3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

07 ネットスラム

ネットスラムは『The World』に寄生する不正規サーバーである。

不完全なエリアデータやさまざまなバグがデバッグを免れて吹き溜まり再構成された場所に、ハッカーやチーターたちが寄り集まり、一種のタウンとして機能するようになった。

このジャンクの街はいつ頃から『世界』に存在していたか。十年以上前の『R:1』時代にすでに街の体裁を整えていたとも言われているし、さらにその前、『The World』のβ版である『fragment(フラグメント)』時代にテストユーザーによって目撃されたという話もある。伝説の中のエル・ドラドのように、時代を越えて違法と無法を愛する者たちの『楽園』であり続けている。

ひょっとするとゲームの運営が停止され『世界』に終わりが訪れたとしてもネットスラムは電脳空間のはざまで永遠に存在していくのかも知れない。

タウンを囲む崩れかけた壁の一部に手が加えられ、ペイントで書きなぐったようにグラフィックが改変されている。

『The World』の掃きだめ! ハッカーとチート野郎の巣窟にようこそ!

その掃きだめの中央に位置するゲートに、一人のPCが転送してきた。

中年の男だ。武骨なゴーグル眼鏡。無精ひげ。色落ちして擦り切れたコートを羽織っている。頭にかぶった飛行帽にはなぜか観葉植物が生えている。

彼は情報屋だった。ネットスラムに常駐し、違法にデータを盗んで売りさばくことで発生するリアルマネーで生計を立てていた。凄腕のハッカーなのだ。

広場に降り立った彼は、自分の本拠地である喫茶店――ギルドシステムを改変して作った独自の@HOME(アットホーム)に向かって歩き出した。

大通りの角を曲がった時、目の前に誰かが立ちふさがった。

新顔のハッカーかと思った。見慣れないPCだったからだ。だがどこかで会ったことがあるような気もした。

「いよおー。久しぶり。元気してた?」

情報屋の直感を裏付けるように、その男は妙になれなれしい口調で話しかけてきた。その声を聞いた瞬間、不吉な感覚の波が情報屋の全身に押し寄せてきた。

「お前さんが来るのを待ってたんだ。二年? 三年ぶり? あー。昔の知り合いに会うとほっとするわー」 

『The World』の世界観にはそぐわないシャツ、ネクタイ、サスペンダー。右目にはモノクルなどをつけている。外見からでは職業の想像がつかない。最もこれは情報屋自身も含めたネットスラムの全住人に言えることだが。

「腕のいい情報屋をずうっと探してたんだ。お前さんのことだよ? ヒヒ。突然で悪いけど、ちょいとお手伝いしてほしいことがあってねぇ」

その男がにっと笑みを浮かべると、口にくわえた細長い棒――おそらくキャンディの棒を模したものがぴこぴこと動いた。

その棒を見た瞬間に情報屋は目の前の男が誰かを思い出した。

そうだ。こいつは『フリューゲル』だ。

「ひいっ!」

一声叫ぶなり脇の路地裏に飛び込んだ。道端に転がるゴミのオブジェクトに足を取られたり曲がり角に引っかかったりしながらも全力で走った。

迷路のように入り組んだ小道を駆け抜け、@HOMEの入り口の前まで来るとそのままターゲットし、抜く手も見せずにアイテムウィンドウから『ギルドキー』を選び取った。

一瞬後、彼は隠れ家の内部に滑り込んでいた。

ジャズ喫茶店を模した薄暗い穏やかな雰囲気の内装が情報屋を迎え入れ、瞬間的なパニックに陥っていた彼の心に落ち着きを取り戻させてくれた。

@HOMEの中に入ってしまえば安全だ。『ギルドキー』または『ゲストキー』といった通行証アイテムを持っていない者は絶対に入ってくることができない。ましてやここは『改造天国』ネットスラムだ。ハッカーの自分が腕によりをかけた対同業者用のセキュリティが二重三重に施してある。

あの男フリューゲルが今になってなぜここに現れたのか。理由は分からないし知りたくもない。待っていたような口ぶりだった。今後しばらくはネットスラムへの出入りに注意した方がいい。いや、『The World』へのログインそのものを控えるべきだ。

その時、店内の奥でカチャ、と音がした。

情報屋はギクリと身をこわばらせた。誰かがいる。カウンターの一番向こうの席で誰かがスツールに腰掛けている。

「あー。ひょっとして転職した? 喫茶店のマスターにジョブチェンジ? なんつって、そんなわけないよなー。でも、いーい感じじゃないの、このお店」

旧友に話しかけるような口調。だらだらと喋り続けているその男が、たった今振り切ったはずのフリューゲルだということはすぐにわかった。

彼の前にはコーヒーカップが置かれていて湯気を立てている。

フリューゲルはそれを手に取ると、『口元に運んですするモーション』をとり、またソーサーの上に戻した。カチャ、と音がした。

「お前さんにジャズ趣味があるとは知らなかったねぇ。実は俺も好きなのよ、こーいう雰囲気。やっぱり俺たちって気が合うのかも知れないネ」

語尾の「ネ」が白々しい。イヒヒヒ、と笑った。

情報屋はその場にへたり込んだ。ハッキングスキルの次元が違う。どうやって内部に入り込んだのか。どうやって『コーヒーのデータ』を取りだしたのか。

「なんなんだよ、あんたぁー。どこから入ったんだよ!」

せめてもの抵抗として、情報屋はフリューゲルに指を突きつけて喚いた。

「おりゃあ、あんたのそういうわけわかんねーところが嫌なんだよ!」


『The World R:X』のサービスが始まったばかりの頃、そのユーザー権の価値が異様に高騰した時期があった。ネットスラムの一角を根城にする新興ハッカーグループがそれに目をつけ、チートプログラムを使ってユーザー登録の情報を不法にコピーしたPCボディの売買を開始した。

当時すでに中堅の情報屋だった彼は、そのグループの本拠地の近くで店を構えていたが彼らと関わり合いになるのは極力避けた。あまりにも違法行為の規模が大きすぎると感じたのだ。本当にヤバイ仕事には手を出さない。ぎりぎりを見極めてスルーする。それが彼の人生スタイルだ。

勘は的中した。それから間もなくしてサーカスのようないでたちのふざけた一団がハッカーグループのアジトを急襲し壊滅させたのだった。

ハッカーたちのギルドメンバーは総勢五十人ほどだったろうか。彼らは自分のスキルに自信を持つ者ばかりで、襲撃者たちを迎え撃とうとした。何人かは自らのPCボディをいじってステータス上『ほとんど不死身』になる処置を施していた。しかしサーカス団のたちの悪い冗談のような戦闘力の前にはそんな小細工はまったくもって焼け石に水だった。

情報屋にとって災難だったのは、その中に褐色の肌をした目つきの悪い男がいたことだ。そいつは巨大な機関銃を取り出すと――ファンタジー世界で機関銃? そう、確かに機関銃だった――往来で所構わず撃ち始めた。その弾丸は『ほとんど不死身』のはずのハッカーたちを問答無用でなぎ倒し、彼らの本拠地のギルドを蜂の巣よりも蜂の巣らしい体裁にしてぶっ壊した。

通りを挟んで対角線上に位置していた情報屋の店にまで弾丸は飛んできて外壁のグラフィックをすぱすぱ貫通し内部のデータをめちゃくちゃにシェイクした。クラウド倉庫で一元管理していた貴重な情報が木端微塵に吹き飛んだ。単なる巻き添えで。無関係なのに。思い出しただけでもリアルの胃がしくしく痛む。

バックアップからデータそのものを復旧することはなんとかできたが、銃弾にひっかきまわされたセキュリティシステムがオシャカになっていて再構築するのに尋常でない労力と時間を費やす羽目になった。それよりも何よりも絶対の自信を持っていた自作の防御壁をやすやすと突き破られたことに彼のハッカーとしてのプライドがズタズタにされた。

そのサーカス団の指揮を執っていたのがフリューゲルだった。彼らが公式側に雇われたハッカー集団であるということはずいぶん後になって知った。


「そうだ、思い出したぞ。あんた、あの時に損害賠償してくれるって言ったよな? まだ金もらってねぇーぞ!」

と、情報屋は叫んだ。怒鳴ることで目前に迫りつつある面倒事の気配から目をそらそうとした。

「うそぉー。俺、そんなこと言ったっけ? 何時何分何秒ォ?」

「昭和のガキかぁー! 確かに言ったぞ、俺の倉庫を弁償するって!」

そのくせフリューゲルは情報屋に『R:X』の世情調査などの仕事を回してくるだけで、要は手下の内偵のようにこき使った。だが、そのうちに連絡は疎遠になり、やがて途絶えた。弁償はされずじまいだったが、その時は厄介なつながりが切れたという安堵の方が強かった。

「あー。わかったよ。後で払うよ。今回の仕事をしてくれたらドカンとまとめてさぁ。それでいいだろ?」

「いや。先に払ってくれ。でなきゃ話は聞かねえ。絶対に引き受けねえ。帰ってくれ」

床に尻もちをついたまま、情報屋はそっぽを向いた。喋っているうちに彼は少しずつ冷静さを取り戻していた。昔の証文など引っ張り出してそれが通用するとは思っていないが、ここは感情的になっているふりをして突っぱねるべきだと判断した。ヤバイ事はスルーする。それが彼の人生スタイルだ。

「絶対に? 引き受けねえ? 金を先に払わないと?」

フリューゲルは口から飴を外した。

「じゃ、金を先に払ったら、絶対に引き受けてくれるってことだよな?」

「……あ?」

「お前さんの口座を確認してくれ。今振り込んだ」

何を言われたのかわからなかった。絶句した。相手の顔を見つめ、それから第三者には不可視のシークレットウィンドウを開いて、自分の銀行口座をそっと見た。振り込まれていた。あまり一度には見ることのない金額が。

「こ……こんなにたくさん!」

いや。それよりもどうやって彼の銀行と口座番号を探り出したのか。

「少―し色をつけといたよ。長い間お待たせしちゃった利子ってことで」

フリューゲルは飴をくわえ直すと、わざとらしくポンと手を合わせた。

「うまく話がまとまってよかったよかった。持つべき者は友達だよねぇ。ほら、ここ座りなよ。コーヒーで乾杯する?」

ひょいとテーブルの上に手を伸ばし自分のものと全く同じ湯気の立つコーヒーカップをどこからともなく取りだして隣の席にカチャッと置いた。

情報屋は自分がもう断れない立場に追い込まれていることに気付いた。この男が新しく持ち込んできた仕事とやらを引き受けざるを得ない。ばっくれるか? ログアウトして金だけ持ち逃げするか? 無理だ。逃げられない。

彼は腹を決めた。ため息をついて立ち上がると、フリューゲルの隣のスツールに座った。

「わかったよ。いいぜ、ダンナ」

と、情報屋は静かに言った。

「俺は何を調べればいいんだ?」

「現在の『The World』に流布している噂。そこから次の言葉が含まれるものを集めてほしい。『コンピュータ・ウィルス』、『鼠』、『ガイスト』」

「……それだけか?」

「それだけだ」

「はあん? ずいぶんざっくりした内容だな」

いくぶん拍子抜けしながら情報屋は言った。

「コンピュータ・ウィルスがどうこうって話なら『R:1』の大昔から腐るほどある。鼠とかガイストってのは、モンスターのことか? そうだな、鼠についてなら、『モンスター街侵入』のイベントが近々ある。海棲の巨大ネズミモンスターがマク・アヌを襲うってシナリオだ。そういうのをお求めなのかい?」

「違う。俺がほしいのはもっとヤバイやつだ」

「どの程度」

「リアルで死人が出る」

相手の答えにぎょっとした。

「……ま! もののたとえだけどねぇ」

情報屋は思わず声をひそめた。

「おい。本当にヤバイ話は困るぜ……。そういうのに関わるのは、俺のスタイルじゃねえ」

「大丈夫だ」

と、フリューゲルは力強く言った。

「本当はヤバクない」

「いや。今ヤバイって言ったじゃねぇか……」

「ヤバイけどヤバクない。少しヤバイ」

「どっちだよ!」

フリューゲルはコーヒーカップを手にとって『口元に運んですするモーション』をした。

「あー。正直に言っちゃうとねぇ。この調べ物がどれくらい危険でどんな意味を持ってるのか、俺にもわからないんだよねぇー」

「はぁー?」

何を言いだすのかこの男は。

「だが意味があると思った奴がいて、そいつが大金を出して俺を雇った。だから俺もプロのお前さんに頼みたいんだ。お前さんの嗅覚で情報を選り分けてほしい」

そう言うとフリューゲルは椅子から降りて@HOMEの出口に向かって歩き始めた。

「目途がついたら連絡してくれ。メンバーアドレスは昔渡したよな」

「あっ。なあ、おい!」

情報屋はフリューゲルの背中に向かって言った。

「一つだけ、はっきりさせておきてえな。今のあんたはシステム管理者なのか。それともハッカーなのか。どっちなんだ? あんたは何者なんだ?」

フリューゲルはちょっと振り返った。

「ただのフリーさ」

喫茶店から出ていった。

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