3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

12 大聖堂

マク・アヌ。黄昏色に染まった大広場。

フリューゲルがカフェテラスに行くと、情報屋が隅のテーブルで何かを読んでいた。新聞らしかった。電子書籍や新聞の類はインポートすることで『The World』の中に持ち込むことができるのだ。ただし外見上は世界観を損なわないよう羊皮紙の冊子や巻き物といった形に変換される。

情報屋のいでたちは先日とは微妙に異なっており、よれよれのコートではなくファンタジー風のマントをはおったものになっている。正規のタウンで行動する際にシステム側の目をごまかすための細工なのだろう。その姿はごく普通のPCのように見えるが、しかし観葉植物の生えた鉄帽と武骨なゴーグル眼鏡はなぜかそのままだ。

と、情報屋は身じろぎすると、新聞で体を隠すようにして身を縮めた。

見れば今まさに通りの向こうからタウン巡回中のシステム管理者PCがやってくるところだ。

衛兵のような制服。奇妙な形をした独特の制帽。ひさしにあたる部分が垂直にたれ下がって目と鼻を完全に覆っており口元だけがのぞいている。

彼は市場の通りをゆっくり歩きカフェテラスを通り過ぎると、情報屋へ顔を向けることなくアカシャ盤方面へと消えていった。

情報屋は安堵した様子でほっと息をつくと、気が緩んだのか大きなあくびをした。

「――システム管理者が気になるなら、ネットスラムで話を聞こうか?」

声をかけると情報屋はフリューゲルを見て鼻を鳴らした。

「ふん、屁でもねぇよ。あいつ、俺のことに気付きもしなかったろ? 管理者なんざその程度なんだよ」

強がりと嘲りの入り混じった声。『R:1』の時代から『The World』におけるシステム側とハッカーの確執の構図は変わらない。

フリューゲルは情報屋の向かいに座った。

「でもさあ、秘密の話をするのはしんねり落ち着いた静かなところの方が良くない? ほら、音楽をゆったり楽しめるような。そう……たとえばジャズ喫茶店のような場所」

「あのな、ダンナ」

情報屋は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。

「この際はっきり言っとくが、あんたをうちに入れるのは嫌なんだよ。データをいじられたくねえんだ」

「いじるってぇ? 誰が? いつ? 何時何分何秒? 地球が何回周った時?」

「それはもういいっつーの」

またあくびをすると羊皮紙様の新聞を放って寄こした。

「ああ、眠てぇ。おたくの調べ物のせいで徹夜続きでね。……ほら、さっさと読んでくれ」

フリューゲルがそれを手にとってターゲットするとウィンドウにテキストが表示され始めた。新聞に見せかけたデータ・ファイル。画像も添付されている。けっこうな量だ。フリューゲルが情報屋に依頼した事柄――『コンピュータ・ウィルス』『鼠』『ガイスト』のキーワードに関連性のある情報がびっしりと記されている。

フリューゲルはすばやく目を通し、情報をチェックしていった。

「――こいつは何だ? ドクターラット?」

「『ドクターラット』ペルベス。元カオティックPKの一人だ。マッドサイエンティストを演技(ロール)したキャラなんだが、度が過ぎてて周囲に気持ち悪がられてた。職業は双剣士。キルしたPCにコンピュータ・ウィルスを感染させて人体実験するとか改造するとか、そういうことをのべつまくなしに口走ってたらしい」

「おかしな奴はどこにでもいるねぇ」

「最近になって賞金首ハンターに自分がキルされた。それでお役御免。その後はほとんどログインしてねえみたいだな」

フリューゲルはウィンドウをスクロールさせた。

「――『人喰いダンジョン』?」

「Θ(シータ)サーバーから『沈黙する』『磁界の』『伏魔殿』のエリアワードで行けるからくり屋敷タイプのダンジョンだ。ここで道に迷うとPCがリアルのプレイヤーごと消失(ロスト)するって噂があるんだ。恒例のオカルト話といえばそれまでだけどな」

と、情報屋は言った。

「ただ、このエリアには不死系モンスターと鼠型の魔獣系モンスターが出現するから、一応リストにのせておいた」

さらにウィンドウをスクロールさせた。

「この『ペットショップ・チムズ』というのは?」

「ダンナはお供機能のことは知ってるかい」

「いいや」

「お供ってのは、『The World』の次バージョンに登載される予定の新機能のことだ。マスコットキャラがさまざまなサポートをしてくれるんだ。ギルドを管理するグランティっているだろ? 要はあれの個人版だな。今、その機能が何人かのユーザーに先行配布されてごく内密にモニターが行われてる最中なんだ」

と、情報屋は説明した。

「そこに目をつけた奴がいて、どこかでパクってきたお供機能のデータを売りさばいてる。@HOMEをペットショップに改造してな。もちろんチートで違法行為だから、大っぴらに商売していない。だが、口コミで噂が広がって、しかも評判がいい」

「へーえ」

「マスコットキャラのグラフィックにはいろんな種類があるそうだ。店名にあるチムチムの他に、小型のドラゴンとか、翼の生えた犬や猫、美少女フェアリー、美少年フェアリーとかな。で、そのうちの一つに、鼠があるんだってよ」

フリューゲルは口の端にくわえたキャンディの棒を反対側に転がした。

この場合『売る』と『散布する』はほぼ同義語だ。鼠のマスコットキャラ。

「――ペットショップがいいな」

一通りデータ・ファイルをチェックした後、新聞を情報屋に返して言った。

「ペットショップが一番気に入ったよ。店に行くにはどうすればいいんだ?」

「ドル・ドナで客引きをしてるらしいが、こちらから働きかける手段は特にない。@HOMEの正確な場所もわからない」

「声かけられるのを待つしかないってことか。ま! それだけつかめれば充分だ」

と、フリューゲルは言った。

「やはりお前さんに情報収集を頼んだのは正解だったよ」

情報屋はまんざらでもない表情になった。

「もう二つほどいいか?」

そう続けると露骨に嫌そうな顔になった。

「まだあんのかよ」

「一つは、このペットショップについて、このまま続けて情報収集をしてくれ。……もう一つは、『泡』について調べてほしい」

「泡だって?」

「七、八年前に話題になったことがある。その時には確か『黒い点』とか『黒い扉』とか呼ばれていた」

情報屋は自分の記憶をさぐるような目つきになった。

「ああー。あったな、そんなの」

泡とはAIDAすなわちデータ知性体のことだがむろんそれはごく限られた一部の者しか知らない事実だ。一般的には泡もしくは点や扉といった言葉で表現される。

「ええーと。『泡』に関しては、『鼠』『ガイスト』『コンピュータ・ウィルス』とは別に新規で調査するってことでいいのか?」

「ああ」

「別料金になるぜ」

「構わない」

フリューゲルは椅子から立ち上がった。

「じゃあな、引き続きよろしく。――そのうちまた遊びに行くよ」

「いや。俺の方から連絡する」

情報屋は物憂げに手をぶらぶら振ると大きなあくびをした。

「だから、絶対来ないでくれ」


情報屋と別れたフリューゲルはその足でカオスゲートに行き、三つのワード――『隠されし』『禁断の』『聖域』を入力した。

ふわりと浮きあがるような感覚。全身が光輪のエフェクトに包まれ、それが消えるとすでに転送は完了している。

そこは湖に浮かぶ孤島だ。参道の橋が十数メートルほど伸びたその先に尖塔群を伴った石造建築が沈みゆく夕陽を背にそびえている。

最古のロストグラウンド、グリーマ・レーヴ大聖堂。

フリューゲルは参道を進み両開きの扉をターゲットして中に入った。

身廊は閑散としていた。フリューゲルの他は誰もいない。硬質の足音を響かせながら中央通路を歩いていった。緑がかった床の大理石には鏡のように天地逆の堂内が映り込んでいる。左右には木の長椅子が並べられている。

正面の祭壇まで来た。

かつて『R:1』の頃、祭壇には女神像が祀られていた。当時このエリアは単に聖堂と呼ばれていた。

『R:2』になり公式がこの建物にグリーマ・レーヴ大聖堂という名と神話設定を与えると、その代償のようにして女神像は失われた。そして三本爪の傷跡(サイン)が祭壇に刻まれた。

その後聖堂は長い間醜い痕跡をさらし続けていたが『R:X』へバージョンアップされた際にようやく修正された。

しかし、女神像は今もなお消失したままだ。

フリューゲルは堂内を振り返った。

静寂。何もない。何も起きない。すべてのロストグラウンドに共通する特徴。ここはゲームの攻略上まったく無意味な場所なのだ。モンスターも宝箱も出現せずイベントも発生しない。

だが、何かがあるはずだとフリューゲル――曽我部は思った。少なくとも淀川はそう考えていたはずだった。

昨日丸一日を費やして淀川清輝が所有していた携帯端末のウィルスチェックが完了した。

その結果……異常は見当たらなかった。まったくなかった。コンピュータ・ウィルスに感染した痕跡はゼロ、不審な点は何もなし。

しかし曽我部の不安はぬぐえなかった。リアルで淀川の死にざまを目撃した曽我部は淀川の携帯端末に何らかの異常が見つかるはずだと半ば確信していた。むしろあるべきものがなかったという違和感の方が強かった。

その一方、携帯端末の使用履歴から淀川が『The World』に頻繁にログインしてグリーマ・レーヴ大聖堂を訪れていたことがわかった。


一番古い日付の記録は今年の四月六日、瀬戸悠里の逐電とほぼ同時期であり、一番新しい日付は五月二十日つまり彼の死の前日となっている。

ここに何かがあるのか? 淀川はここで誰かと会っていたのか? あるいは何かを隠したのか? それとも、何かを探していた?

フリューゲルは祭壇の前で考えをまとめようとした。

淀川の依頼はヴェロニカ・ベインの新しい依頼とつながりがあるのか。ウィルスをばらまくというガイストと瀬戸悠里には関連があるのか。

あるのかも知れないし、ないのかも知れない。今のままでは依然として手がかりが少なすぎる。情報屋から聞いたペットショップの話が現状を進展させる鍵になればいいと考えていると堂内にクシャミが響いた。

入口に獣人PCが立っていた。いつの間に入ってきたのか。長身痩躯。ボルゾイ、ファラオハウンドといった西洋犬のように細長い頭部。体毛は黒だが、人間で頭髪にあたる個所だけが金色に輝いている。黒い呪衣らしきものをまとっているところを見るに職業は呪紋使い系のようだ。

獣人PCは鼻をすんすんいわせながら身廊内に入ってきた。

「――グリーマ・レーヴ大聖堂、か。奇妙なところやねえ、ここは」

独りごとのように喋りながら中央通路を歩き始めた。

「背景とかオブジェクトに使い回しがないんやってね。完全新規。いやー、手間暇かけすぎやで」

大理石の床にさかさまに映る自分の像に気付いたらしく、途中でちょっと立ち止まり足踏みをするような身振りをした。

「こういう場所、ロストグラウンドいうんでしょ? ほんま『The World』って間尺のあわへんわけのわからんことが多いわ。遊ぶ分にはそれがかえって楽しいのかも知れへんけど、私らみたいに仕事で携わるもんには面倒なだけや……なあ、フリューゲルさん」

フリューゲルの前まで来ると獣人PCは口角をゆがめて笑いかけた。

「そう思いまへんか?」

彼が長い口を動かすと尖った犬歯がぞろりとのぞいた。獣の匂いが漂ってくるような気がした。

「どぉーも、お久しぶり」

フリューゲルは両手を広げて言った。

「あー。その時節はまったくどうも。なかなかお会いできなくて。あー。偶然今あなたのことを考えてたところでねぇ。いやはやほんとにどうも」

「言うとくけど、初対面やで」

獣人PCが言った。

「なんだ。通りで初めて見る顔だと思った」

と、フリューゲルは言った。

「はじめまして。私クサメと申します」

全く意に介していない口調で獣人PCは言った。

「――フリューゲルさん、リアルでは東京在住の曽我部隆二。ネットワークトラブル・コンサルタントの事務所を開いてる。間違いおまへんな?」

フリューゲルは口から飴を外した。目を細めてクサメの顔を見た。

「ああ、待った待った。私は怪しいもんちゃいます。ただ話がしたいだけやから」

クサメは両掌をフリューゲルに向けてなだめるようなしぐさをした。

「リアルとゲーム、どっちで話しかけよか迷ったんやけど、急にリアルで会うんは警戒されてまう思うてね、まずこうしてワンクッション置かせてもろたんですわ」

「ゲームの中でリアルの話を持ち出すのはマナー違反だと思うけどねぇ」

「そうですわな。そらそうや。そう思いはるのが正しい」

クサメはうんうんとうなずいた。

「せやから、これからすぐにそちらの事務所へうかがわせてもらいます」

と、あっさり言った。

「何――」

フリューゲルはクサメを呼びとめようとしたが間に合わなかった。転送消滅の光輪エフェクトがクサメの体を覆い、一瞬後には消えていた。


曽我部はVRスキャナを外した。

ソファの上に身を起こし、息を整え眼鏡をかけて時計を見た。三時。昼ではない。夜の三時だ。窓の外はとっくの昔に深夜の闇に満ちている。

今から来るだと? ここに?

そう思った時、空気を震わすようにして事務所のチャイムが鳴った。

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