3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

24 遺産

デビッドの右手の人差指が携帯端末の画面をなでてボイスメモの再生を止めると、室内は静けさを取り戻した。

家の奥で自分の部屋にいるリーリエが椅子に腰掛けたらしい、きいときしむ音が聞こえた。

デビッドが口を開いた。

「声の主は、ドゥルガ・フィダ・シャルマー。曽我部はんの元上司や。ボイスの収録日は二〇二一年の九月二三日。あんたがCC社を退職した約一年後やね」

「これは何です?」

「ヨドガワの自宅のパソコンから押収した音声ファイルですわ。データの大半が破損しとったけど、出だしの部分だけは何とか復元できた」

デビッドは『押収』という単語をさらりと口にした。

「実は、私らNABはもうずっと長いことヨドガワをマークしとったんです。あの男は産業スパイで、サイバーコネクト・ジャパン社の機密をサンディエゴ社に横流ししとる疑いがかけられとった」

さすがに曽我部はほんの少し絶句した。

「産業スパイ? 淀川さんが?」

「そうや。ジャパン社は現地法人やから、看板は一緒でも、サンディエゴ社とは別組織の扱いになる。この国の法律に則して言うたら、産業スパイ防止法違反や。スパイ行為には民事責任が科せられるし、刑法上も犯罪として処罰の対象になる。けど、肝心なのはそこやない」

デビッドは身を乗り出した。

「曽我部はんは、退職後にドゥルガ氏から連絡をもろたことがありますか?」

「いいえ」

曽我部は首を振った。

「ドゥルガ氏の現在の所在を知ってはりますか?」

「いいえ」

「ドゥルガ氏の不祥事について、どこまで掌握してますか?」

「ニュースで流れたこと以外は、特に何も」

質問に答えながら曽我部はかつての雇用主のことを思い出していた。どこで調べてきたのかドイツから帰国した曽我部を空港で待ち構え、その場で契約書を突きつけてCC社のために研究を続けるよう迫った男。

傲慢不遜な性格ではあった。徹底した能力主義者で、人を人とも思わぬところがあった。だが己が認めた者には彼なりに敬意を払い、いかなる援助も惜しまなかった。

ドゥルガの事件をニュースで知った当時、曽我部は彼と連絡を取ろうとした。だが結局はそうしなかった。憐みをかけるような行いはあの尊大な男の誇りを傷つけるだけだろうと思い直したのだ。

「あー。確か、公金を横領したと聞いたような記憶があります」

曽我部が言うと、デビッドはうなずいてみせた。

「その通り。そこを敵に追及されて――まあ、言うたら、派閥争いに負けて、会社から放逐されたんや」

「派閥争いですって。私がいた頃は、そんな御大層な騒ぎはとんと聞きませんでしたよ」

「時は流れるいうこっちゃ。今のジャパン社は、曽我部はんの頃とは別モンになっとる思うで」

デビッドは鼻を鳴らした。

「そもそもCC社という企業は、サンディエゴ社を中心に据えはするけど、それぞれの現地法人が独自の裁量で動けるフレキシブルな組織体系を持っとった。英語版の次に巨額なセールスを誇るジャパン社は特に独立独歩の気運が強かった。それを崩したのがヨドガワや。彼はドゥルガ氏の不祥事に関する証拠を集めてサンディエゴ社に渡した。ドゥルガ氏は以前から『The World』の運営方針を巡ってサンディエゴ社や自社の経営陣と対立しとったからな。ドゥルガ氏を失脚させた功績として、ヨドガワは専務取締役に大抜擢された。以後、ジャパン社の人事にはサンディエゴ社の意向が露骨に反映されるようになり、現在に至る――」

「ドゥルガさんが横領をしでかしたというのは本当のことなのですが?」

「揺るぎようのない事実や。公判の記録によれば、誰にも知られんよう自社の金をこっそり運用して、日本サーバーに新しい仕様を勝手に組み込んだそうや」

と、デビッドは言った。

「そこまでは本人も認めた。けど、それがどんな仕様なのか? 何のためか? 彼は口を割らんかった。厳しい追及に屈せず黙秘を貫き通した。そしてアメリカに戻り、行方が途絶えた」

「途絶えた?」

「そうや。ドゥルガ氏の所在は今もって不明や。故国インドに帰った様子もない。完全に足取りが消えてNABでも追跡ができてへん。どこにもいない。誰もドゥルガ氏の今の居場所を知らへん……」

デビッドは再び携帯端末に指を走らせ、画面を切り替えた。様々なリストらしきものが画面一杯に流れるようにして表示されていく。

「これから話すことは、私の想像がかなり入り込んどるから、そのつもりで聞いてや。――二〇二一年、ドゥルガ・フィダ・シャルマーは解任決議を受けた直後、あんた宛てのメッセージを作成した。だが何らかのトラブルで送信できへんようになった。だから秘書室長のヨドガワに代理であんたに届けるよう頼んだ。ドゥルガ氏は部下が産業スパイであることに全く気付いてへんかったんやと思う」

曽我部はかすかに嘆息した。その辺りの様子は想像できるような気がした。ドゥルガには自分の認めた相手に対し無防備になりすぎるところがあった。二〇二〇年にそうだったように。

「当然ヨドガワは彼のメッセージを勝手に聞いた。しかし、それをサンディエゴ社には報告せず、あんたにも渡さず、自分だけのもんにした」

「なぜです。理由は?」

「本人が死んでもうた今となっては、その意図はよう分からん。ドゥルガ氏を左遷に追い込んだ時点でサンディエゴ社からの報酬は確定済みやった。だから、それ以上もう働く必要がないと考えたのかも知れん。あるいは、その情報を、自身の身を守る切り札にできると判断したのかも知れん。あくまで想像やけどな」

デビッドは続けた。

「ところが、今年の話や。ヨドガワは『ガイスト』と名乗る正体不明のハッカーから脅しのメールを受けるようになった。『前社長の遺産について教えろ、さもなければ『The World』中にウィルスを散布する』とな」

「遺産……」

「そ。つまり、ドゥルガ氏が日本サーバーを改竄追加していった仕様のことやね」

デビッドはうなずいた。

「ヨドガワはこの件に関してサンディエゴ社を頼ることができへんかった。自分の裏切り行為――ドゥルガ氏の音声ファイルについて報告せんかったことを説明せなあかんようになるからな。大事に取っといた切り札は実はマイナスカードやったわけや。で、事態を解決するためにヨドガワはあんたに白羽の矢を立てた。ここから先の話は、曽我部はんも当事者として知っとる通りや」

「ドゥルガさんが追加したという仕様が何なのか、すでに分かっているのですか」

「わからん」

デビッドは即座に答え、それから少しあわてた様子で付け足した。

「いや、隠しとるわけやないで。ほんまにわからへんのや。さっきも言うた通り、ドゥルガ氏の音声ファイルは破損しとって後半部分の復元ができへんかった。具体的なことはそこで語られてたんやないかと思う。むしろ、私としては、あんたがドゥルガ氏から何か聞かされてたんやないかと期待しとったんやけどね」

「あと一つ、あなたはまだ肝心なことを話していない」

と、曽我部は言った。

「あなたがたNABの目的は何ですか? 以前、あなたとガスは瀬戸悠里を捕まえるために日本へ来たと言った。ですが、今のお話では、瀬戸は物語の途中に割り込んできた脇役に過ぎないように聞こえます」

「私とガスに課せられた最優先の任務は、今は姿を隠しとるアウラの居場所を突き止め、確保することや」

デビッドはよどみのない口調で言った。そう質問されることを待っていたようだった。

究極AIアウラ。旧女神モルガナ・モード・ゴンの娘。ネットワークを正常化させる力を持つ自律AI。

「ファイルの中で、ドゥルガ氏がえらい傾倒しとりましたな。宗教の熱狂的な信者が自分んところの神様を崇めるみたいに。ドゥルガ氏だけやない。過去にアウラに関わった者の何割かは、程度の差はあれ、彼女に対して敬虔な気持ちを抱くようになるみたいやな」

デビッドは軽く肩をすくめた。

「けどな、曽我部はん。私らにとってアウラはそない上等なもんやない。アウラは兵器や。核よりも始末に負えん最悪の破壊兵器や。過去のネットワーク・クライシスを引き合いに出すまでもあらへん、究極AIは扱い方次第で現実の世界を終わらせてしまえるどえらいシロモノなんやで」

そう言って携帯端末を片手で閉じた。

「せやから、アウラは国連の用意した然るべき施設で厳重に管理せなあかん。例えそれが企業の開発した所有物であったとしても、好き勝手にさせてはあかんのや」

「ずいぶん思い切ったものの言い方をしますね」

と、曽我部はデビッドに言った。この男は今、NABの一職員に許された領分を大きく踏み越えた発言をしている。

「本当のことを話す、それが最善手やと思うたからね」

「あー。つまり、あなたがたは産業スパイの淀川さんをあえて泳がせていた。そこへ『ガイスト』の名を騙るユーリ・カジンスキー・セトが接触した。セトはドゥルガさんが遺していった何かを狙っている。そういうことですか」

「日本サーバーにセトがこだわる理由は何か? それが答えやね」

デビットはうなずいた。

「セトがなんでドゥルガ氏の遺産に興味を示すのか。何を企んどるのか。そこまではわからん。せやけど、セトに遺産を与えてもうたらあかんちうことははっきりしとる」

それはその通りだ、と曽我部は思った。瀬戸悠里のような男が望むことを何であれ実現させてはならない。

「世界のどこを探しても、犯罪のない国はない」

デビッドは言った。

「どんな時代でも、どんな場所でも犯罪はなくならん。同様に、サイバークライムのないサイバー空間もあり得へん。NABが世界中のネットワークを監視するのはそのためや。社会がコンピュータなしには存立できへん時代にあって、いったんコンピュータの仕組みが掌握されてしもうたら、残るんは操る側のモラルだけになる。操る側がモラルを無視してもうたら、何でもありのグロテスクな地獄が簡単にできあがる」

地獄。どこかでその単語を聞いたような気がした。

すぐに思い出した。

「地獄、それは確かにある――」

瀬戸が言ったのだ。

「そこは不浄の地だ。とめどない欲望の奔流があふれ続けるところ。恐ろしい悲鳴や禍々しい叫び声が轟くところ。つながってはならないところ……」

「――セトの鼠と、その光によってもたらされる症状について可能な限り調べさせたわ」

曽我部の思考を見透かしたようにデビッドは言った。

「あれは悪意の塊やな。光を直視した者は、半日から数日の潜伏期間を経て『発症』し、高いとこから飛び降りようとする。鼠自体は爆裂して消滅するから、端末にはその痕跡が一切残らん」

ため息をついた。

「『The World』における従来の意識不明者達には、ゲームをプレイ中に意識を失うという最低限の共通点があった。だから、『The World』には何かがあると噂が立った。けど、セトの鼠にはその余地さえない。ネットが媒介だとは誰も気付かない。気付かせへんような設計になっとる。鼠の犠牲者は、従来の自殺者の数に紛れ込んでしまう」

曽我部は淀川の携帯端末に何の異常もなかったことを思い出した。

そして、彼の死にざまを。死に至るまでの過程を。

瀬戸悠里の言い残した言葉が再び頭をよぎった。

「六月八日の木曜日。私は鼠たちを全世界に向けて解き放つ。彼らは各端末に降臨し、ネットに倦み疲れた者たちに大いなる『救いの光』を与えるだろう」

「――誰かが世界を守らなあかん。リアルとネット、両方を。セトの悪意から」

と、デビッドは言った。

「私やあんたのような者が」

曽我部はソファから立ち上がった。

デビッドをその場に残してキッチンへ行き、収納庫を開けて奥の方から箱詰めのウィスキーを取り出した。去年の暮れに歳暮でもらったものだ。事務所に持っていこうと思いながらついそのままにしていたのだった。

ウィスキー専用のグラスはマンションには置いていないので、来客用の湯呑茶碗を二つ並べ、それぞれ三分の一ほど琥珀色の液体を注いだ。

それから少し考えて、冷凍庫から氷を取って入れた。このような時にはロックが最もふさわしい。リーリエが片づけずにいた盆にそれらの飲み物を載せ、チェイサーの水も用意して、リビングに戻ってテーブルに置いた。

湯呑の一つをデビッドに渡し、残りの一つを自分の手元に引き寄せてまた元通りソファに座った。

デビッドは飲み物の表面を透かすように眺めた。

「ワイルド・ターキー?」

「ライです」

と、曽我部は言った。

「最高やね」

デビッドはうなずいた。

それから数秒ほど、曽我部とデビッドは冷えた湯呑の感触を掌で楽しむかのようにじっとしていた。

「前もって言っておきますが」

曽我部は口を開いた。

「まともに戦ったら、私の『フリューゲル』は、瀬戸のPCにどうあがいても太刀打ちできない。私が奴を仕留めるには、二メートル以内に近づく必要がある。だが、向こうは鼠を操ってどんな距離でも一方的に致命的な攻撃(クリティカルヒット)を連発してくる。正直なところ、私があのドブ野郎の襲撃を切り抜けられた最大の理由は、『向こうがそれほど本気ではなかったから』です」

デビッドは顔を上げて曽我部を見た。

「だが、もちろん勝ち目がないわけじゃない。奴を攻略する策はある。それに――」

と、曽我部は言葉を継いだ。

「二対一なら、勝算はずっと大きくなる」

「前もって言うとくけど」

デビッドは言った。口角がわずかにつり上がっていた。

「戦力としては、そんな期待せんといてくださいよ。鼠一匹にオタオタする程度やからね」

「瀬戸悠里を止めなくてはならない。私やあなたのような人間が」

そう言って曽我部は湯呑を差し出した。

デビッドも湯呑を差し出した。

「ハーメルンの先達に」

と、デビッドが言った。

「鼠駆除の業者に」

と、曾我部が言った。

二人で乾杯した。

(続く)

next「25 望郷」へ

ページトップへ

一覧へ