3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

13 NABの男

またチャイムが鳴った。

曽我部は事務机の引き出しの中にVRスキャナをしまった。それから流しに行ってタプローズをグラスに四分の一ほど注ぎ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して薄い水割りを作った。

催促するように三度(みたび)チャイムが鳴った。

曽我部はグラスを持って応接セットのソファに座りながら遠隔キーでロックを解除した。

「どうぞ。鍵は開いてますよ」

大きな声で呼びかけた。

ドアが開いた。訪問者は二人いた。どちらも男で白人だった。彼らは黒いスーツに身を包んでいた。いささか鋭すぎる目つきで事務所内を見回し、ついでソファに座っている曽我部を見据えた。

不意に、やや背の低い方がにこりと笑った。

「曽我部さん、ですな」

いましがたゲームの中で聞いたのとそっくり同じ関西弁で言った。

「クサメことデビッド・ステインバーグです。夜分失礼します」

「さきほどはどうも。キャラクターの印象と少し違いますねぇ。まさか、あー、アメリカぁー……?」

彼はうなずいた。

「……の方だったとは」

曽我部も椅子に座ったままにこやかに答えた。

「曽我部さんはフリューゲルによう似てますなあ。顔じゃなくて雰囲気が。うまいこと再現しはったもんやね。日本の方はそのへんの感覚が実に素晴らしい」

「いえいえ、そんな」

穏やかに笑い合った。

「中に入っても構わないかね?」

背の高い方がいらだったように割って入った。こちらは英語だった。

曽我部は首をかしげて見せた。

「中に入っても構わないかね?」

標準の日本語でゆっくりと言い直した。

「仕事のご依頼ですか」

「違う」

「申し訳ありませんが、仕事でないのならお引き取り願いたいところです。うわー。だってほらもうこんな時間」

「我々はNABの者だ。ネットワークに関する事柄で君に協力してもらいたいことがあるのだ」

曽我部はグラスをテーブルに置いて立ち上がるとドアのところまで行き二人の前に立った。

「身分証はありますか」

背の高い方が革製ケースを見せた。曽我部は受け取って中を見た。日本支部で発行された国内用の身分証だ。ガス・フォックス。ワシントンD.C.本部所属。

「私のも見る?」

デビッドと名乗った男が言った。

「いや、いいですよ。どうぞ」

曽我部は身分証を返して二人を中に通した。

応接セットのテーブルをはさんで向かい合って座ると、曽我部はグラスを横にのけた。

「寝る前に一杯やろうとしていたところでしてねぇ。何か作りますか?」

「結構だ。もう夜も遅い。さっそく本題に入らせてもらう」

ガスは言った。

「まったくです。ふわわーおよよ」

曽我部のあくびを無視して彼は続けた。

「我々はユーリ・カジンスキー・セトを追っている。彼の行方を突き止めたいと願っている。君にも協力をしてほしい」

曽我部は口を閉じた。

「君が先日、CC社のヴェロニカ・ベインと接触したことは知っている。我々は彼女を追ってこの国に来た。ベイクトンホテルを見張っていて君に気付いたのだ。君は彼女からセトについて何らかの依頼をされたのだろう? そしてジャパン社重役であるヨドガワの家に行き、携帯端末を回収した。それらのことについて詳しく話してほしい」

曽我部はグラスを手に取って口につけた。だが水割りを飲んだわけではなかった。グラスの縁に前歯をこつこつと当てただけだ。そのまましばらく考えた後、グラスをテーブルに戻した。

「NABというのは、よっぽど人材不足なのですか。あんなひどい尾行は近年珍しい」

ガスは眉をひそめた。

「君をつけた男は赤坂支部が雇ったアルバイトだ。正規の訓練を受けていない。我々が尾行するべきだったかも知れないが、この国では白人は目立ってしまうからね。――了承したと考えていいか?」

「お断りします」

ガスとデビッドは顔を見合わせた。

「なぜだ」

ガスが言った。

「依頼人のことをお教えするわけにはいきません」

「我々はNABだ」

「そうらしいですね」

「なぜ協力してくれない」

「ですから、商売上の仁義の話です。一度引き受けた依頼の中身をぺらぺらしゃべるような人間がこの仕事を長く続けられると思いますか」

「そんなレベルの話ではない。我々は一刻も早くセトの居場所を突きとめなくてはならないのだ。協力してくれればもちろん謝礼は払う。それなりの金額になると約束する」

曽我部はかすかに笑った。

「そんなレベルのお話ではないんですよ」

ガスの顔が赤くなった。

「ふざけた男だな」

と、英語でつぶやいた。抑揚が少なく、フラットな発音。シカゴ出身なのかも知れない。

「え? 今なんておっしゃったんです」

曽我部は聞き直した。

「ユニークな男だと言ったのだ」

ガスは日本語で言い直した。

「NABは警察じゃない。あなたがたの職務はネットワークを監視することだけだ。捜査権も逮捕権も持たない。真夜中に善良なフリー業者のところへ押しかけて協力を強制することもできない」

「赤坂に指示して君のライセンスを剥奪させることはできるぞ」

「流行なのですか?」

「なんだと」

「最近そういう具合によく脅される」

それまで黙っていたデビッドが派手なクシャミをした。プラスチックの容器を取り出して鼻にあてると、しゅこしゅこと音を立てて中の薬液らしいものを吸引し、相棒と曽我部の方に体を向けた。

「まあまあまあまあ。こういう出会いは不幸ですな。最初からやり直しましょ」

曽我部はデビッドを見た。彼は入り口でやりとりした時と同様に笑みを口元に漂わせていた。だがそれは笑みではなかった。笑みのように見えるというだけの表情だ。

こっちの方が厄介だな、と曽我部は思った。

「彼のせっかちな態度は許してやってください。けど、それも最もな話やねん。私らには時間がない。こうして深夜にお邪魔したのもそのためや」

と、デビッドは続けた。

「私らとあなたはお互い対等にカードを交換できる立場にあるんですわ。ああ、いや。正直なこと言いましょ。たぶんあなたのカードの方が強いわ。せやから取引をして、私らを助けてほしいねん」

「あー。では、とりあえずうかがいましょう」

と、曽我部は言った。


ユーリ・カジンスキー・セトはサンディエゴ社に雇われてから――つまり出所してから――セントラルエリアの高層マンションに住んでいた。サンディエゴ社が彼のために用意した新居だ。入居者たちは主にホワイトカラー層。サンディエゴのどこにでもある、ごく普通のマンション。

セトが姿を消す直前に、そのマンションで七件の投身自殺が発生した。自殺者たちは二十代後半から四十代前半の会社員。うち一名が女性。

「――証拠は何もない。せやけど私らは、セトが新しいコンピュータ・ウィルスを作って、その『試し打ち』をしたのではないかと思うとる。『デッドリー・フラッシュ』をより凶悪にしたようなウィルスを」

「証拠がない、というのはどういうことです」

曽我部はたずねた。

「我々は死者たちのパソコンや携帯端末を徹底的にチェックした」

と、ガスが言った。

「だが、いかなる痕跡も見つけることはできなかった。ウィルスに感染したあとも外部からハッキングされたあともなかった」

曽我部は淀川の事を思い出していた。道路に横たわっている淀川の姿を。

「今までの話をうかがった限りでは、警察にまかせるべき類のことのように思いますがね。手段はどうあれ、自殺ではなく他殺ということなら。NABのあなたがたがわざわざ出張っている理由がわからない」

少しためらった様子を見せてからデビットは口を開いた。

「これは政治的な話になるんやけど」

「待て、デビッド。そこまで教える必要はない」

と、ガスが相棒を遮るように英語で言った。

「手札を見せなくては先に進まない」

デビッドも英語で答えた。

「しかし、大統領選挙に関わる重大なことだ。ましてやこの男は『女帝』に雇われているんだぞ。情報が筒抜けになってしまう」

大統領選挙。予想していない単語だったので曽我部は思わず瞬きをした。デビッドがはっとしたように曽我部を見た。

「ガス。それ以上喋るな」

と、彼は低い声で言った。

「言葉がわからないふりをしているだけだ」

ガスは目をぱちくりさせデビッドの顔を見た。デビッドは曽我部の顔を見ていた。ガスは曽我部に視線を転じ、デビッドを見て、再び曽我部の顔を見た。今度はじっと見続けた。

曽我部はあきらめて英語で言った。

「ま! そういうことにしといた方がいろいろお得ですからねぇ……」

ガスの顔が再び赤くなった。だがもう何も言わず腕を組んで黙り込んだ。

「――インプラントチップに関する知識はどんだけありはります?」

と、デビッドは何事もなかったかのように関西弁に戻って言った。

「人並みには」

「充分やね。――ああ、この国でも確か……アオモリが情報処理特区でしたな」

インプラントチップとは体内ICチップの通称だ。国によって制度は異なるがチップの仕様はALTIMIT社関連のものに統一されている。ここ数年で先進国を中心に世界中で広まりつつあったが反対の声も強く、昨年末に日本を含む数カ国で大規模な情報流出のトラブルが発覚したことが決定打となって普及推進の動きはとん挫した形となっていた。

「私らの国では刑期を終えた犯罪者に対してICチップの埋め込み手術が義務付けられとったんやが、二年前に取りやめになった。NABは、インプラントチップ反対派の主流や。せやから、世界がインプラントチップに対して否定的な流れになっていくのは大歓迎なんよ。けど、そのおかげで問題が起きた」

デビッドはため息をついて見せた。

「つまり、ユーリ・カジンスキー・セトにはICチップがない。奴の居場所を特定することができへんねん」

「あー。なるほどねぇ……」

と、曽我部は言った。

「瀬戸が何かをしでかした場合、ICチップ推進派が息を吹き返すというわけですか」

「NABの立場もすごく苦しいもんになるやろ。だから、私らは極秘のうちにセトの居場所を突き止め、すみやかに監視下に置くようにしたいんや。奴が問題をおこさんうちに。いや、もっと正確にいうとこか。奴が問題を起こしたことが発覚せえへんうちに、や」

「取引というのは?」

「曽我部さんはこの件に関して私らのずっと先を調べとるはずや。その情報を共有させてもらいたい。それに、セトが持っとるプログラムの一部はCC社のものやと聞いとる。曽我部さんがその第一人者であるとも。奴をゲームの中で追い詰める時にそのへんについて助言してもらえると助かりますわ。引き換えに、私らは組織の力でそちらの仕事を可能な限り全面的にバックアップさせてもらう。曽我部さんの依頼内容を教えてもらえれば、きっちりサポートできると思いますわ。どや、悪い話やないやろ?」

「最初に言った通り、依頼人を明かすことはできないし、依頼内容について話すこともできない」

と、曽我部は言った。

デビッドは口元に笑みのようなものを張りつかせたまま、じっと曽我部を見ている。

「……ですが、それ以外に関しては問題ありませんね。いいですよ。協力しましょう」

曽我部がヴェロニカ・ベインから引き受けた依頼は、『ユーリ・カジンスキー・セトが盗みだしたCC社の機密データを内々に回収する』ことだ。言ってしまえばハッカー本人を誰が捕まえようが監視下に置こうが関係ないはずだ。

曽我部はヴェロニカ・ベインの名やその他伏せておいた方がよいと思ったいくつかのことをのぞき全て伝えた。

「――なるほど、マスコットキャラを違法に売るペットショップか。確かに怪しいな」

ガスが携帯端末にメモしながらうなずいた。

「ドル・ドナ中に囮の調査員を撒いて、そいつの接触を待とう」

「あまり不自然にうろつかせると、怪しまれるかも」

ガスはじろりと曽我部を見た。

「我々にも分別というものがある。助言はこちらが必要だと思う時に聞く」

「まあまあまあ。こういうことは組織にまかせてください。――他に何か話してもらえることはありまへんか? 逆に質問でもかまへんけど」

デビッドの言葉に曽我部は首を振った。

「ガスが口を滑らせたことについて聞きはりませんのんか?」

「何か教えてくれるのですか?」

デビッドの顔に、本物の笑みがさざなみのように広がった。

「いいや」

「では、聞きませんよ」

ガスが携帯端末を片づけるのを待ってから、デビッドは膝をぽんと叩いて立ち上がった。

「万事取引はかくあるべきやね。進展があったらお知らせしますわ。ほなよろしゅう……」

深夜の来訪者たちは去っていった。

曽我部はドアをロックすると、すっかりぬるくなったタプローズの水割りを初めて一口飲んだ。素晴らしき共闘関係に乾杯。


デビッド・ステインバーグから『ペットショップ・チムズ』の接触があったと知らせが入ったのはその二日後だった。

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