3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

28 作戦会議

さあ、月曜日。

素敵な一週間が始まる。嬉しい。そう思おうとしてみた。あまりうまくいかなかった。

昼過ぎにデビッドから電話がかかってきた。

「準備できたで」

「さすが。迅速ですねぇ」

「こっちに来て……もろて……ええですか……」

急に声が遠くなり、続けて二回くしゃみが聞こえた。

「……すんまへん、雨で鼻がやられとるんです。しんどぉてたまらん」

「いいですよ。これからうかがいます」

小雨の中、曽我部は車を走らせて赤坂に向かった。

デビッドが泊まっているレジデンシャルホテルは一ツ木通りにあった。賞味期限切れの食パンを積み重ねたようなうらびれた外観の安ホテルだ。受付を通ってダイニングに入った。

デビッドは窓際の席に座り窓の外を眺めながら、不景気そうな顔でコーヒーをすすりサンドイッチをもさもさ食べていた。

向かいに座るとウェイトレスがやってきた。曽我部はブレンドコーヒーだけを注文した。

「国連の人間というのは、もっと上等なホテルを利用するものだと思ってましたよ」

ウェイトレスが立ち去るのを待ってから曽我部は言った。

「自腹やねん。本部が出張費を打ち切りよったさかい」

デビッドは顔をしかめると、梱包用ビニルに包まれた握りこぶし程のものを取り出して曽我部の前に置いた。

「曽我部はんの分。赤坂に用意してもろた」

ビニルをとくと新品の携帯端末が出てきた。

「私も同じ新しい奴をもらっとる。電話番号とメールアドレスは交換済みや」

「やったぜ。メル友、ゲットだぜ」

と、曽我部は言った。

「いやー、今日は朝から何か素敵な事が起きるような予感がしてたんです。このことだったんだな。嬉しい」

「さよか。そらよかった。私もめっちゃ嬉しいわ」

言葉とは裏腹にそれが本来のデフォルトらしい仏頂面のまま、デビッドはむっつりと言った。

――二日前、曽我部がマク・アヌにログインした直後に瀬戸悠里は現れた。NABのメンバーがドル・ドナに集結した際も同様だった。偶然にしてはタイミングが良すぎる。『The World』内の出来事を掌握するために瀬戸は独自の、おそらくは鼠を利用した監視システムのような情報網を構築しているとみていいだろう。

新しい携帯端末を手配したのはその対策のためだ。ゲーム内で重要なやり取りをする時にはこれで通話し、瀬戸の『盗聴』を防ぐ。ワンランク上のウィスパー(ささやき)モードというわけだ。

「ほな、メル友見つけてお互い人生が豊かになったとこで」

と、デビッドは言った。

「これからの作戦について話し合いましょか」

曽我部はうなずいた。『人生が豊かになった』。いいフレーズだ。気に入った。

「昨日いろいろ聞いたけど、アルコールの入ってへん状態でもう一度要点を整理しときたい」

「どうぞ」

「まず、鼠の数について。曽我部はんがマク・アヌでセトと戦った時、鼠はどれくらいおった?」

「数百匹程度。ひょっとすると千に近かったかも知れない。ですが、それ以上ではなかったと思う」

「ふん。『全世界に向けて解き放つ』とかでかいこと言う割には、桁がなんぼか足りんような気もするな」

「他にもっとたくさん潜ませているのかも知れない。あるいは、自己増殖するか」

「増殖?」

デビッドの眉毛が片方だけ持ち上がった。

「ええ。ゲームの中では鼠の形を取っていますが、要はコンピュータ・ウィルスですからね」

「鼠が今よりもさらに増えるんか? 時間が経てば経つほど、私らは不利になる?」

「本体である奴のPCを調べないことには何とも言えません。具体的な数字を出すこともできない。しかし、その可能性はある」

曽我部は少しの間、口をつぐんだ。

「ですが、無限に増え続けられるわけじゃない。シックザールPCを操作するのは人間です。原動力となるのは精神力です。人間の精神力には必ず限界がある」

「奴は気合と根性で鼠を生み出している。それは千匹以上かも知れへんけど、上限がある。そういう理解でええんか」

「そうです。わかりやすく言えば、ガス欠になる」

デビッドは丹念にサンドイッチを噛むと、紙ナプキンで口をぬぐった。

「奴の能力はどの程度まで及ぶんや。極端な話、『The World』以外のネットワークにも鼠を放てるんか?」

曽我部は首を振った。

「シックザールPCの能力が及ぶ範囲はあくまで『The World』内に限定されます。例えば淀川さんの場合は携帯端末に『The World』をインストールしていた。そこから鼠の光を浴びせられたのだと思う」

念のため、今朝、曽我部はリーリエからも携帯端末をとりあげていた。熱心なユーザーではなくなっているが彼女の携帯端末にも『The World』がインストールされている。

瀬戸悠里が曽我部の身近にいる者をターゲットにしてくることは充分にあり得る。

リーリエには最近出回っている新しいウィルスの対策を施すためと説明したがあながち嘘ではない。

「――ただし、一度能力を食らってしまうと、その後ゲームから離れても効果は持続します。鼠の光を受けた者たちが投身自殺への欲求を植え込まれたり意識不明に陥ったりするように」

それは『デッドリー・フラッシュ』のような特殊なものに限らず、単純なダメージのやりとりでも同様の事が言える。鼠に噛まれたおかげで曽我部がたっぷり二日間苦しめられたように。いわゆる後遺症という奴だ。

もちろんフリューゲルが瀬戸悠里のPCの左肩を撃ち抜いたダメージも多少なりとも向こうを苦しめているはずだった。そうでなければ割に合わない。

「いっちゃん肝心なとこやな。その効果をとりのぞくにはどうすればええ?」

「時間が経つのを待つ。通常のダメージなら、それだけで元に戻ります」

と、曽我部は答えた。

「だが、重篤な症状だと回復しない場合もある。そういう時は別の手段を取らなくてはならない。もっとも確実で手っ取り早いのは、本体を直接叩いてキルすることです。シックザールPCが別のシックザールPCに攻撃されてHPを失うと、その能力が消滅して『キャンセル』されます」

曽我部自身、過去にキルされた経験が一度だけある。

三年前のイモータルダスク事件で、研究助手の能村要(のむらかなめ)が操作するシックザールPC『メトロノーム』のナイフで背後から刺突された。あの時、リアルの曽我部は右腎臓周辺の神経を直接わしづかみにされてむしりとられたような激痛を感じた。頻脈、血圧低下、顔面蒼白、過呼吸、ショック状態を示す諸症状を自覚した瞬間、即座に気絶して入院措置となった。

その後、曽我部がどうにか回復できたのは、メトロノームが奇術師ガイストにキルされてナイフの効果がキャンセルされたからだ。

「わかった。ほな最後に……」

デビッドがそう言いかけた時、ウェイトレスが曽我部のコーヒーを運んできた。

曽我部は礼を言ってブラックのまま一口飲んだ。

「……奴を倒すための『策』を聞かせてや」

ウェイトレスが去ってからデビッドは言った。

無難なコーヒーだった。熱すぎず、ぬるすぎず、濃すぎず、薄すぎず、かといって絶妙なバランスを保っているというわけでもない。取り柄のない平凡な味わい。曽我部の舌にはそれがわかった。味覚が戻りつつある。瀬戸悠里にやられたダメージが回復しているのだ。

「悪くない」

「コーヒーはな、まあ普通や」

デビッドは手を軽く叩いてパン屑を落とした。

「けどサンドイッチはないな。パンはぱさぱさで、ハムは辞書の紙みたいに薄い。そんで?」

「瀬戸の鼠を一匹、捕まえています」

曽我部は砂糖壺から角砂糖を一個つまんでみせた。

「マク・アヌで奴とやり合う直前、ブリーラー・レッスルで撃って『停止』させたんです。そいつにちょいと手を加えて、人畜無害な生き物に『書き変える』。ついでに、周囲の動く物に追従する性質と、位置を突き止めるためのGPS的な機能を追加搭載する。で、次に鼠の群れが襲ってきた時、どさくさにまぎれてそいつを放流する」

そう言って角砂糖をコーヒーの中に落とした。

「その後、本体の居場所まで案内してもらったら、今度はこちらから奇襲を仕掛ける」

「勘付かれへんか?」

「勘付かれるかもしれないし、勘付かれないかもしれない。しかし、うまくいく可能性の方が高いと思います。これまでの接触で得た情報を元に推測すると、瀬戸悠里は二つの方法を切り替えて鼠を動かしている。一つは、瀬戸自らの意思による遠隔操作。『ペットショップ・チムズ』での遭遇時がこれでした。あの時、瀬戸は鼠を通じて物を見、言葉を喋っていた」

「せやったな、確かに」

「この場合、瀬戸はごく少数の鼠しかコントロールできないようです。せいぜい十匹弱が限界なのだと思います」

曽我部は、瀬戸が鼠による擬態を囮にして逃走した時のことを思い出しながら言った。

「もう一つは、簡易AIによるオート操作。いわゆる『ガンガンいこう』とか『いのちはたいせつ』とか、大まかな指示を与えるやり方です。これなら精密な操作はできないが、同時に大量の群れを動かせる。マク・アヌの路地裏で戦った時、蒸気噴出機の蒸気を浴びて、鼠たちはあっけないほど簡単にバタバタ死んでいった。瀬戸に指示を変更されるまで、こちらの変則的な攻撃に対応できなかったということです」

曽我部はそこで言葉を区切った。

「つまり、どちらの方法で操っている場合でも、『トロイの鼠』が群れにまぎれこむ隙はある」

デビッドは大きなくしゃみをすると、点鼻薬を鼻にさした。目を閉じて大きく息を吸い、しばらく動きを止め、息を吐き、それから目を開けて曽我部を見た。

「今の作戦、仮定と運の要素がちと多いわ」

曽我部はうなずいた。

「一番の問題は鼠を放すタイミングやね。まず向こうから襲ってきてくれるのを待たなあかん。こっちの攻撃ターンはどうしても後手になる」

曽我部はうなずいた。

「それに、思惑通り鼠の群れが来て、『トロイの鼠』を無事に放流できたとして――その後、私らは鼠どもを相手にどうやってしのぐん?」

曽我部はにやりと笑った。

「状況に応じて臨機応変かつ機略縦横に手を尽くす」

デビッドは大げさにため息をついた。

「完璧なプランやね」

「豊かな人生は完璧なプランによってもたらされる」

その時、曽我部の新しい方ではない携帯端末が鳴った。ヴェロニカ・ベインからだった。

「今から来られて?」

と、いきなり言った。

曽我部は店内の時計に目をやった。午後二時過ぎ。

「何か問題でも?」

「違うわ、リュージ。大切な話があるのよ」

と、彼女は言った。

「前にも言ったでしょう、あなたと文学的な話がしたいと。三時に会いましょう。いいわね」

返事をする前に電話は切れた。

「あー。申し訳ない。デートの約束が入っちゃいましたよ」

「デート? 報告書送るような相手と?」

曽我部は何も答えずに手をひらひらと振るだけにとどめた。依頼人に関する事柄だけはデビッドに打ち明けていない。守秘義務の順守。コンサルタントの鑑だ。

「お相手が誰か知らんが、頭からばりばり喰われんよう気ぃ付けるこっちゃ。誰かは知らんけどな」

「聞かないのですか?」

「教えてくれるんか?」

「いいえ」

「ほなええわ、あほらし」

デビッドは鼻を鳴らした。

「――オーケイ、『トロイの鼠』で行きましょ。細かいところが気になるけど、他にええ手も思いつかん。いつやる?」

「そうですね。今夜六時」

「場所は」

「まずマク・アヌのカフェで待ち会わせましょう」

曽我部はコーヒーを飲み干すと自分の伝票をとって立ち上がった。

「その後、人気のないエリアに出て奴をおびき寄せる」

「了解。上等なチーズを用意して待っとくわ」

デビッドはうなずいた。そして大きなくしゃみをした。

(続く)

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