3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

03 シードラゴン

淀川が指定した『シードラゴン』は繁華街の一角、古びたビルの六階にあった。そこそこ繁盛している高級中華料理店だ。サイバーコネクト・ジャパン社のあるお台場からは遠く離れている。わざと離れた店を選んでいるのだろう。

曽我部は口からキャンディの棒をとると、一階ロビーにあったゴミ箱に投げ捨て、エレベーターで上にあがった。

店内は空いていた。ランチタイムが終わって一息ついているところらしかった。

淀川はすでに隅のテーブルに着いて曽我部を待っていた。そこは窓際の席で、日が差し込み、テーブル上のものを照らしている。

点心の皿にまじって中国の酒が出されているのを見て曽我部はおやと思ったが、顔には出さずに挨拶して向かいに座った。

「どうも、淀川さん。お待たせしてすみません」

淀川は厚い肉におおわれた赤ら顔を曽我部に向けた。目が充血している。やはりアルコールが入っているらしい。額にはかすかに汗がにじんでいる。

曽我部をわざわざ呼び出したのは依頼に関する話をするためであり、つまりそれは商談であるはずだ。淀川のような男が商談の場で話もしないうちに酒気を帯びていることに強い違和感があった。

「失礼してやらせてもらってる。君もどうだ?」

淀川はしっかりした口調でたずねた。

「いえ、車で来ていますので」

曽我部は注文を取りに来たウェイターにウーロン茶を頼んだ。

淀川から初めて連絡を受けたのは一ヶ月前、ゴールデンウィークが始まる直前の事だ。

淀川は電話で、曽我部の活躍をよく聞いていると告げ、彼の能力を信用して仕事の依頼をしたいと言ってきたのだった。

三年前の二〇二〇年、曽我部がまだサイバーコネクト・ジャパン社に在籍していた頃、淀川とは何度か顔を合わせたことがある、という程度の知り合いだった。年齢は淀川の方が六つばかり上だろう。当時、淀川は重役ではなく秘書室長を務めていた。同じ社内の人間とはいえ、研究機関つまり現場の人間である曽我部とは活動する場所がまるで異なっていたと言ってもいい。

曽我部が退職後にネットワークトラブル・コンサルタントなる事務所を開いているということを、たまたまどこかで聞いたのか、あるいは下調べしてつきとめたのかはわからない。しかし、わざわざ指名して仕事を頼むこと、それ自体がある種の事実を示していた。

つまり、社内の他の人間には知られたくないのだ。

それでいて、専門知識と技術が要求される事柄。『The World』に関する調査。

彼が持ち込んだ依頼は奇妙なものだった。

「『ガイスト』というPC(プレイヤー・キャラクター)がコンピュータ・ウィルスをばらまいている、という噂がある。その真偽を突き止めてほしい」――

「ここ最近、仕事がつまりすぎててね。酒でも飲まなければやりきれない」

淀川がいいわけのように言った。

「それは結構なことです。ああ、淀川さんが担当されているタイトルが正式に発表されましたね。新聞で拝見しましたよ。バーサス……ええと……」

「『VERSUS:The World(バーサス・ザ・ワールド)』。ようやく発表までこぎつけることができた」

場つなぎの世間話などをしているうちに、やがて注文したものが運ばれてきた。これで、あとはこちらから呼ばない限り、店の人間に邪魔をされることはない。

「――天城博士に会ったそうだな」

と、淀川があらためて切り出した。

サイバーコネクト・ジャパン社の重役である彼は、過去の『The World』を巡る出来事をたいてい掌握している。

二〇二〇年のイモータルダスク事件の遠因を作ったのが天城丈太郎であり、実行に移したのが彼のコピーAIであるガイストだということも知っている。

「ええ。頂いた紹介状が役に立ちました」

「彼は、その……」

「ガイストについては、何も覚えていませんでした。報告書にも記入しておきましたが、彼の記憶は二〇一五年以前に戻っています。今の天城博士は、かつての出来事とはもう無関係の……無害な存在です」

「天城博士から奴のことをたどる線は途切れたということだな」

淀川が落胆の色もあらわに言った。

「まあ、そうです。しかし、むしろ噂がデマであるという可能性も高くなったと……」

「デマであるはずがない!」

いきなり淀川が大きな声を出した。店内の注目を浴び、それに気付いた淀川が居心地悪そうに身じろぎした。

「すまない」

と小声で謝った。

「だが、単なるデマではない。間違いなく、『The World』の中で、コンピュータ・ウィルスをばらまいている者がいるはずなんだ。そいつはガイストと名乗っている」

「こういっては何ですが、世界有数のMMORPG『The World』にとっては、コンピュータ・ウィルスが散布されるという程度の噂は、有名税みたいなものではないのですか? あなたのような地位にある方が、そんな妄言に今さらおたおたするなど、むしろそちらの方が腑に落ちませんねぇ」

淀川のまぶたがひくひくと痙攣した。どうも精神的に不安定になっているようだった。

「私が嘘をついているとでも?」

「そうは言いませんが、何かを伏せているのではありませんか」

曽我部が言うと、淀川は黙り込んだ。

「あなたの今回のご依頼は、ずいぶん不自然ですよ。ネットゲームを介してウィルスを流している者がいるという噂がある。犯人もなぜかわかっていて、あのガイストだという。ですが、ネットでいろいろ調べてみましたがね。よくある無責任な噂以上のことは探れませんでしたよ。あなたは何を知っているのですか? 私に何かをさせたいのなら、その意図を教えてください。今日はそのつもりで私を呼んだのでしょう」

淀川は口を閉じたまま、目の前のテーブルに視線を落としていた。

曽我部はグラスをとって一口に飲んだ。

「ま、少しは待ちますよ。世間話にもお付き合いします。ウーロン茶は健康にいいし、前金も十分にいただいていますからね。ですが、いずれは本当の用件を切り出すか、目の前から消えろと言うことになりますよ」

それでも淀川はうつむいて黙っていた。何かの葛藤があるらしいことは傍から見ても明らかだった。テーブルの端をつかむ彼の両手には力がこもっていた。

ふっとこわばりがとけたかと思うと、意を決したように曽我部を見た。

「追加の仕事を頼みたい場合、料金はどのようになる?」

「やらせることによりますが、基本は上乗せです。おおよその目安は以前にお話しした通り。一週間で三〇万。それと必要経費」

「受ける受けないに関わらず、秘密を守ると約束してほしい」

「当然です」

「信頼してもいいかね?」

「もちろん」

ようやく話が進む気配を見せたので、曽我部はとびきり無害な営業用スマイルを浮かべてみせた。

淀川はスーツの内ポケットから何かを紙袋でくるんだものを取り出して曽我部に渡した。

「これは?」

曽我部の問いに答えようとして淀川は口を開きかけたが、その時、携帯端末の着信音が鳴った。淀川のスーツのポケットが携帯端末のバイブ機能で震えていた。

「あ――。失礼」

話を妨害されて、淀川は一瞬白けた顔になったが、すぐに携帯端末を取って対応を始めた。何か仕事上の話だったらしく、淀川は立ちあがると、化粧室の方へと歩いていった。

後に残された曽我部は手持無沙汰になって紙袋の包みを子細に眺めた。手で持った感じで判断するに、中に入っているのは眼鏡ケースのように思える。しかし布テープでしっかりと止めてあるので、中を見るためには紙袋を破らなくてはならない。曽我部は少し考えて、淀川が戻ってくるのを待つことにした。

やがて、淀川が戻ってきて、椅子に座った。

「淀川さん。これは何ですか?」

と、曽我部は声をかけた。

そこで淀川の異変に気付いた。彼は小刻みに震えていた。歯がかちかちと音を立てている。自分の意思で制御できていないらしい手でぎこちなく顔の汗をぬぐうと、淀川は喘ぐように言った。かすれた声ではあったが、はっきりと聞こえた。

「鼠を退治してほしい」

「ねずみ……なんですって?」

「わからないのか? 奴らは咬むんだよ!」

大声で叫んだ。再び店内の視線が集まった。だが、今度は淀川は黙らなかった。はじかれたように椅子から立ち上がり、わめき続けた。

「私の底に滴るぬるぬるした物の一部が彼らを招き寄せる。臭いではなく目にしみるような青さ。奴らは導管を伝って襲ってくるんだ。咬んでいる! 咬んでいる!」

眼をいっぱいに見開いていた。黒目の周辺がにじんで白目に溶け込んだようになっている。額には無数の脂汗がにじんでいる。呼吸が荒く浅い。

曽我部は立ちあがってテーブルを回り込み、淀川の肩を抱くようにした。

「淀川さん、落ち着いて――」

「どうかされましたか?」

ウェイターが心持ち身構えながらやってきた。

「他のお客様のご迷惑になりますので……」

「いや、何でもない。冷たい水を持ってきてくれ」

曽我部がそちらに気を取られたとき、淀川の突きだした右拳が曽我部の左の眼の下に命中した。背丈は曽我部より低いが、筋肉質の淀川には思いがけないほどの腕力があった。

完全に不意を突かれ、曽我部は淀川から手をはなして大きくよろめいた。

「浄水の奥から時々帰ってきてはその鼻づらでつつく。電工ゆえの氷で痛みが和らいでいくのにどうして!」

テーブルの上に駆け上がった淀川がうわごとのような言葉をさけびながら、革靴の踵で窓を蹴り破った。激しい音ともに窓ガラスが砕け散った。

その時、初めて店内の女性客から悲鳴が上がった。これから何が起きるのかを予感したのだろう。

淀川はゆっくりと右足を窓枠にのせた。ついで、左足を。

「淀川さん!」

左眼を押さえて曽我部は叫んだ。

淀川は振り返った。曽我部と目があった。泣き笑いのような顔だった。そのまま窓を乗り越え、頭を下にして落ちていった。

一瞬後、重い物が叩きつけられる音が六階にいる曽我部のところまで聞こえてきた。

曽我部は窓枠に駆け寄って地上を見下ろした。

見るまでもなかった。見ない方が良かったとも思ったが、しかし見ないわけにはいかなかった。ビル六階分二十五メートル下のアスファルト歩道で捻じれているそれを。少し前までは生きている人間だったものを。

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