3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

17 鼠狩り

最初からバトルフォームでログインすることにした。バトルフォームはノーマルフォームと比較してステータス的には大きく上回っているが、その代償として使用後の心身の消耗度合いが一層激しくなる。しかしプレイヤーである曽我部の操作スキルが衰えてしまっている以上、PC自体の性能に頼らざるを得ない。ノーマルフォームでは、万が一、鼠に遭遇した時に対処しきれない。

マク・アヌはいつも以上の喧騒に包まれていた。

今日が『モンスター街侵入』の開催日であることにフリューゲルはカオスゲートに降り立ってから気づいた。

『モンスター街侵入』とはタウンを守護する結界が破れて街中にモンスターが出現するという設定のイベントだ。この期間中はPCとモンスターの狩り合いで街全体がカーニバルのようになる。

中央広場では数人のシステム管理者PCたちが通りを行く者に呼びかけていた。

「『モンスター街侵入』イベント、『鼠狩り』が間もなく始まります。参加希望で手続きのお済みでない方はこちらへどうぞ――」

カフェテラスに情報屋の姿はまだなかった。フリューゲルはいつもの席に座ると広場をたむろするPCたちに目をやりながら情報屋から聞いた本日のイベントに関する事柄を思い出そうとした。確か、巨大ネズミモンスターの群れがタウンを襲うという内容だったはずだ。鼠狩り。奇妙な暗合を感じる名前だ。

まあいい、そっちはそっちでやってくれ、とフリューゲルは思った。こっちはこっちで鼠を狩ることに専念しよう。

フリューゲルはトランプを取り出すとテーブルの上に一枚ずつ並べ始めた。バベルの形にカードを配置しながら今までの出来事を頭の中で反芻した。とにかくわかるところから手をつけていくしかない。

バベルのプレイを半ばまで進めていると、通りの向こうから情報屋がやってくるのが見えた。

情報屋はシステム管理者たちを一瞥すると不快そうにそっぽを向いて、カフェテラスの前まで真っすぐ歩いて来た。フリューゲルと目が合ったが、情報屋は視線をそらしてそのまま通り過ぎていき、うろうろとカフェテラスの入り口付近をさまよってから、また戻ってきた。そこであらためてフリューゲルの顔を見つめた。

「よ」

と、フリューゲルは手を上げた。

「ダンナ? あんたか?」

ようやく気付いたらしい。

「なんだよ、その格好。別人だと思って素通りしちまったじゃねえか」

「おハンサム過ぎて見違えちゃった? やっぱり?」

フリューゲルはイヒヒと笑った。

「季節がら衣替えしてみたんだよ。イカすだろ? 今後はこのスタイルで行くからよろしくな」

「衣替えって……。どう見ても冬服だろ」

と、小声で言いながら、情報屋は向かいに腰を下ろした。

「『鼠狩り』の参加手続きは終了いたしました。これよりイベントが始まります。良き闘いを祈ります……」

広場の方からシステム管理者の一人がマイク仕様のボイスでそう告げるのが聞こえてきた。

「で? 今日は何だ? またなんか調べんのか? それとも進捗確認?」

と、情報屋は言った。

「言っとくけど、『泡』についちゃまだ何も調べてねーぜ」

「そっちは手が空いてからでいいよ。それよりも、優先度高めでやってほしい仕事があってねぇ」

フリューゲルはカードを並べ替えながら言った。

「PCが仕様外モンスターに襲われて、いわゆる未帰還者が発生したとされる事件。そのリストを作ってほしいんだ」

「クラシックなオカルトネタを持ってきたな。今さらそんなの調べる意味あるのかよ」

「ただリストを作れっていうんじゃない。一つ条件がある。モンスターの色だ」

「色?」

「『紫色』の六角形エフェクトに覆われたモンスター。それが関わってる事件だけをリストアップしてくれ。――あー、そうそう。発生した時期も絞れるな。今年の四月――いや、去年の六月から今までの間。この一年間だけを集中して調べてほしい」

二〇二三年四月は瀬戸悠里が失踪した月であり、二〇二二年六月は彼がサンディエゴ社にスカウトされた月だ。

そこまで説明してから、フリューゲルは相手が自分の話を上の空で聞いているのに気づいた。

情報屋はぼんやりと空間に目を据えて放心していた。心の中で何かを算段している面持ちだ。が、すぐにフリューゲルの視線を察して我に返った。

「どうした?」

「ああっと。な、何でもないぜ。ちょっと他の事を考えてた。へへ」

情報屋は不明瞭な声で笑った。

フリューゲルは情報屋のゴーグルをのぞき込むと、疑わしげに目を細めて見せた。

「――お前さん、何か知ってんの? 紫色の仕様外モンスターのこと」

「いやいや」

あわてたように情報屋は首を振った。

「何も知らねえよ。どうやって調べようかなと思っただけだよ」

広場では鼠狩りのイベントが開始されていた。

小馬ほどの大きさもある魔獣系のネズミモンスターが続々とその姿を現し始めた。イベント参加者たちがすかさずエンカウントし、バトルに突入していった。怒号と罵声のボイス、剣戟と呪紋のSEが一帯に響き始めた。

イベント参加者ではないフリューゲルと情報屋はモンスターに襲われることはない。そういうルールだ。カフェテラスには他にも見物を決め込んだ者たちがいて、目前で繰り広げられる活劇を観賞している。

フリューゲルがテーブル上に並べたカードに視線を戻した時、何か動くものが彼の視界の端をかすめた。小さなずんぐりした影が石畳の上を走っていった。フリューゲルは首を傾けて影の姿を目で追い、はっとした。

鼠だった。ゲーム的にデフォルメされた巨大なネズミモンスターではない。リアルそのままの鼠の姿。『ペットショップ・チムズ』で遭遇したあの生き物。

鼠は途中で立ち止まると首を捻じ曲げてフリューゲルの方を肩越しに見た。木を軋ませたような耳障りな声で喋った。

「踊らないのか?」

鼠はきいきい鳴いた。

「お前、踊らないのか?」

フリューゲルは勢いよく立ち上がると右手にブリーラー・レッスルを出現させて構えた。

「おわっ」

驚いた情報屋が椅子から落ちそうになったが、フリューゲルは構わずに銃口で鼠を追った。しかし照準を合わせるよりも早く鼠はカフェテラス裏手の路地裏の中へ駆けていった。

フリューゲルは席を離れると拳銃を提げたまま路地裏の方へ小走りに近寄っていった。

「今の声はなんだ? おい、どうしたんだよ、ダンナ」

情報屋は呆気に取られた様子でフリューゲルの背中を見送っていたが、忌々しそうに舌打ちすると、立ちあがってすぐに彼のあとを追った。

周囲の者たちはバトルの見物に夢中で誰も彼らの行動に注意を払わなかった。

路地裏は左右をレンガ造りの建物に挟まれてねじれながら奥へと伸びていた。先を見通すことはできないが、ここを抜ければ港に出るはずだ。

「ダンナ。おい――」

情報屋が言いかけるのを手で制した。

鼠の姿は見当たらなかった。路地の脇には蒸気を通す巨大なパイプや木箱などが配置されている。それらの陰のいずれかに隠れているのだろうか。あるいは横の小路に曲がっていったか。

フリューゲルは用心しながら路地裏へ踏み込もうとした。

「ダンナ! こいつはひでえ!」

情報屋が裏返った声で叫んだ。

同時に甲高い絶叫が広場に響き渡った。通常のゲームプレイ中にはまず発せられるはずのない、恐怖と苦痛に彩られた悲鳴。フリューゲルは足を止め、広場の方を振り向いた。そして眼前に展開される光景を見て息を呑んだ。

ネズミモンスターたちがイベント参加者たちに群がっていた。バトルの態を成していなかった。ハムスターがヒマワリの種をかじるように参加者たちのPCボディを両手でつかんで小刻みに前歯を突き立てて咀嚼していた。その全身はいつの間にかあの紫色の六角形エフェクトに覆われている。

まだ無傷な斬刀士が仲間を救うために刀剣を振りかざして群れの中に突っ込んでいったが、ネズミモンスターたちは一向に堪える様子を見せなかった。そのうちの一匹が彼の胴体に激烈な反撃を加えた。通常ならダメージを表現する数値やエフェクトが表示されるところだ。そうはならなかった。代わりに肩口から胸にかけてデータ片の塊がごっそりはぎとられていった。

えぐられた傷からはPCデータが微小な粒子と化して液体のようにこぼれ落ち、まるで凄惨な流血図のようだ。斬刀士は苦痛の呻きをもらしてよろめき地面に倒れた。一斉に数頭のネズミモンスターが群がり始め、彼の姿は見えなくなった。

そこかしこで次々に悲鳴が上がっていた。誰かが嗚咽しながら助けを求めていた。痛みを訴える声があふれていた。

フリューゲルたちがいましがたまでいたカフェテラスも惨々たる有様となっていた。高見の見物と洒落こんでいたPCらは完全に逃げ遅れたようだった。テーブルと椅子がひっくり返り、ネズミモンスターたちがうずくまっていた。首をふるってPCボディのデータを噛みちぎり、呑み込んでいた。

これらの地獄絵図をフリューゲルと情報屋は呆然と眺めていた。ネズミモンスターたちは路地裏の方へやってこようとはしなかった。中央広場の中だけで狼藉の限りを尽くしていたのだ。

「あー。来てくれたばかりで悪いんだが」

極力抑えた声でフリューゲルは隣の情報屋に声をかけた。舌が口蓋に張りついて喋りにくかった。

「ログアウトしてくれ。ヤバい状況になってきた」

眼前の惨事に魅入られたように突っ立っていた情報屋が、その言葉に我に返ってフリューゲルを仰ぎ見た。顔が引きつっていた。

「あっ、ああ。あんな目に遭うのは金輪際御免だぜ!」

捨て台詞のように言って情報屋はさっさと転送消滅した。

フリューゲルはその言葉に違和感を覚えたが、それをじっくり吟味する余裕はなかった。今は目の前のネズミモンスターどもに集中しなければならない。

何が起きているのか? あのネズミたちは公式のモンスターではない。本来はそうであったのだろうが今は違う。ヘビグソ神のようにウィルスバグと化している。『ペットショップ・チムズ』と同じ現象がこのマク・アヌの広場で起きているのだ。

そう考えた時、フリューゲルの背後で昆虫が触覚をこすり合わせて鳴くような声がした。

「ぎちぎちぎち。踊らないか?」

弾かれたようにその場から飛び下がり、振り向きざま銃を構えた。照準の向こうに壁にはりついた鼠の小さな姿があった。横線のような目でフリューゲルを見つめていた。

「踊りたくないか? ぎちち」

フリューゲルは銃を撃った。命中した。鼠はぎいっと一声鳴いて全身のデータを硬直させると、置物のように地面に転がり落ちた。

フリューゲルはデータを『固定』させたその鼠を調べようと身をかがめかけたが、路地裏の奥にもう一匹、別の鼠がいることに気付いた。薄暗がりからこちらを上目遣いにうかがっていた。

「踊らせてやろうか? お前、踊るか?」

と、その鼠はきいきい喚いた。そしてブリーラー・レッスルを撃つよりも早く体を反転させて路地の奥へと消えていった。

フリューゲルは薄暗い小路に飛び込んだ。鼠を追いかけ、三つほど角を曲がった時、再び小動物を見失った。そこでフリューゲルは足を止めた。

壁面から突き出た蒸気パイプに薄紫色のものがぼやっともたれかかっている。それが静かに身を起こして、一個の人影となった。衛兵のような制服と制帽を身につけていた。システム管理者PCだ。

フリューゲルからほんの数メートル先のところにいた。外の惨劇に驚いてこの路地裏に逃げ込んだように見えた。突然現れたフリューゲルを見て駆け寄ろうとしているようにも見えた。

「こっちに来るな。ログアウトしろ」

と、フリューゲルは周囲を警戒しながら叫んだ。鼠がまだどこかに潜んでいるはずだ。

「今、マク・アヌは危険な状態になっている。緊急メンテナンスでも何でもいい、外に出てすぐゲームを停めろ」

だが、そう言った直後に、フリューゲルは相手の様子の異様さに気付いた。そのPCの紫に塗られた唇がにんまりとした歪みを形作っていた。

「外にいる彼らの事なら、安心したまえ。命に別条はない――」

その唇が滑らかに動いて、深みのある穏やかな声を発した。

「人払いをしただけなのだ。君と少し……デリケートな話がしたかったものでね」

細く青白い右手がゆっくりと持ち上がっていき、自身の目鼻を覆う制帽のひさしをつまんだ。帽子が取り払われると、長い黒髪がばさりとほどけ落ちた。

「はじめまして、『シックザール』のフリューゲル」

露わになった切れ長の目でフリューゲルに笑いかけた。

そのまなざしには覚えがあった。今までに二回、その瞳を目にしている。一度目はリアルで、クラッカーの写真資料を閲覧した時に。二度目はゲームで、爆裂する直前の鼠の目をのぞきこんだ時に。

「それとも、『ヘビグソ神殺し』とでも呼んだ方がいいのだろうか?」

親しい友人にジョークを言うような口ぶりだ。

フリューゲルは電撃のような戦慄に身を打たれていた。

違う。このPCはシステム管理者などではない。自分から出てきた。こいつは。このPCは。

右手のブリーラー・レッスルを突きつけた。

「瀬戸悠里か?」

乾いた声で問いかけた。

「そう呼ぶ者もいる」

と、相手は答えた。

そして、聖者のような笑みを浮かべた。

(続く)

next「18 面談」へ

ページトップへ

一覧へ