3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

27 忘刻の都

そのタウンは全てが石と化していた。

本来は古都を思わせる美しい街並みなのだろう。しかし、今は何もかもが動きを止めている。

地の果ての流刑地のような、生ある者すべてが死に絶えたような、静寂がその静けさのあまりに結晶して街全体に降り積もったかのような場所。

暗い沈黙。

朽ちていくものの空気。

タウンを覆う空模様は曖昧で、晴れているのか曇っているのか判別できない。あるいは雨が降っているのか。雪がちらついているのか。昼なのか夜なのか。それさえもわからない。

街外れでは地面が切れており、その先には何にもない。灰色の液体を流し込んだような虚無の空間が際限なく広がっている。

このタウンは『世界』から切り離されたうつろな空間に浮かんでいるのだ。

『忘刻の都』――それがこの死んだ場所に与えられたコードネームである。

サイバーコネクト・ジャパン社がとあるプロジェクトを遂行するために、『表』のマク・アヌをコピーして造り上げた仮初めのタウン。だがプロジェクトが中止された今も、本来とは違う目的のためにこうして閉鎖されずに残っている。


タウンの中央広場には噴水場を取り囲むようにして十数人の騎士たちが立っていた。中世ヨーロッパを意識した、ファンタジーRPGではおなじみのキャラクター。

彼らは一様に無言だ。しかしそのPCボディの周辺には彼らだけに見ることのできる専用チャットツールのフキダシが次々と浮かびあがっては消えていく。音声マイクを使って会話するよりもこれでやりとりする方がずっと効率が良いのだ。

『エージングでメモリリークが発生してます』

『スケジュール確認して』

『修正よろ』

『はいー』

『リストの場所はどこですか?』

『翻訳を優先してください』

『提出はまだ無理』

『テキストバグっぽいですね』

彼らはCC社の社員で編成されたデバッガーだ。この『忘刻の都』は騎士たちの勤務場所であり、特殊なバグ処理場なのだ。

『騎士長、“お客さん”が来ます。三体です』

『了解。転送開始』

騎士長と呼ばれたPCが返答のテキストを送信すると同時に、噴水場がかすかに振動を始める。噴水とは言っても水のグラフィックはなく、殺風景な石造りの台座に過ぎない。

次の瞬間、それまで何もなかった台座に、三体のPCたちが忽然と出現した。

全員が通常ではありえない異様な外見をしている。

機械のような骨格がむき出しになっている者。

全身に拳大の四角い穴がいくつも開いている者。

巨大な頭部に直接手足が生えている者。

『転送完了――』

彼らは放浪AIだ。誰にも望まれずにこの世界に誕生した不正規データだ。

騎士長は放浪AIたちに向けて警告文の記載されたウィンドウを表示させ、同時に部下の騎士たちに合図を送った。騎士たちは一斉に槍を構えた。寸分たがわぬ同一のモーション。じゃきん! と、金属のこすれるサウンドエフェクトが広場にこだました。

きっちり十秒の猶予を与えた後で、騎士長は次の段階への移行を告げるフキダシを送信した。

『警告メッセージに反応なし、一般PCでないことを確認』

淡々と長文を吐き出していく。

『バグ三体。規約に基づき、『The World』の仕様にない、不正規な存在であると認定する』

放浪AIたちは自分たちの身に何が起きたのか理解できない様子で呆然としている。そもそも何が起きたのか理解する知能さえないのだろう。

『処理開始』

騎士たちは槍を構えて一斉に放浪AIたちに飛びかかっていく。

『削除します』

『はいー』

『定時までに間に合う?』

『リストアップしました。確認してください』

『よろ』

フキダシが飛び交う中、ふりかざされた槍がPCたちを突き貫くと白い閃光のエフェクトがはじけた。

放浪AIたちは悲鳴を上げるが、次の瞬間にはデータの欠片も残さずに消滅している。その電脳の魂に永久(とわ)の安らぎあれ。

『削除完了』

騎士長が宣言した。ウィンドウ上のバグリストを操作して、チェックを入れ、バグを消去した旨を書き込む。

かつては槍を携えた騎士らが隊を組んでタウンやエリアを巡回し放浪AIたちをデリートしていくという気の遠くなるようなデバッグ方法が主流だった。

だがそれは昔の話だ。今、バグ取りの手法は格段の進化を遂げている。

『The World』の各サーバーを定期的にオートサーチし、引っかかった獲物たちを強制的にこの場所へ転送させ、まとめて消去するのだ。標的を待ち構え、クリックそしてデリート。

『――あのう、自分思うんですけど』

騎士の一人が騎士長に宛ててフキダシを浮かび上がらせた。先日、デバッグチームに配属されたばかりの新人だ。

『デリートまで自動でやるってことはできないんすかね? 手動で削除するのって手間なだけのように思うんすけど。わざわざこんなところに人員を待機させたりして』

『デバッガー用の資料は見たのか?』

『はい、一応』

『一応?』

騎士長は新入りの騎士をじっと見た。

『ざっと見ました。量がすごかったんで流し読みしただけですけど』

『ざっと見た?』

『はあ、そうです』

騎士長はやれやれというようにかぶりを振った。どうも最近の若者は悪びれない。

『いいか。まず第一に、放浪AIをデリートするには、この槍が必要不可欠だ。だがこいつは仕様が独特過ぎて、他のプログラムと組み合わせることができない。装備アイテムとしてPCが手動で使う以外に利用方法がない』

手の槍を示してみせた。

『第二に、槍を使っている現場を一般PCに目撃されるのは好ましいことではない。それはわかるな? だから、放浪AIの連中に、外部から完全に隔離されたこのタウンへお越しいただくようなシステムになっているんだ』

そう言ってから手招きして顔を近づけさせた。

『そして、第三に――』

音声マイクのスイッチを入れて大声で怒鳴りつけた。

「デバッグ資料は全部、確実に読め! 一時間やる、今すぐ頭に入れてこい!」

不意の雷を落とされて泡を食ったその新人があたふたとした身振りでログアウトすると、傍らの副長がフキダシを浮かべた。

『仕方のない奴ですね』

騎士長は肩をすくめてみせた。

どんな瑣末なバグも削除しなくてはならない。でなければゲームはたちどころに『クソゲー』と化すだろう。決して大げさな比喩表現ではなく、それは『世界』の崩壊へとつながる。この槍を振るうことの重責を理解しなくては真の騎士たりえない。

と、その時、彼は中央広場へ近づいてくる人影に気付いた。

そのシルエットは騎士のものではなかった。鎧と兜ではなく、制服と制帽を身にまとっている。眼鼻を覆う独特のひさしを持つその帽子はシステム管理者PCの大きな特徴だ。

「このタウンは立ち入り禁止区域ですよ」

相手が広場の入口に差し掛かった時、騎士長は音声マイクを通して警告した。

「ここはデバッガーのみが入れるタウンです。騎士でない方は、たとえシステム管理者であっても立ち入り禁止です」

「すまない」

と、そのシステム管理者は言った。

「うっかりまぎれ込んでしまったようだ。まだ……この『世界』に慣れていないものでね」

深みのある落ち着いた声。穏やかな微笑を口元に浮かべている。自らの行いにはやましいところなど一切ないとでも言いたげな笑み。

「責任者は?」

「私です。何か?」

「申し訳ないが、少しの間だけ、静かにしてくれないか」

「はあ?」

相手は広場の奥にいる騎士たちにちらと目をやった。

「外と連絡を取りたいのだよ。君たちが仕事中に立てる音を控えてくれると助かる」

ここはデバッガーのテリトリーだ。うるさいのなら音声をオフにするなりログアウトするなりすればいい。そう思ったが、騎士長は頷いてみせた。

「わかりました」

他の部署との無用な軋轢は控えておきたい。デバッガーとシステム管理者、職務範囲がやや重複するがゆえにこの二者の関係は険悪とまではいかないまでも微妙なものとなっている。

それにしても、連絡を取りたい『のだよ』、と来たか。大仰でえらぶった言葉使いだ。

騎士長はチャットツールでフキダシを飛ばした。

『作業一時停止。全員、待て』

『了解』

『はいー』

『かしこまりました』

『先にテキストチェック進めます』

騎士長が身振りでどうぞと示すと、システム管理者はうなずいた。

それから一分ほど、システム管理者はその場に立って中空に目をやりながら、ぼそぼそと言葉をつぶやき続けた。

「聞こえない。返事がない……」

やがて独りごちると、騎士長の方を向いた。

「忙しいところを邪魔してすまなかった。ありがとう」

そう言ってから、ふと目に入ったという様子で騎士長の手元を指差した。

「いい武器だ」

「どうも」

と、騎士長は無愛想にならない程度に答えた。

システム管理者はカオスゲートの方へ歩き去っていった。

騎士長は副長たちに目配せして仕事の再開を告げた。

『妙なのが割り込んできたな』

『迷子か』

『新人ですかね、あいつもw』

『あの口調でww新入りww』

『wwww』

騎士たちは声を立てずにフキダシで笑いあった。

『騎士長、“お客さん”来ました。六体です』

『了解。作業再開だ。転送開始』

騎士長が合図をすると、噴水場が唸り始め、次のバグを転送してきた。

六体の放浪AI。男性と思しき四体、女性と思しき一体。それと――

騎士長はわずかに目を見開いた。

子どもだ。四、五歳程度と思しい男の子がいる。これほどまでに幼い外見をした放浪AIは少々珍しい。外見上はかなり一般PCに近い。ただ、頭頂部に不釣り合いに大きい牛の角のようなものが二本生えており、彼が異形の者であることを明確に示している。

もちろん放浪AIがどんな恰好をしていようと子どものように見えようと騎士たちの作業内容に変更はない。

『転送完了』

じゃきん!  槍が構えられた。

警告文のウィンドウを表示して十秒待つ。

『警告メッセージに反応なし、一般PCでないことを確認』

お決まりの口上。

『バグ六体。規約に基づき、『The World』の仕様にない、不正規な存在であると認定する。処理開始』

『削除します』

クリックそしてデリート。無数の槍が閃き、刺し貫かれて四体の放浪AIたちが倒れた。

そこで想定外のことが起こった。

女の放浪AIが子どもを抱きかかえてかばったのだ。

「お願いします。助けて」

自らも槍の穂先をかろうじてかわしながら、嘆願するように言葉を発した。

「この子だけは助けてください。この子だけは――」

騎士長は顔をしかめた。

こういう手合いはまれに存在する。人間並みの知性を備えている『ように見える』タイプ。

放浪AI同士に人間のような血縁関係など存在しない。何かのイベントで発せられたNPCの台詞あるいはプレイヤーのロールの切れはしを模倣しているだけだ。

だが経験の浅い騎士などはその言動に取り込まれることがある。実際にそういう事例が過去に報告されている。いわゆるbotに過ぎない相手に己の心を投影し、惑わされてしまうのだ。

「お願いします。この子だけは助けて」

騎士の槍から逃れようとしてふらつき、目の前にやってきた放浪AIたちを、騎士長は構える動作も見せずに背後から刺し貫いた。光のエフェクトが炸裂し、二体は倒れた。

騎士長は前に進み出ると、女と少年を見下ろした。

母親の放浪AIは子を抱きかかえ、我が身で守ろうとするかのように覆いかぶさっていた。

『人間のロールがうまいな』

ため息をつき、とどめの槍を振りおろそうとした。

「――すまない。もう一つ、お願いしてもいいだろうか」

穏やかな声が広場に響き渡った。

騎士長は手を止め、顔を上げた。

立ち去ったはずのシステム管理者が立っていた。いつの間に広場の中へ入り込んできたのか。

「まだ何か? 今は業務中です。さがってください」

さすがに苛立ちを隠せず、騎士長は尖った声で言った。

「君たちの持つ槍は、非常に興味深い。面白い武器だ。調べておきたい」

騎士長の言葉を無視して相手は続けた。

「なんですって?」

「もっとよく見せてほしい……」

システム管理者がそう言った時、広場中でざわりと何かの蠢く音がした。陰影の強い街角のあちらこちらで気配が動き、影のように揺らめいた。

「デバッグ中なんだ。邪魔しないでくれ」

気の短い副長がシステム管理者の方へ詰め寄った。

「あんた、さっきから何だ。所属はどこだ。コードナンバーは」

その副長の肩にシステム管理者はそっと両手をかけた。そして大して力を込める様子もなく彼のPCボディを引き裂き始めた。紙細工のように。

引き裂かれながら副長は何かを叫んだが、人の声になっていなかった。叫び続けた。

副長の体を斜めに真っ二つにちぎると、システム管理者はそれらを重ね合わせて持ち、また引きちぎった。さらに強引に重ねてもう一回。そこで叫び声は途絶えた。

彼が両手のものを騎士たちの方に向けて放り捨てると、『それら』はノイズを閃かせながらどさどさっと地に落ちた。もはや人の形を成していない奇怪なオブジェクト。この目で見るのでなければとても信じられないおぞましい物体。

目の当たりにした騎士たちにしても、咄嗟には副長の身に何が起きたか理解できなかったに違いない。時間が止まったようだった。彼らは立ちすくんでいた。その様は転送されてきた放浪AIに似ていた。

だが、次の瞬間には騎士長の怒号が静寂を打ち破った。

「『イリーガル』だ! 戦闘隊形をとれ!」

我に返った騎士たちはすばやく陣を組み槍を構えた。

『ハッキング』

『ハッキングだ』

『こいつ、システム管理者じゃない』

『ハッカー』

『敵』

『仕様外の攻撃』

『気をつけろ』

『通報しttttttttttttttttttttt』

突如、『t』の文字が一つのフキダシ内であふれ始めた。

『tttttttaaaaaaaaayyyyゃああああああああああああああ』

騎士長たちが振り向くのと、フキダシをひっぱりながら一人の騎士が広場の奥へと引きずられていくのとほぼ同時だった。

その姿は闇の中へ消えた。

何が彼を連れ去ったのかはわからなかった。

広場中で物音が聞こえた。悲鳴のようにも、するどい風が岩に裂ける時の音のようにも聞こえた。柔らかい何かが殺到する音。

「お前! 何者だ!」

騎士長はシステム管理者の姿をした男に槍を突きつけた。

男は騎士長の方を見ていなかった。膝をつき、倒れている放浪AIたちを調べていた。

「見事な傷だ」

と、男は言った。

「仕様外の者にこれほどのダメージを与えるとは。話には聞いていたが、恐ろしい――」

また物音がした。今度は何かの擦過音に似ていた。細い尖った石をこするような音。

『気をつけろ。他に仲間がいる』

騎士長は男を睨みつけたまま、後ろに向けてフキダシを出した。

『二人、周囲を警戒しろ。残り全員でこいつを囲め』

アーツの構えをとりながら前に出た。

『俺が仕掛ける。奴が態勢を崩したら、一斉にアーツを撃て』

「誰に向かってメッセージを送っているのだ?」

顔も上げずに男は言った。

「君で最後だというのに」

その言葉に、思わず騎士長は後ろを見た。

一人残らず消え失せていた。陣を組み、つい先ほどまで確かに存在していた部下たちは音声を一言も発することなく姿を消していた。

騎士長は愕然として立ちつくした。

その耳元で声が言った。

「さあ、槍を貸してくれ。手にとってみたい」

騎士長は振り向きざまに槍を叩きつけようとした。アーツを発動させ、破魔の威力を秘めた刃で相手の上半身を消し飛ばそうとした。

その穂先をひょいとつかみ取って止めた。

「ありがとう」

男は莞爾として笑った。

武器を奪い取られた騎士長は横合いから雪崩のように襲いかかってきたものに呑み込まれて地面に押し倒された。黒い塊の群れ。きーきーという耳触りな声。立ち上がろうとしたが途方もない圧力で引き倒された。何かが噛みついてくる。それが何なのか理解できないまま急速に意識が遠のいていった。

騎士長が最後に認識したのは、彼を闇の中に引きずっていこうとする無数の足と、それらが立てるひっかくような足音だった。


再び静寂。

男は自ら作り出したその静けさを堪能するかのようにしばらく佇んでいた。その手には騎士長が遺していった槍があった。『ヴォータンの槍』。旧き女神のオーパーツ。

男は放浪AIたちを見下ろした。もう笑みを浮かべてはいない。代わりに能面の如き無表情な顔があった。

母親の方は助からない。背中から胸を一突き。修復不能だ。しかし彼女は死に切れずにいる瀕死の生物のように体を小刻みに痙攣させ続けている。

男はしゃがみ込むと、その細い首をひと撫でし、ほんの少しだけ力を込めた。それで痙攣が止まり、ようやく彼女は光を放って消滅した。この『世界』で死にゆく者の作法に従って。

次に子どもの方を見やった。

幼い顔立ちのグラフィック。肌の色は青ざめ、目は固く閉じられていた。眉間に大きな傷ができていた。母親の胴体を貫いた槍に割られたのだろう。

しかし『生死』に関わるほどの深さではない。単に意識を失っているだけだ。

男は槍を杖にして立ち上がった。

「苦しめ――」

歯の隙間で囁くように言った。

「己の試練を生きろ」

それきり振り返らずに歩き始めた。その足はカオスゲートに向けられている。

放浪AIや騎士たちに手間取らなければ、もっと早くその本来の行動に移れたはずだった。

男の左肩が鈍く疼いた。騎士たちとの闘いによるものではない。フリューゲルに撃たれた傷だ。このタウンで充分な休息をとったおかげで、ダメージそのものはあらかた回復したが、神経に障るかすかな痛みがしつこく残っていた。

だが意に介することなく歩き続けた。考えるべきことがあった。

男は数十匹の鼠に『監視』の指示(コマンド)を与え、各タウンに放っていた。

しかし、今、どんなに鼠たちに呼び掛けても、どんなに耳を澄ませても、彼らからの返事が返ってこない。

フリューゲルの仕業ではなかった。身をもって確かめた通り、あの男の呪銃は一対一に超特化した能力であり、群なす鼠たちに対してはほぼ無力のはずだ。そもそも『監視』中の鼠を見つけ出すすべが彼にあるとは思えない。

では誰だ。何者の仕業なのか。

すでに十四時間以上、鼠たちからの連絡が途絶えている。

彼らに何かが起きたのだ。

(続く)

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