代において、ネットの遺棄を願う私を、他ならぬ君が、歴史的に意義のある名で呼んだ。これがどういうことかわかるかね? そう、私は選ばれたのだよ。まさに、君が選んだのだ」

男は恍惚の面持ちで喋り続けている。

「もちろん君は私を下賤なものになぞらえて卑しめたいという浅ましい心持ちで言い放ったに過ぎない。しかし、だからこそ、その名は尊い。無作為によって生まれた必然は嘘偽りのない真実だからだ。君の与えてくれた呼び名が、かつてない幸福を、試練の中を歩いているという強烈な実感を私にもたらしてくれている。名前などどうでもよいという愚かな言葉を私は撤回する。私は己の不明を認めなくてはならない。君のおかげだ。君が私の蒙を啓いてくれたのだ……」

その言葉は徐々に唾の溜まっていく湿った口振りになった。瞳孔が開き、眼が少し宙に浮いているような、異様な印象の顔になった。

「本日この時より、私はドレイン(下水道)と名乗ろう」

高らかな宣言に合わせて、街の奥から鬨の声が聞こえてきた。小さな魔物たちの無数のシュプレヒコール。その叫びの意味するところはひとつしかない。ネットスラムをさんざん蹂躙し尽くした鼠の群れが最後のメインディッシュにとりかかろうとしている。ドレインの招集に応え、広場に向かって集結しようとしている。

フリューゲルはブリーラー・レッスルで地面を撃った。間を置いて、自分たちの周囲を囲むようにして数発打ち込み、地面のデータを書き換えてダメージ床を設置した。

しかし、こんなものは焼け石に水だ。時間稼ぎにもならない。

地のうめきに似た音が間近に迫ってきた。鼠の声はよじれ、高まり、悽愴の気配をみなぎらせていた。

ついに鼠の集団が広場の入り口に到達し、波濤のように押し寄せてきた。

「あ、は、ひひいっ」

情報屋は即座に腰を抜かしてその場に勢いよく尻餅をついた。

鼠たちはところどころで重なり、ひしめき合っていた。切れ目がない。後から後から広場の中へ侵入してきた。それはもう単なる鼠の群れではなかった。何か得体の知れない、巨大で邪悪な一匹の魔物だった。

その時だった。突如、轟音が響き渡ったかと思うと、広場の一角で火柱が上がった。そして巨大な火の玉が、黄色とオレンジ色に膨れあがり、大音響とともに弾けた。炎の雨が一帯に降り注いで鼠たちを飲み込み、吹き飛ばし、もみくちゃにした。

フリューゲルたちは凝固として立ち尽くしたが、一瞬遅れて襲ってきた爆風に巻き込まれて地面に倒された。

続けて第二の爆発が鼠群の中で起こった。さらに第三、第四の爆発。

「上や」

うつ伏せに転がったクサメが長い顎を回すようにして空を見上げて言った。

フリューゲルが空を仰ぐと、はるか上空を舞ういくつもの影があった。

 

爆風の中、ドレインと名乗った男はなおも鳥居の上に立っていた。

徹底的な破壊が開始されていた。鼠ではなく、新手の闖入者たちによって

ドレインは鳥のように空を飛ぶ者たちの姿を認識した。全部で八人いた。彼らは編隊を組み、規則正しく順番に降下してきては何かを投げ落としていった。それが地面に到着すると、地獄の業火のように炎が燃え広がって鼠たちを焼き払うのだ。

彼はあらかじめ二十二匹の鼠たちに『監視』の指示(コマンド)を与えてネットスラムの各所に配置し、街の様子をチェックさせていた。

監視チームの報告によれば、この広場にいるのは、フリューゲルと、その二人の仲間。合わせて三人。彼自身も含めて四人。それ以外の者がこの広場にいるはずがないのだ。

鼠の監視を潜り抜ける者がいるなど、ドレインには信じられない事だった。

「何者だ? 存在を感知させないとは。まさか……」

その言葉を最後まで言い終えることはできなかった。

背後の空間から放たれた一条の光線が彼の腹部を貫通していった。ドレインはひとたまりもなく胴体を上下に分断され、鳥居から転落して地面に落ちた。

レーザーが放たれたあたりの空間が奇妙に歪んでいた。

忽然として水銀のようになめらかな物質が生まれたかのようだった。次の瞬間にはそれは人の形になった。淡い金色の光のエフェクトをまとっている。

ドレインの上半身は腹這いとなり、離れた場所に落ちた自分の下半身の元へ近寄ろうとして両手で地を引っ掻いていた。

その手前に、金色の襲撃者が音もなく降り立った。

ドレインはもがくのをやめて相手を見上げた。女性的な肢体。アンドロイドのようにメタリックなPCボディ。鳥のくちばしを連想させるバイザー付ヘルメット。

その姿をどこかで見た記憶があった。そう、ソフィアだ。「Sophia System Security」、通称SSSバージョン。市販のコンピュータ・ウィルス駆除ソフト。

だが今、目の前にいるこれは、自動プログラムの動きを超えている。プレイヤーが操作しているのだ。

「気分はどうだ? 鼠使い」

と、彼女は言った。

「あたしは最悪だ。最近、ずっといらついてる。鼠使い、どうやらてめぇが原因らしいな」

リアルで唾を吐くような音がした。

「てめぇのすかした声も仕草も、この『The World』でやらかそうとしていることも、何もかも気に入らねえ。なあ、ここから消えてくれや」

「その能力。そうか。君か」

ドレインは薄い笑みを浮かべた。

「私が偵察に送り込んだ鼠たちを抹殺していたのは……」

「『君か』ぁ~?」

美しい顔が大きく歪み、その口元に醜悪な笑いを形作らせた。

「這いつくばってるクソ鼠が、高いところから口を聞くじゃねえか」

ドレインは意識を集中して鼠を一匹呼び寄せた。鼠は相手の左の死角から顔前に回り込んでジャンプし、至近距離で『デッドリー・フラッシュ』を炸裂させた。

しかし彼女は平然としていた。

「――やめとけ。あたしにフラッシュは通用しねえ」

バイザーの奥の三白眼がドレインを蔑むように見下ろしていた。

そして右足で彼の顔を無造作に蹴った。鈍器で殴ったようなくぐもった音がして、ドレインの上半身は仰向けにひっくり返った。

彼女は身をかがめると、ドレインの鼻に己のバイザーをほとんど接触するほどまでに近づけた。

「聞こえるか? ユーリ・カジンスキー・セト。このくたばりぞこないの擬態じゃあねえ。どこかに隠れてこいつを操ってるてめぇだよ、てめぇ。聞こえるよな?」

眼前の相手を電話の受話器のようにして話しかけた。

「さっき、てめぇのことが気に入らねえって言ったがな。実は、てめぇの鼠たちのことは大好きなんだ。……わかるか?」

意味ありげにささやきかけた。

「臭い鼠を百匹仕留めるごとに、金がもらえる契約になってる。二千匹ごとにボーナスも出る。たっぷり稼がせてもらうからよ。せいぜい気張ってクソどもをひり出しやがれ。ケツの穴が裏返るぐらいに力(リキ)入れてな。ぎゃははっ」

のけぞって爆笑した。

「収穫時になったら、また狩りに来てやるからようっ。ぎゃはははははははははははははっ」

広場では狩りが終わりつつあった。一方的な殺戮。指揮者からの命令を受け取れず、鼠の群れは烏合の衆と化していた。

上空を飛び交う八体のソフィアは逃走しようとする彼らの鼻先にナパーム弾を落とし、鼠たちが広場から外へ出ないよう巧みに動きをコントロールした上で念入りに焼き殺していった。

焦げた死骸の臭いがドレインの鼻先に立ち込めてきた。

熱風で煽られ、彼の黒い髪がうごめき、顔が陰になった。長髪が別個の生き物であるかのようにざわざわとなびいた。その隙間から見え隠れする表情はなお笑っていたが、目は凄絶な怒りで燃えていた。

それは洗礼名を賜る儀式を汚された怒りであり、大切な鼠たちを焼き殺された怒りだ。

「君は――」

「ああ?」

「試練ではない」

ドレインは静かに言った。

「この場にふさわしくない。即刻去りたまえ」

金色のソフィアの口元に、先ほどの哄笑とは色の違う、薄気味悪い笑みがうっすらと浮かんだ。

「ふううん……?」

ゆっくりした動きで立ち上がり、右手の人差し指を伸ばしてドレインに向けた。

その先端からレーザーが射出され、ドレインの上半身を焼いた。絶叫がほとばしった。

炎のエフェクトに包まれた彼の姿が歪み、ねじれたかと思うと、数匹の鼠に分裂して四散した。だが炎の勢いは消せず数メートル走ったところで絶命し、他の鼠と同様に黒焦げの死骸と化した。

「お前に平和をプレゼントだ」

彼女は吐き捨てるように言うと、ドレインの下半身も焼き払った。

 

広場は突然、死んだように静まりかえった。

鼠の群れは瓦解し、ごくわずかな残党がちりぢりになって姿を消すと、広場で動くものは何もなくなった。上空を飛翔するソフィアたち以外には。

フリューゲル、クサメ、情報屋の三人は、忘れ去られたように広場の片隅に立っていた。邪魔にならないよう、爆発に巻きこまれないようゴミの山の陰に身を潜めていたのだ。

もはやファンタジー世界の闘いではなかった。現代の局地戦であり、三人は戦場に迷い込んだ哀れな一般市民も同然だった。

「――なんだろうねぇ、この感じ」

と、フリューゲルは言った。

「ずっと主役だと思ってたら脇役だったみたいな」

「あれが……ソフィア隊なんか? 私らが後で会うはずやった……」

クサメが感嘆した。

「桁違いの戦闘能力やで。あの鼠の大群を一時間足らずで全滅させよった」

「おい、あいつら、こっちに来るぜ!」

情報屋が悲鳴のような声で言った。

ドレインの擬態を屠った金色のソフィアがフリューゲルたちの方へ歩いてきた。

他のソフィアたちも次々に着陸し、彼女の後ろに従った。

先頭だけが金色であり、残りの八人は銀で統一されていた。それが指揮官のカラーというわけなのだろう。九人の凄惨な破壊の女神。魂を刈り取る美しい死神たち。彼女らの滑らかな肢体は、広場で燃え盛る炎を受けて鼠の返り血を浴びたかのように艷やかに光っていた。

三人の前まで来ると、彼女たちは足を止めた。

指揮官がフリューゲル、クサメ、情報屋の順に彼らの顔をねめつけた。バイザー越しの眼が鋭い光を放って三人を射た。

「ソフィア隊ウーラニアだ」

と、彼女は言った。

「フリューゲルってのはどいつだ?」

 

(続く)

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