3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

08 呪銃

現在のネット・カルチャーの興隆は、二〇〇七年十二月二十四日に始まったとされている。この日、全世界でネット利用の制約が完全に解除され、WNC(ワールド・ネットワーク・カウンシル)による『ネットワーク安全宣言』が布告された。学校の歴史の授業では『聖母の口づけ』という名で教えられる出来事だ。

この『聖母の口づけ』が実現したのは、あらゆるコンピュータ・ウィルスに対して絶対的耐性を持つオペレーションシステム『ALTIMIT(アルティメット) OS』の全世界への普及が完了したからだ。

かつて存在していたそれ以外の基幹ソフトやセキュリティは、二〇〇五年に根こそぎ崩壊させられた。『冥王の口づけ』と呼ばれる史上最悪のコンピュータ・ウィルスの仕業だ。

気のきいた冗談ではある。聖母と冥王、どちらもキスまではOK。

とにかくネットワークの世界は二〇〇五年に一度死んだ。

そして二〇〇七年に復活した。『ALTIMIT OS』に対応した世界初のMMORPG『The World』を伴って。

『The World』はやがて『R:2』となり、さらに時を経て今の『R:X』となった。

二〇二三年の現在、『R:X』のその次のバージョンアップに関する噂がちらほらとささやかれ始めている。

だが、それはまだ先の話だ。


ネットスラムから黄昏の水都マク・アヌへ戻ってきたフリューゲルは、中央広場の入り口付近にあるカフェテラスのテーブルに着くと、PCたちでにぎわう往来を眺めた。行き交うチャット、パーティーメンバーの募集、アイテム売買と、ネットゲーム独特の活気に満ち溢れていた。

マク・アヌは運河の街だ。ケルト語でマクは息子を表し、アヌはケルト神話に登場する肥沃の女神を示す。すなわちマク・アヌとは『女神の息子』という意味になる。その名前の通り、女神の慈愛のまなざしのように優しく美しい夕焼けに常に彩られている。

人通りの中にはシックザールの同型PCたちの姿も時折見られた。特に『舞姫』タイプの女性PCは人気があるようだった。

フリューゲルは視線を転じて茜色の空を見上げた。飛空艇がゆったりと飛んでいた。はるか遠くには巨大な搭状建築物が佇んでいるのが見えた。アカシャ盤だ。

彼はその塔をじっと眺めた。天城丈太郎がこの『世界』に打ち建てた禁断の遺産。さまざまな紆余曲折を経て今は完全に機能を停止させ沈黙している。

残骸だな――とフリューゲルは心の中でつぶやいた。

フリューゲルすなわち曽我部隆二にとってのシックザールPCのように。あの塔はリアルデジタライズの理論を追求した天城博士の夢の残骸だ。そして開発者本人とはもはや無関係に墓標のように佇立し続けている。

自身と照らし合わせて皮肉なものを感じた。

俺はフリューゲルという残骸を操作して『The World』をうろついている……。

かすかに苦笑した。女神の慈愛に包まれて感傷的になっているようだ。

『The World R:X』の中を実際に動き始めて四日経っていた。

古い知り合いの情報屋を見つけ出すのに少々手間取ってしまった。

パラメータウィンドウを開いた。自身の状況をもう一度確認しておこうと思った。

フリューゲルのPCボディは初期化されていたので、現在レベル1の状態だ。

アイテムウィンドウを開くと、唯一身につけている武器『ブリーラー・レッスル』を選択した。フリューゲルの右手の中に呪銃ブリーラー・レッスルが出現した。

弾丸による強制停止。それがこの拳銃の能力だ。

VRスキャナによって曽我部隆二の精神構造から産み出された、シックザールPCフリューゲルが持つ固有の特殊能力――弾丸が命中するものならばどんな対象であれ、そのデータを『停止』させることができるのだ。PCだろうと、モンスターだろうと。チートされた@HOMEの入り口だろうと。停止したデータは都合のいいように簡単に書き換えることができる。

戦闘においては、ほぼ無敵のスキル。命中すれば必ず勝つ。

だが欠点もある。

対象のデータを停止させるには一定量以上のエネルギー出力が必要になる。そして射程距離が近ければ近いほど、エネルギー出力は高く保たれる。水鉄砲と同じ理屈だ。

具体的に言うと、強制停止を確実に実行させるためには、現実世界の距離に換算して約2メートル以内で弾丸を命中させなければならない。それ以上離れた場合は出力不足となり、弾丸の効果が発動しない。

拳銃の形をとっているくせに異常なほど間合いが狭いのだ。

それに連射が効かない。

かつて、赤い双剣士と戦った際に弾幕を張り互角に近い勝負を繰り広げたり、一〇〇体以上のPCのデータをいじって石像化させたりしたことがあったが、あれはアカシャ盤と機能を連結させて銃のエネルギー出力を強引に引き上げていたからこそ可能だった超反則技だ。

素の状態のブリーラー・レッスルは強力な半面、極めて使い勝手の悪い武器といえる。

シックザールPCは、リアル・プレイヤーの精神の有り様をその能力に反映させて具象化する。精神のひずみによって産み出されたPCを電脳世界で操作することによって、その精神のひずみそのものを治癒させていく。それがシックザールPCのおおよその医療理論だ。

その伝で行くとブリーラー・レッスルのこの癖の強い特質はフリューゲルすなわち曽我部隆二の精神のどこかに生じているひずみに由来するものだと言えるのかも知れない。

アイテムウィンドウに載っているブリーラー・レッスルの名前を選択して装備を解除すると、彼の手から拳銃がかき消すように消えた。

その時だった。

マク・アヌの空、アカシャ盤のはるか頂きから何かが唸るような音が響き始めた。遠くで土砂崩れが迫るような地響き。

一瞬フリューゲルは椅子から腰を浮かせそうになったが、すぐに勘違いに気付いた。周囲のPCたちは地響きが聞こえていないかのように平然としている。

ゲームの音ではない。これはリアルの音だ。リアル側の曽我部隆二の近くで、大きな音が鳴っているのだ。

フリューゲルは右手で眼にはめているモノクルを取ろうとした。間違えた。この右手ではない。モノクルを取るのではない。まだ感覚がうまく取り戻せていないようだ。深呼吸して酸素を肺の奥底に送り込み、少しずつ覚醒を促すようにした。急速に起きてはいけない。潜水病と同じ。ゆっくりと向こう側に慣らさなくてはならない。

夢から覚める時のような過剰なまでの現実感がフリューゲルの内部に満ちてきた。


顔のVRスキャナを外した。

電話の呼び出し音が鳴っていた。

事務所のソファから身を起こすと西の窓から夕陽が差し込んでいた。壁の時計は五時半を示していた。眼を細め、VRスキャナを右手に提げたままスリッパをつっかけて立ち上がり、机まで歩いていって携帯端末を取り上げた。

自信に満ちた冷たい声が聞こえてきた。

「ネットワークトラブル・コンサルタントの曽我部さんですね?」

「はい。そうです」

「私はサイバーコネクト・ジャパン社の秘書室長を務めております、小倉と申します。曽我部さんにお話があります。急なことで大変申し訳ないのですが、今夜八時、ご足労願えますでしょうか」

確かに急なことだった。それに仕事の話をするには少々おかしな時間だ。

「それはご依頼ということでしょうか」

「依頼ではないかも知れませんが、仕事の話です」

「といいますと」

「電話ではお伝えできません」

しばらく黙った。

「わかりました。お台場の御社にうかがえばよろしいですか?」

「いいえ。これからお伝えするホテルに来てください」

曽我部は相手の言うホテル名とその住所をメモした。

「今夜八時。港区のベイクトンホテルですね」

曽我部は確認した。

「はい。お待ちしています」 

電話はそこで切れた。

曽我部は携帯端末とVRスキャナをそろえて事務机に置いた。

秘書室長は、淀川が専務になる前まで就いていた役職だ。

法律的な根拠なく曽我部が不当に所持しているVRスキャナについて、サイバーコネクト・ジャパン社の人間がそのありかを突き止め、何らかの接触をしてくる頃合いだと思ってはいた。今夜八時。ベイクトンホテル。結構。うかがわせてもらおう。

全身に膜のような疲労がへばりついていた。VRスキャナでフリューゲルをコントロールする感覚がまだ取り戻せていない証拠だった。

疲れ過ぎている、と曽我部は思った。

まだ何事も成していないのに。

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