3rdシーズンの全作品と繋がる物語がここに。「.hack」シリーズ初のWeb小説! (著 / 矢野将之)

Web小説 「.hack//bullet」

00 プロローグ

山道の坂を登り切ったところに、その施設はあった。

受付にいた白衣の職員に来意を告げると、彼はうさんくさそうな目つきで手渡された紹介状を眺めた後、面会の時間は十分であると告げた。

「十分?」

曽我部はちょっと驚いて聞き直した。

「本来、面会は禁止されているのです。居住者の方に悪い影響を与えることがありますから」

とりつくしまのない返事だった。

悪い影響、と曽我部は心の中で反芻した。まあ確かに自分がどちらかというと良い影響を与える類の人間でないことは自覚している。

「今は昼食後の散歩の時間ですね。中庭に出ていらっしゃるはずです。どちらでお会いになりますか。面会室? それとも直接中庭の方に?」

中庭で会いたいと答えると、職員は曽我部を内部に招き入れた。廊下はしんと静まりかえっていた。冷え冷えとした空気が漂っていた。

「前もってご連絡いただけたらよかったのですが」

先を行く職員がかすかにとげのある口調で言った。

「こちらも余裕をもって対応できますからね」

「はあ」

曽我部は曖昧にうなずいた。

しかし曽我部の記憶が正しければ、昨日電話して来訪する旨を伝えたはずだった。連絡の行き違いでもあったのだろうか。今の時間帯もその時先方が指定してきたもので、そのために一日数本しかないようなバスを探し出し、遠路はるばるやってきたのだ。

「注意事項があります」

と、職員は振り向かずに言った。自信に満ちた身のこなし。己のテリトリー内で上から話すことに慣れ切った者の態度。

「面会時間を必ずお守りください。居住者の方が不安に感じるような話はしないでください。それと、カミソリやナイフなどの刃物類、マッチやライター、火薬類、薬品の持ち込みは禁止されています。よろしいですね」

「誓約書は書かなくていいですか」

「え?」

職員が驚いたように振り向いた。彼は早足で歩き続けていたが、身長一八○センチを超す曽我部が大股で歩くと簡単に追いつくことができた。

曽我部は並んで歩きながら思いつくままに喋ってみた。

「施設内のいかなる出来事に巻き込まれても当局がこれに関与しないことを了承する、みたいなの。サスペンス映画とかでよくあるでしょ?
物語の幕開けに緊張感を与える意図でもって挿入された演出とでもいうんですかね。ドキドキしますよね、あれ。子供の頃はああいう書類にサインするのがひそかな夢でした。でもよく考えると、普通にそこらのコンビニの駐車場にも似たような看板があるのに気づいてからはさすがに幻滅しましたよ。青い鳥が近くにいることに気づいても、人は幸せにならないものです」

うんうんとうなずいた。

「むしろ、幸せそのものに疑問を抱く」

しばらく間があった。

「サインは必要ありません」

職員が気を取り直したらしい様子で答えた。

「ここにいらっしゃるのは、みな安定した方たちばかりですから。先ほど申したのは、単に規則でそうなっているというだけで……」

「あっ」

曽我部は短く叫んで相手の説明をさえぎった。

「しまったなー。私、飴を持ってるんですが。これ、大丈夫ですか」

ポケットを探って柄付きのキャンディを一つ取り出すと、相手によく見えるように彼の顔の高さに上げ、プラスチックの柄を指で示した。

「ほら、ここのところ。このへん、とがってて刺さるかも。危ないんじゃないですか?」

「それは」

職員は立ち止まり、何かを言おうとしてぐっと言葉を飲み込み、押し殺した低い声で言った。

「問題ありません」

「そうですか。それはよかった」

曽我部はにっこり笑って飴を差し出した。

「おひとつどうです。コーラ味」

「けっこうです」

職員の表情は今や能面のようだ。顔をそむけると、今まで以上の早足で歩き始めた。余計な手間を取らせる部外者を振り切りたいとでもいうように。

だが、サイバーコネクト・ジャパン社幹部の紹介状を携えた人間を邪険に追い払うことはできないだろう。虎の威を借りるのは曽我部の好きなことの一つだ。

やがてドアにたどり着いた。職員はノブを回して開け、曽我部をうながした。広々とした中庭が見えた。外縁を囲む柵の向こう側には、うっそうと茂る緑の木々と澄み切った青空があった。

「面会時間は十分ですよ。お話がすんだら、受付にお声がけください。よろしいですね」

外まで付き合ってはくれないらしい。ドアをくぐりながら曽我部は振り向いた。

「あー。タイマーの貸し出しはどちらで?」

「ありません」

ばんっ、と鼻先でドアが閉められた。足音が遠ざかっていき、曽我部は建物と外の境界に取り残された。

中庭には施設の居住者らしい姿が三々五々見られた。全員が同じ服装をしているので、遠目には区別がつかない。心地よい気温だった。五月の半ば、新緑の季節。午後の穏やかな陽光がすがすがしい。

それはいいのだが、やたらと広かった。ちょっとした都会の公園ほどもある。曽我部は『単にそうなっている』だけの面会時間の規則など気にもしていなかったが、探し出す手間を考えると、少しうんざりした気持ちになった。見つけられるだろうか、と思った。

簡単に見つかった。

目当ての男は、施設側に据え付けられた日陰のベンチにひっそりと腰掛けていた。

線の細い体を折り曲げるようにして、膝の上に置いた手に古そうな本をのせて一心に読んでいる。右手側には杖が立てかけられていた。

曽我部が近寄ると、顔を上げてまぶしそうに目をすがめた。

本来の年齢は三十路手前のはずだがとてもそうは見えない。せいぜい二十歳前後といったところだ。薄い色付きメガネをかけている。整った細面。だが、ここ数年陽に当たったことのないような肌の異様な青白さが目をひいた。

「どうも。いい天気ですね」

と、曽我部は声をかけた。

「ええ、そうですね」

相手は礼儀正しい口調で答えた。

「少し前までは寒かったのですが。ずいぶん過ごしやすくなりました」

そう言いながら眼鏡の奥で切れ長の目が動き、曽我部のスーツに視線を走らせたのがわかった。

「――施設の方ではないのですか」

「ええ」

曽我部はうなずいた。

「私のことをご存じなのですか」

「ええ」

男の口元に力のない笑みが浮かんだ。

「申し訳ない。記憶がおかしくなっているらしくて……」

「曽我部と言います。曽我部隆二(そがべりゅうじ)です」

「天城丈太郎(あまぎじょうたろう)です」

男はそう名乗ると、本を閉じて脇に置いた。

曽我部は名刺を天城に渡し、隣に腰を下ろした。

「実はひとつ、天城さんにおうかがいしたいことがありまして」

天城は受け取った名刺を見てかすかに首をかしげた。

「ネットワークトラブル・コンサルタント……」

「ネットに関する諸問題を扱っています。まあ、興信所のようなものです」

「さきほどもいいましたが、物忘れがひどくなってるんです。それに……私の仕事については、お話しできませんよ」

ネットという単語を聞いて警戒心を持ったようだった。天城丈太郎のような職業に就いていた者なら当然の反応だ。

「そんな大したことではないんです」

曽我部は何気なさを装って言った。

「ガイスト、という名前に覚えがありますか」

「それは、ええと。霊という意味ですか?」

とまどったような口調。

「確か、哲学用語か何かだったと思いますが。あ、名前とおっしゃいましたね。……ヨーロッパの風景画家に、そんな名前の人がいたと聞いたことがあるような気がします」

記憶をさぐるようにゆっくりと喋ると、天城は曽我部を見た。

「それ以外は、特に」

曽我部は天城の目を見ていた。彼の表情には何の動きもなかった。天気の話をしたときと同じ。「いい天気ですね」「そうですね」……自分の本質に関わらない事柄を話す者の顔。

「そうですか……。いや、どうも」

その時、施設の方から木琴で叩いたようなチャイムのスピーカー音が流れてきた。

天城はそちらを振り向いてつぶやいた。

「昼休みが終わりました。中に戻らなくては……」

曽我部は立ち上がった。

「お手数をおかけしました。お会いできてうれしかったです」

「今の答えでいいのですか? その……よくわからないのですが」

天城も杖をついて立ち上がりながら言った。

「もちろん。大変参考になりました。ああ、本をお忘れですよ」

曽我部はベンチの本を取って天城に渡した。タイトルに唯識という二文字が含まれているのを見てとった。

「難しそうな本ですね。仏教ですか」

「ええ。職場の同僚に借りたんです。ずっと以前に借りっぱなしになってました。せっかくの機会だから、今のうちに読んでおこうと思うのですが、なかなか読めない」

天城は本の表紙をなでながら苦笑を浮かべ、独り言のようにつぶやいた。

「……ここに来る直前に、そいつと仕事のことで大喧嘩してしまいましてね。すごく怒らせてしまった」

曽我部は黙っていた。

「まだ怒ってるみたいです。見舞いにも来てくれませんから……」

不意に風が吹いて木立を鳴らした。それまでのすがすがしさが一転して急に肌寒くなった。

天城は身を震わせた。

「寒い。風が出てきました」

「ああ、どうぞ中へ。私はもう少し、ここの空気を楽しんでいきます」

天城は軽く会釈すると、杖をつきながら施設へ帰っていった。左足をぎこちなく引きずっていた。

曽我部は天城の後ろ姿が見えなくなるのを待ってから、ポケットから携帯端末を取り出し、パネルを指でなでてメモ機能を呼び出した。待機画面が一瞬表示され、現在時刻が映し出された。

二〇二三年五月十九日、午後一時ニ分。

今日面会をするにあたって、曽我部は天城の従妹であり、ほとんど唯一の血縁者である天城彩花(あまぎさいか)に連絡をとった。そのときに説明された症状を自分の目で確認したことになる。記憶障害。電脳空間に『生身』のまま入り込んだ後、現実世界へ復帰する際に天城丈太郎が支払った代償。

彼の記憶は二〇一五年以前でとまってしまっている。今も自分の仕事場が浦安沖のメガフロートにあると思っている。会社に重大な損失を与え、現所在地の東京お台場に移転するきっかけ……火災事故を自分が引き起こしたとは夢にも思っていない。彼にとってそれは未来のことなのだ。

喧嘩したという同僚はおそらく番匠屋淳(ばんしょうやじゅん)のことだろう。天城丈太郎とともにサイバーコネクト社の極秘プロジェクトに携わった、もう一人のチームリーダー。彼が故人となってすでに久しい。

曽我部はテキストを入力しながら深く嘆息した。

天城は番匠屋に借りた本を読みながら、彼が会いに来てくれる日を待ち続けるだろう。

仲違いの解消を望みながら、いつまでもこの施設で本を読み続けるだろう。だが、天城が本を読了する日は決してこない。彼の記憶は二〇一五年以前にリセットされ続ける。

天城の症状は、あるいはあの世界の女神が彼に恵んだ慈悲なのかも知れない。そうではないのかも知れない。わからないことが多すぎる。この件に関しては誰もかれもがダメージを負いすぎている。

携帯端末の電源を切って懐にしまった後、曽我部はふと自分が天城に何かを伝えるべきだったのではないかと思った。

せめて、彼のもとを訪れた理由だけでも。

だが、なんと説明すればいいのか――
天城丈太郎が後にしたあの『世界(ザ・ワールド)』で、彼の『幽霊(ガイスト)』がいまだに彷徨し続けている、ということを。

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